第5話 最後のカラマックス ③



 俺の転職先は結局飲料メーカーのツバキに決まった。俺には配属先の部署も含めていくつかの選択肢があったが、一番待遇の良かった会社と部署の組み合わせを選んだ。待遇とはもちろん給料のことで、海老時代よりも唯一給料が上がる選択がツバキだった。だからそれはほとんど選択とは言えず必然の結果だ。俺はプロアスリートではないので、自分が思い描くサッカーを展開しているチームの好きなポジションで活躍して優勝する、などというややこしい理想を追い求める必要はなく、毎月満足のいく給金が支払われることだけが重要なのだった。

 ツバキの宣伝部は海老に比べて大規模で組織が整っており、属人的ではなく上下横の連携の仕組みがしっかりしていた。部の人員も海老の倍以上の編成だった。そして働き始めてすぐに気が付いたが、優秀な人間もやたら多い。ただでさえ自社について何も知らないところから始まるビハインドに加えてそれなので、給料を貰えればそれでいいという労働姿勢の俺であっても、やむを得ず必死に働かざるを得なかった。

 俺は大規模な宣伝プロジェクトの担当になった。乳酸菌飲料の超長寿ブランド、ミノッタのリブランディングプロジェクトである。無論ツバキにとって俺はぽっと出の新参者に過ぎないので、役割はリーダーではなく補佐としてだが、なかなか歯ごたえのある仕事だった。ミノッタは発売開始から100年が経つという桁外れのロングセラー商品で、完全にマーケットが成熟しきっている。商品認知度は95%を超え、利用経験も90%を超えるというコカ・コーラやカップヌードルに匹敵するほどの超定番商品だが、日本全体の人口動態の変化につられる形で近年の売り上げが微減傾向にあり、比較対象となる商品群が未だ成長を続けるのに比して、マーケットでの存在感が薄くなりつつある。

 規模はデカいが、よくあるロングセラーブランドの悩みだった。減価償却など遥か昔に片が付き、宣伝をやってもやらなくても大して売り上げが変わらないように見える、放っておいても優秀な稼ぎ頭となる商品は結局のところ、いつか衰退していく運命にある。江戸幕府から明治政府に移行するのが大変だったのと同じで、平和な時代が長く続けば続くほど自己変革は難しくなる。現実の脅威は、黒船のようにいきなりはっきりした形で現れるものもあれば、徐々に温められた湯の中で逃げるタイミングを逸したカエルを殺すようにじわじわ蝕むものもある。ミノッタは後者のゆでガエル状態で、そろそろ何とかしないと死ぬ、というのが今だった。

 プロジェクト会議は難航した。広告代理店から上がって来る提案は、若い世代に人気の俳優・タレントを起用してCM展開するという既存のプロモーションイメージから脱却できない無難なものばかりで、劇的にミノッタのイメージを変革、向上させるものとは思えなかった。無論それはオリエンを行った我々ツバキ側の責任でもあった。本気で変える気なら、そういうオリエンをするべきなのだ。漠然とした、定番ブランド的な安心で安全でさわやか、というイメージに全員が縛られていて、新しい提案が出てこない。

 社内外での会議の結果、俺達は外に目を向けることにした。この数年、ミノッタは海外での成長が著しいが、国内にはそのイメージがまだない。グローバルで勢いのあるブランドであるというイメージの向上。これを主眼に置いたプランで戦略を練り直すべし、と俺達は再オーダーを行った。

 数週間後の会議で、広告代理店はプランを練り直して再提案をしてきた。A案からD案まで、有名漫画家の起用やCGIを駆使した企画や大量のユーチューバーを起用した企画などなどそれなりに創意工夫を凝らした楽しげなものが並んでいて、海老に比べてずいぶん潤沢に宣伝予算がある会社だ、と改めて今の自社の規模に感心した。

 最後のE案ですが、とプランナーは言った。「申し訳ありませんがまだ出演可否の裏が取れていないオプションです。でも起用できるなら彼女がベストと思い、ご紹介させていただきます」

 企画書にはステージの上でマイクを持って歌う、美しい女の顔写真がプリントされている。遥か遠くを見つめるその表情は、少女のようにも成熟した女のようにも見え、インクジェットの印刷からも、ほとばしるような全身の輝きが伝わって来る。俺はこの女を知っていた。数か月前に、イーアで会った。いきなり海老の倉庫オフィスに現れた彼女は、人間というより妖精のように見えた。

