第9話 神社にモヒカン
放課後、自転車で寄り道もせずに神社に戻り巫女服に着替える。ホウキを持って境内とその外の駐車場兼ベンチのある公園を掃除する。
「お疲れ様」
陸香の母が神社の西側にある家の中から出てきて声をかけてきた。僕は無難に挨拶を返す。
「千波君が巫女姿を気に入っていただけて良かったわ」
「いえいえ、気に入っているわけではありません。できれば、神主の服装の方がいいんですが……」
「神主は神職だから神社本庁の資格を取得しないと。それ以外でしたら私はどんな服装でも構わないわよ。オシゲがいないときは普通の服装にしたら? あっ、でも今日はその服装の方が好都合ね」
そうだったのか。てゆーか。この姿に慣れてしまっていた。危ない危ない。習慣化しないように気をつけないと。
「奥様は何か御用ですか?」
「もうそろそろお客さんが来るのよ。そう言えば、陸香を知らない? 今日は早くに帰ってくるように言っていたんだけど」
うっ。まだ帰っていないのだろうか。早退しました。とは言いづらくて、僕が黙っていると陸香の母は悩むような表情をしている。
「悪いけど、お客さんが来たら一緒に来てもらえないかしら」
「僕がですか?」
陸香の母に疑問をぶつけていると、黒くて妙に長い車が駐車場に入ってきた。図書室の図鑑で見た記憶があるが、リムジンとか言う奴か? その形状にダックスフンドを思い出す。
助手席から礼服を思い出させるような黒ずくめのガタイのいい男が出てきて、後部座席のドアを開けた。
も、もしかして、や、やのつく人々の方でございますか? 僕がビビッていると、車から出てきたのは馬の尻尾。いやいや、違った。馬の尻尾に見える金髪モヒカン頭の男。世紀末世界に現れそうなモヒカンではない。ソフトモヒカン程度だがどう見ても社会人のこの男に似合うものではない。絶対にやばい人だ。僕がビビッていると頭一つ分背が高い男は近づいてくる。
「君、新しい子?」
普通にショートヘアにして真面目そうな表情をしていれば、彫りの深いイケメンに見えなくも無い。しかし、いやらしい目つきで見つめてくるモヒカンは単に気持ち悪い。ここはさっさと逃げるべきだと思い陸香の母に視線で訴えるが首を振られた。
もしかして、僕は陸香の代わりに用意された人身御供の憐れな子羊ちゃん? ちょっと待ってよ。彼女いない暦更新は構わないけど、その前に彼氏が出来ちゃう? それはマジ勘弁してください。
「君の瞳に乾杯!」
うわ、この人、何言っちゃてんの? ウインクしてくるこの男。令和時代に生きていない。平成以前の昭和スメルが漂ってくる。やばすぎるだろ。そんなお前のあだ名は、その臭さから昭和スルメに決定。別に本物のスルメのように噛めば噛むほど味が出てくるなんてことは無さそうだけど。
「ところで、俺の陸香君は何処にいるのですか?」
「ごめんなさいね。学校が遅くなっているようなの」
「この俺が来る日に陸香君の帰りを遅くするなんて何て分かっていない学校なんだ。しかーし、いくら邪魔が入ろうとも俺と陸香君の愛を妨げることなど不可能」
モヒカンを撫で付ける男。いくら気取ってみても不気味に感じるだけだ。
「というわけで、今日のデートは君とすることにした。いつでも何でも好きなものを食べさせてあげよう。何なら、このまま結婚しても良い」
モヒカン男がさらに近づいてくる。ありえないだろ。陸香の母に表情で訴えるが、突如、逃がさないように肩を抱かれた。表情は笑顔。僕は笑えない。
助けて! と叫びたくなったその時にバイク音が聞こえてきた。音は徐々に近づいてきて姿を現す。僕を跳ね飛ばしそうなほど近づいた後でバイクは横滑りしながら石を飛ばしつつ停止した。
ゆっくりとヘルメットを外して出てきたのは、やはりオシゲだった。
「皆様、こんにちは」
「梓……」
モヒカン男が忌々しい表情でオシゲを睨みつけるが、それがどうしましたか、と言わんばかりに堂々としている。
「三条院様。本日はどのようなご用件でございますか?」
「許婚とデートしに来たって知っているのだろ?」
「そのような話を伺ったような気もいたしますが、まさか、週の初めからデートするなどとは思いませんので冗談かと思っておりました」
「冗談も何も、月曜日を要求したのはマイハニーの陸香君だよ。ちっとも問題ないだろ」
「勿論、構いませんが、お嬢様は如何なさいました?」
「どうやら、天地を切り裂くような運命が僕たちのデートを邪魔しようとしているらしい」
