第7話 空に吠える

「私の両親は事故で亡くしまして、その時、子宝に恵まれていなかったお嬢様のお父さんとお母さんに神様のお恵みとして引き取られ育てられることになりましたのですよ。働いているのは、ここまで育ててもらった恩返しですね。恩返しする鶴には負けたくありませんから」

「すいません。余計なこと訊いてしまって」

「構いませんよ。私たちの関係で秘密にしておくことはありませんから」


 オシゲはお茶をズズズと飲んで、ふぅ。と息を吐く。そして、平静を保った表情をしつつも、突っ込んで欲しそうにチロチロと視線を動かす。だから僕は意地悪な気分になって、そのことに突っ込まないで他の話をする。


「だから、メイド服を着ているのですね」

「いいえ。メイド服は単なる趣味です」


 予想はしていた。だって、どう考えたってメイド服と神社との関連性なんて無いから。完全に場違い。って感じだし。僕は呆れた表情をしていたのだろう。オシゲは弁明してくる。


「いいじゃないですか、趣味で着ていても」

「そりゃ、悪くないですけど」

「ほら、汚れてもいいのがメイド服ですし」


 確かにそういう目的のために作られたのであるから、使い方としては正しいと思う。


「オシゲさんはメイド服にこだわりがあるんですね」

「それほどでも」


 えっ? 否定するんですか? 否定しちゃうんですか? 僕がフォローしようとしているのに。


「でも、俊ちゃんが巫女姿に固執する程度にはこだわりがありますけど」

「いやいや、僕は巫女服にこだわりがあるわけじゃありません」

「ですよねー。巫女姿が好きなんですよねー」

「違いますって」

「似合っていますよ。私が男なら速攻でプロポーズします。絶対に」

「でーい。どうして僕が巫女服を着ないといけないんですか」

「いいじゃない。可愛いのですから」


 暖簾に腕押し。でも、ここで引き下がったら、一生巫女服を着ることになる。


「そもそも後鷹司さんは巫女服を着ることを承知しているのですか?」

「勿論です。旦那様も奥様も巫女服が似合うバイトが欲しいとおっしゃっていましたから」

「ちょっと待った。それは、女の子のバイトを雇うのが前提だったんじゃないですか」

「俊ちゃんが男の子で残念です。でも、大丈夫です。男の娘の方が良いって方もいます」


 おかしいよ。絶対に何か間違っているって。僕はどう反論するか考えるが上手い言葉がでてこない。

 もう少しで何か説得できるような言い方が出てくる。と僕が思った瞬間にオシゲは立ち上がった。


「そろそろ行きますね。仕事も残っていますし」

「ご馳走様でした。いろいろなお話が聞けてよかったです」

「私もお話が出来て嬉しく思っています。巫女姿が似合う俊ちゃんと」


 そこまで巫女服を引っ張りますか。僕は言い返そうとするがオシゲは手際よく急須や湯のみをお盆に載せて社務所を出て行く。

 僕は両手を伸ばしてテーブルの上に突っ伏す。それから手をテーブルの下へぶら下げ、顔を起こしあごで頭を支えながら溜息をついた。


 このまま、のんびりとしていたら間違いなく僕はここにいる限り巫女服を着せられてしまう。早めに何とかして神主の服装をさせてもらえるようにしなくては。そうでなければ普段着にさせてもらうか。


 それ以前に、どうして巫女服を着たくないのか? そこから始めるべきであろうか。まず、巫女服を着たくないのは僕が男性であって、自らもそう考えていて、女装したくないと思っているから。ここは認めてもらおう。いや、常識を認めてくれそうに無い人がいるけど。


 次に、誰かに巫女姿を見られたら困る。恥ずかしい。というのもあるが、知り合いに見られたならば、近所、学校内にパンデミック並みの勢いで情報が拡散して猛威を振るうこと間違いない。


 いや、それだけならまだしも、巫女姿をしていたと言うだけで、女装趣味がある。実は、女装コスプレマニア。本当の姿はコスプレイヤーとして生計を立てている悪の秘密結社の総帥。という間違った噂が広がりかねない。


 悪の総帥として知られてしまったならば、道を歩いていたら大人からは悪意の視線で見られ、子供達からは石をぶつけられるかもしれない。みんな、悪の秘密結社だからって、悪いことをしているとは限らないじゃないか。裁判所で判決が出るまでは。