 それはアム・リアだった。

 アム・リアか、と今の俺の上席の城崎がため息とともに言った。「凄いけど、どれほど金が掛かるのかも分かんないよね」

 広告代理店のディレクターが頷いて、まだエージェントから返答もない状態です、と言った。「しかしツバキに強い興味を示しています。彼女はビッグネームなので各企業からの引き合いも多いですが、問い合わせても反応があることはほとんどありません。しかし今回はアム・リアサイド側からの打診がありました。ツバキの話ならば一度聞いてみたいと言っているのです。クライアントの反応が知りたいから、興味があるならツバキから直接連絡をしてほしい、と。非常に珍しいケースです」

「海外タレントに直接コンタクトを取るようなノウハウはうちには無いよ」と城崎は言った。

 俺は口を出すかどうか迷った。だが言わざるを得ないと思って、結局は口を開いた。

「私はアム・リアに会って話したことがあります。社長の連絡先も知っています」




 俺は宣伝の仕事に関わっているくせに、芸能事情に疎い。だから、アム・リアが俺がイーアに行く前からイーアと東南アジアの周辺で既に抜群の知名度を持っていたことは知らなかった。だが、この数か月で彼女が日本も含めた世界規模のディーバと呼ぶべき存在に成長しつつあることは知っていた。クーデターが起こった時、彼女はプロモーション活動でタイを訪れていたため混乱を避けることができた。彼女はその後も情勢が落ち着かないイーアに戻らずに海外での活動を続けた。それが功を奏した。もともと繋がりがあったカナダ人歌手とのコラボレーション楽曲をYouTubeで発表すると、短期間のうちに5億回視聴という再生回数を達成した。アメリカの批評サイトが選ぶ「世界で一番美しい顔」でも2位になった。

 俺は彼女に一度だけ会った時のことをよく覚えていた。たぶん、忘れられる人間はいないだろう。シンプルな美しさは勿論のこと、体を構成する粒子の一粒一粒の彩度や精度が常人と異なる感じで、普通の人間ではないということは見れば誰にでも分かる。ああいう種類のアーティストや俳優はいま日本にはいない。今の日本では、基本的に普通の人間である、というアピールと共感から入っていかないと誰にも愛されない。彼女のようにひたすらに美しさと才能の圧力で押しまくるタイプは余程のスターでないと受け入れられない。

 俺が、以前彼女に会ったことがある、と言った時、会議に参加する全員が俺に注目した。それはたぶん全員にとって唐突過ぎた。俺がそれまで会議であまり発言しておらず、ツバキの社員も広告代理店のプレゼン参加メンバーも、俺という人間のキャリアや為人を知るものはほとんどいない状態だったから尚更だ。俺は端的に、過去に短期間イーアに出張した時に、当時の担当商品のマーケット調査をしているときにアム・リアとその事務所から直接訪問を受け、日本で宣伝をする機会があったら必ず声を掛けて欲しい、と社長から売り込みを受けたことを話した。

 もちろんその結果、アム・リアの事務所に連絡を取る役目は俺が負うことになった。物は試しで、断られたところで別の宣伝手段を考えるだけのことだ。俺は社長のメールアドレス宛にメールを打った。転職した俺の現状と、ミノッタの日本国内の宣伝にご協力いただきたい、という趣旨を日本語で一通り書いて、いつものGoogle翻訳にアシストしてもらった英文で送った。代理店の方で翻訳家を雇ってそこから送った方がいいのではないかとも思ったが、キャスティングは信頼関係がすべてなので才川自身から送る方がいい、と城崎と代理店に諭された。

 メールの返信は2時間後に、日本語で返ってきた。


 才川様


 大変ご無沙汰しております。その節は大変お世話になりました。お元気でお過ごしでしょうか。

 この度はご連絡ありがとうございます。ぜひ前向きに検討させていただけますでしょうか。企画や契約の内容について、お打ち合わせの場を持たせていただければ有難く存じます。当方の担当は日本語を解しますので、今後は日本語でご連絡いただいて問題ございません。

 才川様との縁が続くことを心から嬉しく思います。

 