「そうですか。なら運命に従ってお帰りくださいませ」
「そうはいくか。わざわざ茨城まで来て手ぶらで帰れるものか。というわけで、そっちの巫女を紹介してもらおうか」
「三条院様の頭の中は二ヶ月以上遅れて本日が啓蟄のようでございますね。申し訳ございませんが、俊ちゃんを預かっている身と致しましては悪い蟲を寄せ付けるわけにはいきません」
オシゲは僕を抱き寄せて、無理やり頭を胸に押し付ける。背丈は同じくらいなので、背中が少し丸まって苦しい。でも、頬に軟らかいものが当たって、頭がほんわりとしてくる。
「えーい。そっちの俊子が駄目ならば、梓、お前だけでも触らせろ」
「汚らわしい。無理。ありえません」
「減るもんでもないだろ」
「三条院様。それは昭和の酔っ払いのオヤジの台詞です。セクハラです。令和時代にそんなこと公共の場で言ってはいけません。痴漢被害者に謝罪してください」
オシゲは優しく僕を横にどけるとコートの胸ポケットから糸のついた五円玉を取り出す。そして、手を伸ばして三条院の目の前に持っていき、あなたは眠くなーる。と繰り返し始める。
もしかして、催眠術? まさか、あんなのはテレビでやっているやらせだろう。僕はそう思いながらも、真剣にオシゲと三条院を見比べる。どう見ても催眠術なんてかからないだろと僕が言おうとしたその時、突然、三条院は後ろに倒れこむ。
すると、後ろに控えていたガタイのいい黒服がそのことを見越していたように体を受け止めた。
ありえへん。思わず関西弁を使いたくなるほど、ありえない状況だった。今時、五円玉で眠らされるなんて……。さすが、あらゆる意味で昭和スルメ。
「いつも、お疲れ様です」
オシゲがガタイのいい男に向かって頭を下げる。僕も釣られるように頭を下げると、彼は返事の代わりに僕より一回り大きな手を軽く上げた。そして、リムジンの後部座席を開くと荷物でも入れるように軽々と投げ込む。
いいのか? 眠っているとは言え、そんなにぞんざいな扱いをしてしまって。
男が助手席に乗り込むと、ダックスフンドはゆっくりと動き出す。
すると、陸香の母とオシゲは頭を下げる。僕もはっと気づいて同じように頭を下げた。
「もういいわよ」
陸香の母の声を聞いて僕はお辞儀の姿勢を戻す。二人を見ると笑っている。
「奥様、酷いですよ。僕を生贄にしようとして」
「そんなこと無いわ。千波君。それは誤解。単に巫女姿の方がモヒカンに気に入られると思っていただけ」
同じことじゃないですか。僕が膨れっ面をしているとオシゲがポンと肩を叩く。
「ご飯にしませんか?」
「着替えてからでいいですか?」
僕が訊くとオシゲが優しい目をしながら口元を緩めた。すると僕の怒りも段々薄れていく。僕は自分自身が何て単純な人間なんだろうかと笑いたくなる。でも、単純な人間の方が幸せなのかもしれない。
そう思いながら僕がアパートの自室に向かうと三毛猫の親子が前を横切る。別に、黒猫じゃなければ縁起とは関係ないんだっけ? 意味もないことを考えていると、ふと、母さんの姿が瞼に浮かんできた。目を擦りながら、明日、帰りに寄ってみようと考えながらジャージに着替えなおした。
ジャージ姿の気楽な気持ちで台所に行くとオシゲが待っていてくれた。
「一緒に食べましょう」
「オシゲさんはどうして皆さんと一緒に食べないんですか?」
「そこが、けじめだと思っているのです。メイドとしての」
冗談かな。と思って軽口を叩こうとした。しかし、オシゲは真面目な表情をしていたから僕は言葉を失う。
沈黙の時間が辺りを支配しようとしているのを感じて僕は話題を探す。
「今日のモヒカンは一体何なんですか?」
「悪の軍団です。練馬から世界征服を狙っています」
オシゲはすこぶる真面目な表情で僕を見つめてくる。
「いやいや、ありえませんから」
僕はこの時点でオシゲは冗談でもそうでなくても真面目な表情で話す場合があるということを再認識する。しかし、モヒカンの方が僕は気になっていた。
「本当のところは?」
「モヒカンと桃缶。食べごろはどちらでしょうか?」
「いやいや、話が進みませんって」
多分、中辛のカレーを口に頬張る。集めの柔らかい肉が口の中に広がっていく。僕は口を開けながら、はふはふと息を吐く。
対照的に、テーブルを挟んで座っているオシゲは熱いのをあまり苦にしないで食べている。水を一口ごくりと嚥下すると、いたずらっ子の表情を浮かべる。
