第6話 初めての日曜日

 日曜日は日差しも柔らかく暖かかった。僕は今日も罰ゲームのように巫女服を着させられた。その格好のままで境内を掃除し、その後で社務所に行きお札やお守りの販売兼祈祷依頼者の受付を行う。難しいわけでも身体的に厳しいわけでもない雑用だ。


 働けることに感謝しないといけないとはわかっている。ただ、普通のバイトのように判りやすくないところが微妙。時間で区切られていない代わりに住居も食事も一緒についてくる。曖昧な状態。今のところは居心地が良いように思える。昨日のことさえ思い出さなければ。


 僕の脳裏にお風呂場での出来事が浮かんできた。考えると胃がキリキリしてくる。呼吸が荒くなるのが自分自身でもわかる。あれは幻だ。現実じゃない。さっさと忘れよう。そう唱えながら僕は社務所のガラス戸の鍵をかけて離れる。そして転ばないようにゆっくりと従業員用のトイレに向かう。


「パパ。来月分を前借してもいい?」

「三万でいいのか?」

「ありがとう」


 盗み聞きをするつもりは無かった。だが、聞こえてきてしまったものはどうしようもない。声からして間違いなく陸香と父親の会話だ。おねだりをしていたのだろう。その甘えるようなわざとらしい声が鼻についた。


 気分が悪くなってきた。イライラしてなにかに当たりたくなってくる。自分の境遇と彼女を比べても無意味だ。そんなことは分かっている。けど、労せずお金をもらえる陸香にムカついた。しゃしゃり出て行ってお金の大事さについて説教したくなった。


 夕食がご飯とメザシ一本だったことがあるのか? テレビのほうを向いた瞬間に自分のおかずを姉にかっさらわれたことがあるのか? 好物を残しておいたら知っているくせに「嫌いなの?」と食べられてしまうんだぞ。関係ないが猫マンマは、どんぶりでやるのが正解だ!


 ぜいぜい。やばい。一人で興奮してしまった。


「社務所の鍵を閉めてからきましたか?」


 トイレから出てくるとオシゲがいた。バケツと雑巾を持っている。トイレの掃除にでもきたのだろうか。

 僕が大丈夫です。と言いながら社務所に戻ろうとすると呼び止められた。僕の顔を覗き込むようにして見つめてくる。


「な、何かついています?」

「その格好でトイレするの大変じゃないですか?」

「大変ですけど、無理やりこの格好させているのはオシゲさんじゃないですか」

「私もたまには巫女服着てみようかしら」


 会話になっていない。相変わらずオシゲは自分の喋りたいことだけ言葉にするようだ。僕が肩を落としたまま歩いていくと、トイレのドアが開く音が聞こえた。

オシゲの仕事は家事一般だ。掃除、洗濯、料理などなど。難しいわけではないが尽きること無い仕事だから楽ではない。今朝、とても忙しそうなので洗濯のときに僕も手伝おうとしたが、オシゲは「お嬢様が怒ると困りますから」と言って白いパンツを目の前でヒラヒラとさせた。そのパンツを干すと、今度は女性が胸に着けるものを両手でもって僕に見せつけながら、「白いたち様です。頭にかぶってみますか?」と笑いかけてくる。他の人に見られたら大変だ。僕は慌てて逃げ出した。


 触ってみるくらいはオッケーだったか。僕は社務所に入ってから受付に座る。小窓を開けてから無気力に外を眺めるが人通りはほとんどない。もう少ししたら七五三の時期になるのでその時は大変らしいけど、今日は暇そのものだ。あまりにも退屈なので英語の単語帳を開いてみた。


「休憩しませんか?」


 いつの間にか、オシゲが後ろにいた。ポッキーを持っている。突き出された箱の中から僕は一本取り出して観察する。


「どうしたのです?」

「いえ、おやつを食べるのはいつ以来かと思い出していたんです」


 突然、オシゲに頭を撫でられた。どうしたのだろうかと見ると笑っている。


「食べましょ」


 横に座ったオシゲは自分の持っていたものをネズミのようにガリガリかじって一瞬で食べてしまう。これはまずい。全部食べられてしまう。と、僕も必死で食べる。


「大丈夫ですよ。ちゃんと俊ちゃんの分もありますから」


 しまった。いつもの癖が出てしまった。貰っている立場なのに。思わず視線を天井に向けてしまう。


「お茶も用意しました」


 湯気と緑茶の匂いが鼻孔を満たす。飲むと冷えていた体が温まる。すると、特に理由もなく表情が緩む。


「先ほど、言いそびれたことがありませんか?」


 オシゲが話を切り出した。見破られていたか。僕は目を逸らしたままで質問をする。


「お嬢様のお小遣いって三万円ですか。それって多くありませんか?」

「それがどうしたのですか?」


 オシゲの口調は優しかった。だが、その言葉に威圧されるような気がする。


「いえ、別に聞いてもらいたかっただけです」

「俊ちゃんの気持ちは分かります。私も悩んだことがありますから。でもね、お嬢様にも理由があるのです」


 きっと大した理由ではないだろう。だから、わざわざそれ以上は訊かなかった。それに言えるようなことならば、そんなもったいぶった表現をしないだろう。沈黙に包まれて気まずくなってきたので僕は話題を振る。


「そう言えば、オシゲさんはどうしてここでバイトしているんですか?」

「?」


 オシゲは何故か首をかしげる。


「私、バイトじゃないですよ」

「あっ、すいません。正社員だったんですね」

「いいえ、お金は貰っていません。養ってもらっているだけです」


 今度は僕が首をかしげる。


「ふふふ。私の話を聴きたいんですね?」


 そう言われると天邪鬼な考えが横切って、聞きたくない。と言いたくなるのだが、オシゲは勝手に話を始めた。

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