 流暢な日本語だった。差出人はアム・リアの事務所名になっている。だが、直感的に俺はこの文章を書いたのが誰か分かった。

 ジエンだ。

 おそらくは間違いなくそうだ。これほど滑らかに日本語を書ける人間が、イーアに何人もいると思えない。真夜中の大野球大会が行われ、海老イーア支店が機能を停止してから、どういう経緯をたどってそうなったのか分からないが、ジエンはアム・リアの事務所で働くことになったのだ。外注されたのであればこのスピードでの返信は無いだろう。俺はメールにどう返信しようか迷った。君はジエンなのか、今どうしているのか、と書くべきかどうか。しかし止めにすべきだった。返信は事務所の名義で来ているのだし、俺は相手が彼女だと確認したところでそれ以上語る言葉を持っていない。俺は詳しい打ち合わせをしたいので広告代理店とともにWeb会議の場を設けさせてほしい、日時の候補は追って連絡するとだけ返信した。

 その後のやり取りの結果、Web会議は3日後に設定された。参加者はアム・リアの事務所側は、社長とマネージャーと通訳担当の三人。こちらは広告代理店のディレクターと営業と通訳と城崎と俺の五人だった。しかしこちらの通訳は一応用意しただけで、英語しか話せない。おそらく一般的なビジネスの進め方に則るならば、我々ツバキと広告代理店側もイーア語を話せる人間を用意すべきだったが、そんな都合のいい人材は日本にいない。最終的な齟齬は英文の契約締結時に埋めるしかない。

 定刻、日本側はツバキの会議室に集合して各々ノートPCを開いてWeb会議を立ち上げた。八つに画面が分割されたWeb会議が始まってすぐ、俺は社長とマネージャーの顔を確認した。もちろんそれは、王様にカラマックスを50万袋納品するために四苦八苦しているときにいきなり訪れた社長とマネージャーと同一人物だった。俺はイーア語で久しぶり、を何と言うか知らなかったので、ロングタイムノーシー、と言った。だが二人の顔を見たのはその一瞬だけだった。俺を含めて日本側の参加者の全員の視線はすぐに、もう一人の人物の画面に集中した。

 その人物はドラえもんのお面を着けていた。髪は短髪で、男か女か分からない。

 社長は笑顔を浮かべて、ひさしぶりです、と日本語で言った。

「お久しぶりです、社長」と俺は笑顔で頷き返しながら言った。「お忙しいところお時間を頂きありがとうございます。よろしくお願いします。お言葉に甘えて、本日は日本語でお話しさせていただきます。まずはこちらの参加者を紹介させていただきます」

 そして俺は順々に参加者の社名と担当分野と名前を紹介した。俺に名前を呼ばれた人間がその都度、よろしくお願いします、と言って会釈する。社長とマネージャーはあの日と同じ柔らかい笑顔を浮かべ続け、ドラえもんは微動だにしない。その間に、隣に座っている城崎が俺の肘を軽くつつき、付箋に書かれたメモを回してきた。「あのドラえもんは何だ?」。俺は小さく首を横に振りながら、ジエンだ、と思った。あのドラえもんのお面は俺があの日最後に彼女に渡したやつだ。

 社長とマネージャーはそれぞれ、社長のリドーです、アム・リアのマネージャーのシタロです、と言った。ドラえもんは引き続き無言のままだった。数拍待ったが、社長がドラえもんを俺達に紹介する気配はない。

 企画の趣旨を、私とディレクターが分担して説明させていただきます、と俺は言った。そしてまず俺からミノッタがどのような商品なのか、概要を説明し始めた。画面共有したパワーポイントのスライドは、ミノッタの商品写真やグラフとともに、日本語と英語が併記されている。俺が適当なところで説明を切ると、ドラえもんはついに動き、横にいるのであろう社長に向けてイーア語で話しかけた。声がよく聞こえないが、社長はそれに深く頷いた。

 ミノッタは今度の6月に商品リニューアルを控えており、そのタイミングでリブランディング施策を開始しようと計画しています、と言って、俺は自分のパートの説明を終えて代理店のディレクターにバトンタッチした。ディレクターは今回の広告は「100年目のリ・バース・デイ」となると語った。誕生から100歳の誕生日を迎えるミノッタはこの機に商品内容とパッケージデザインを刷新して生まれ変わる。そして次の100年を目指すべく、イメージを変える。アジア市場全体を見据えて宣伝もグローバル展開を行っていく中で、アム・リアさんをイメージキャラクターに起用したい。具体的には、ミノッタの誕生日パーティを行いたいと思っている。ディレクターはそう言って、CM企画コンテを画面に映した。