「それじゃあ、別の質問にします。この間、つくばのインドカレー屋に行ったとき、中辛を頼んだら、凄ーく辛いカレーが出てきました。何故でしょう」
「インド人にとっては、それが中辛だったってオチじゃないですか?」
「ぶぶー。違います。インド人は中辛を超辛と聞き間違えたのでした」
「何で超なんて言葉を知っているんですか。そのインド人」
「しかも、食べられませんから交換してください。って言ったら、インディアンマジックを信じて食べろとか真面目な顔で説得してくるのですよ。マジックだろうが何だろうが、辛くて食べられませんから。常識的に考えて」
「オシゲさん。あまり話を作るとインド人に怒られますよ」
「インド人にビックリですね」
「その台詞、三条院さんっぽいですね」
「ふむ。無理やりつなげましたね」
「だって、モヒカンが気になるじゃないですか。やっぱり」
オシゲは僕の顔をじっと見てから福神漬けをカリコリと食べる。
「あのモヒカンに意味はありません」
「えっ? どういう意味ですか。モヒカンってパンクでファンキーじゃないんですか?」
「反社会的とかじゃありません。貴方はモヒカンが好きになる。って催眠術をかけちゃっただけです。てへっ」
「マジ、それ、ありえませんよ」
「お嬢様もモヒカンは怖いよねって……」
それって、ほとんどオシゲのせいじゃん。喉からその言葉が出てきそうになるのを我慢する。
「それはそうと、三条院さんが許婚がどうとか言っていましたが」
「お嬢様とモッヒーは許婚の関係なのです」
いろいろと突っ込みどころが満載だが、そこはあえて無視をする。
「一体全体、どういう経緯でそうなったんですか?」
「ちょっと複雑なんですけど、後鷹司家当主は神社の宮司であるとともに、後鷹司物産という株式会社の筆頭株主兼社長なのです。神社のほうは宗教法人で守られていますが、物産の方が狙われているのです。伝報ホールディングスに」
「伝報……に狙われている?」
「伝報ホールディングスはモッヒーの父親が社長をしている会社です。三条院財閥のコネと金を使って作り上げた金融会社です。そこに親戚筋でまとまった数の株を売っちゃった人がいまして、そのせいで取締役に入られたり、隙あらば増資してこちらの保有比率を下げようとしたり、吸収させようと画策してみたりと何かと大変なのです」
「よ、よく分からないですが、狙われていると言うことは分かりました。で、それと許婚とどう関係があるのですか?」
「お嬢様を気に入っているようですから、物産へ圧力をかけながら婚約を要求しているのです。向こうにしてみれば結婚すればおまけで財産も入るかもしれませんし一石二鳥です」
「拒絶することは出来ないのですか?」
「一方的に向こうが言っているだけなのです。でも、土地も株も厳しい状況ですから、簡単に跳ね除けるほどの強さは無いのです」
「なら、お嬢様の気持ちは関係ないって言うんですか?」
何やら嬉しそうに口元を歪めているオシゲを見て、思わず声を荒げてしまった自分に気づいた。視線を逸らせて暖かい緑茶を飲む。
「その気持ち大事にしてくださいね」
オシゲは立ち上がり食器を片付け始める。僕も手伝う。その食器を洗い終えた時点で部屋に戻るように指示される。
「何か仕事がありましたらやりますけど」
「気にしないでください。俊ちゃんはメイドじゃなくって巫女ですから神社のことだけちゃんとやってくれれば十分です」
明日も早いから僕はその言葉に甘えることにする。お勝手口から出ようとしたところで、ふと一つだけ思い出した。
「今日遅いって言われていませんでしたか? どうして早かったんですか?」
「モッヒーが気になったから五限サボっちゃいました」
陸香がふけるのは予想範囲内だろう。ならオシゲが早く帰ってきたのって、やっぱり僕のためなんだよな。適当そうに見えてやっぱりいろいろと考えてくれているんだ。
僕は食器の片づけをしているオシゲの後姿を何も考えずに見つめる。すると、その視線に気づいて、オシゲは話しかけてくる。
「早く行かないとお風呂を覗きに行きますよ」
オシゲは振り向いて両腕を組む。冗談なのか本気なのか分からないので、慌てて外に出る。犬の鳴き声がアパートの裏のほうから聞こえてきた。春の夜はまだ寒いと感じながら、僕は自室へ向かった。
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