 ちっぴし涙が出てきた。やっぱり、いつまでも巫女服を着ているのはよくない。参拝客を騙しているような気がするし、巫女マニアの写真小僧も真実を知ったら血を吐くまで怒り狂うだろうし、トランスジェンダーの方に対しても失礼だし、そもそも僕自身が望んでいない。


 よし、直訴だ。直訴しかない。そう考えると段々とやる気が出てきた。僕は座りなおす。

 姿勢を正すと視界が広がり境内の様子が先程より見える。

 僕が無意識に眺めると、見知った一人の少女がゆっくりと歩いていた。陸香だ。

 こちらから見えるようになったということは、石畳を歩いている陸香からも僕の表情が見えるようになったということ。

 陸香はテレパシーでも感じたかのように、こちらを向いた。僕と目が合うと陸香は立ち止まる。十メートル近く離れていたが、お互いの表情は不思議と理解できた。

 話すことなど何もない。お互いに気まずいだけ。だから、そのまま立ち去るかと思っていたが、陸香はゆっくりとこちらに近づいてくる。


「こんにちは」


 僕は、こんにちは。と挨拶をしてから口ごもる。謝らなきゃいけない。判っているのだが言葉が出てこない。圧倒的な彼女の存在感が僕を沈黙させている。それでも、一言でもと思い口を開いた瞬間に、陸香は僕を射すくめる。


「昨日はごめんなさい。貴方が先にお風呂に入っているとは知りませんでしたので」


 落ちついた言葉と花の香りが僕を包み込む。呆然としそうになるが、我を取り戻して謝罪の言葉を口にする。


「こちらこそ申し訳ございません。勝手にお風呂を使わせていただきまして」

「気にしないでください。どうせ姉さんが企んだことでしょう」


 そうだ。全部オシゲが悪い。裸を見られたのも、生足で象さんが蹴られたのも、日本経済が停滞を続けているのも。喉まででかかったその言葉を我慢する。


「でも、オシゲさんも勘違いしただけですよ。きっと」

「知っていてに決まっています」

「そうかもしれませんが、悪気は無いと思います」

「当たり前です。彼女なりの理由はあるのです。ただ、一般常識とずれているのです。仲良くなるためには、お風呂での裸の付き合いが一番だとか」

「それ、絶対に意味が違いますよ」


 冗談で言ったのかと思って軽い口調で言ったのだが、陸香は耳をほんのりと紅くさせている。もしかして、馬鹿にされたと思ったとか。そんなつもりはないのだが。


「それより、千波君はどうして巫女姿になっているのですか?」


 忘れていた。自分が巫女になっていることに。校内のアイドルを目の前にして舞い上がりかけていた気持ちが次第に沈んでいく。


「まさか、自分からその服装を希望したわけではありませんよね? どうせ、オシゲに上手いこと言われたのでしょう。安心してください。貴方のことに興味はありませんし、余計なことを言いふらすつもりもありませんから」


 そう言って話は終わったと陸香は立ち去ろうとする。


「どちらへ行かれるのですか?」


 世間話の延長のつもりだった。その程度の気持ちで質問したのだがこちらを振り向きもしない。そして、尖ったような口調で返事をする。


「貴方と私は関係ありません。お互いのことを詮索するべきではありませんし変な噂が立たないようにしましょう」


 何か怒らせるようなことをしたのだろうか? たった二日だと言うのに思い当たることが沢山ありすぎて分からない。僕は立ち去る陸香を目で追いながら溜息をつく。

 陸香について現時点では特別な感情は無い。多分、無いと思う。同級生で一番前の席に座っていて、授業中に疲れたときに黒板を見る振りをして彼女を見て癒される。テレビでアイドルを見て心が洗われる。そんな程度の感情しかない。

 それでも、ちょっとは期待するものがあったのだ。少しは仲良くなれるのではないかって。下心とか全く関係なく横に並んでお札やお守りを売ったり一緒に通学したりしたら楽しそうだと。

 自分の立場すらわきまえずに夢を見ていたんだ。ごめんなさい。所詮、僕は雇われ巫女の身。お嬢様と仲良くなろうなどと言うのは夢のまた夢。身の丈にあった生き方を選ぶことにするよ。

 複数の犬の鳴き声が聞こえてきた。思わず僕も吼えたくなる。

 ぱおーん。

 余計に悲しくなっただけであった。

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