第10話 白イタチ様

 朝日の出る前までが一番寒い。身をもって体験するのはあまり嬉しくはない。雨が降ってくれれば休んでいいことになっているのに。と少しばかり明るくなってきた空に向かって文句を言う。

 駐車場兼公園にある木製のベンチの傍まで行き、青色のゴミはさみで煙草の吸殻を拾いビニール袋に入れる。いい加減、手でつまんだほうが速そうだと考えていると、目の前の草むらが光ったように見えた。何事かと思いきや猫がいる。


「ごめんな。食べ物は持っていないんだ」


 そう呟いて時計を見る。いつの間にか六時を過ぎていた。少し早いがご飯を食べさせてもらおう。陸香の家の勝手口に向かう。

 木製の扉を開ける。鍵はかかっていない。中に入るとオシゲが朝食の準備に追われていた。朝の挨拶を交わし手伝おうとする。


「自分の分だけでいいですよ」

「でも」

「朝から気を使うことになりますから。奥様もお嬢様も」

「そういうものですか」

「女性は特に。俊ちゃんだって寝起きに私に覗かれたくないですよね」


思いっきり頷く。下手に返事をしようものなら本当にやりそうで怖い。よくある芸能人の寝起きにおはようございます。は、見ている分には笑えるけれど、自分がその立場になったらはなはだ迷惑だろう。


「ところで、お願いがあるのですが……」

「お嬢様の白イタチ様なら一個しかお譲りできませんが」

「誰もそんなことをお願いしていませんから」

「私のより一サイズ小さいのでございます」


 たわわに実ったサクランボ♪ キュッとくびれて熟れた桃♪

 頭の中に変なメロディーが流れ込んできてしまった。危ない危ない。変なことを考えないようにしなくては。と思いつつ、じっと右手を眺めて感触を思い……。ちがーう。

 ああ、僕ってちょっとおかしくなってしまったのだろうか。


「男の子って大変ですね」

「いやいや、そんなんじゃありませんから」


 僕は心を落ち着かせようと熱い緑茶を飲む。お茶に含まれているテアニンという成分が僕の心をリラックスさせてくれるはず。

 目を閉じて深呼吸を三回する。これで、落ちつけと心で何回か念じれば大丈夫。

 自分の心が制御できたのを感じて目を開けた。

 目の前にはオシゲの顔が。そして、突然、頬からあごの下付近を掌で包まれた。


「なっ、何ですか?」

「動かないでください」


 固まった。石化の魔法にかけられたように動けない。


「ちょっと脈拍数が多いようです」


 オシゲは不思議なことが起こったかのように言う。

 そりゃあ、あなたが多くしているんです。とも、白イタチ様の呪いのせいです。とも答えることが出来ずに僕は黙ってしまう。

 これ以上、ここにいたら体を壊しそうだ。さっさと学校へ行こう。そう考えてフラフラと立ち上がる。


「そう言えば、さっきのお願いって何でしょうか?」


 質問されて考える。一体全体、何をお願いしようとしていたのかと。はて。首を傾けたところで思い出す。


「今日、一度、自宅に寄ってきていいですか?」

「当たり前じゃないですか。お母さんを大事にしないと駄目です」


 茶化すわけでもからかうわけでもない真剣な表情。どうしてだろう? と考えてから、ふと、あることを思い出し、自分の無神経さに呆れる。


「どうしたのですか。元気を出しなさい」


 オシゲは僕の頭を抱きしめる。朝っぱらから勘弁して欲しい。このまま脈拍数が上がったら倒れてしまうから。


「苦しいですよ」

「嬉しいです。の間違いですか?」


 そう言いながらもオシゲは僕を放してくれた。

僕は何となく腕時計を見てあまりのんびりしていられないことに気づく。


「平日はゆっくり帰ってきていただいて構いませんよ。私も学校があってあまり早くに帰れませんから」


 オシゲがいないからこそ早く帰らなければいけないような気もする。しかし、後鷹司家は名士と言う割には質素な生活をされているようだから、別に、僕やオシゲがいなかったとしても日常生活に問題はなさそうだった。

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