 とある通りをアム・リアが歌いながら画面中央を手前に向かって歩いてくる。彼女は歌っていて、大勢の若者たちを左右と背後に従えて楽しげである。祝福のクラッカーが割れて紙吹雪が舞い、100歳の誕生日おめでとう、の垂れ幕が頭上にかかる。「100年目のミノッタ、生まれた」のキャッチコピーが画面に大きく被さり、アム・リアがミノッタのペットボトルを飲むカットで終了。

 極めてシンプルなCMだ。

 これと同時期に、誕生日になぞらえた様々なキャンペーンをSNSや店頭で展開予定です、というディレクターの説明を、社長もドラえもんも既に聞いていなかった。ディレクターの企画コンテ説明の後半から、二人は小声のイーア語でやり取りを始め、ディレクターが説明を完全に終えた後も話し続けていた。

 俺達はそれを見守った。広告代理店の二人は落ち着かないように見える。

「質問があります」

 ドラえもんが日本語でそう言った。ディレクターが頷いた。俺も頷いた。そして無表情のまま、心の内の眉間に皺を寄せた。間違いなくジエンの声だ。

 何故名乗らない?

「撮影場所はどこですか?」

 皆様とご相談のうえで今後調整予定です、とディレクターは言った。「アム・リアさんのご都合に合わせて、場所は調整する予定です。日本が望ましいと思っていますが、ご要望によっては国外となることもあるだろうと考えています」

「当然日本になるでしょう」とドラえもんが言った。「お伺いしたいのは日本のどこかということです」

「候補は検討中です。東京都近辺で、撮影可能な象徴的な通りを探しております。六本木か、表参道か、横浜か」

 ディレクターがそう言うと、ドラえもんは社長に翻訳せずにすぐに日本語で質問を返してきた。

「企画コンテを拝見すると、アム・リアとともに通りを歩く人々の数は、せいぜい数十人か、百人くらいに見えます。その程度ですか?」

「まあ、大体百人くらいの予定でおります」

「これはビッグブランドの100周年と新生を祝うCMですよね。それにしてはあまりにも規模が小さいように見える」とドラえもんは言った。「私達は日本のニュース映像で見たことがあります。オリンピック選手や野球選手が、銀座の中央通りをパレードする様子を。あそこでああいう撮影をすることはできないのですか?」

 そ、う、で、す、ねー、と一音一音区切ってディレクターが言った。「許可を取るのが難しいという問題と、あれほど大量のエキストラを集めるのが難しいという問題があり」

「今回は、アム・リアにとって初めての日本の企業広告出演になります。できるだけ豪華に、堂々とやりたいと思います。これでは足りない。パーティでは足りないと思います。ミノッタ100周年とアム・リアのCM初登場。それはパーティではなくフェスティバルであるべきです。企画を再考することは可能ですか?」

 ドラえもんは傲然とそう言った。顔が見えないが、数か月前に王宮でびくつきながら俺の日本語を長官に向けて翻訳していた時の声色とは全く違う。

 ディレクターと営業担当は俺と城崎の方をちらちら見てくる。

 俺は頷いた。

「予算の問題が解決しないと何とも言えません」と俺は言った。「アム・リアさんの広告契約出演費をまだ存じ上げませんので、そのご相談をまず差し上げる必要があります。企画を再考するにしてもその金額を参照して我々の総予算に合わせる必要があります。ただ、いずれにしても我々はトヨタやソフトバンクではありません。予算はそこまで潤沢ではなく、皆様が望まれるような大規模なCM制作がどこまでできるかは、この場では何とも言えません」

「契約金は1000万円でご提案します。あとは全て広告制作費に回してください」とドラえもんが言った。

 1000万円ですか? とディレクターが言った。「失礼ですが言い間違いではなく1000万円ですか?」

「言い間違いではなくゼロが七つの1000万円です。アム・リアのクラスの契約金としては極めて破格だと分かっています。もちろん、ツバキ様だけに特別に適用する金額です。通常ならば2億円です」

 それは、大変ありがたいご提案です、とディレクターが言った。「ツバキ様とともに企画を再考するにあたっても大いに予算上の余力が生まれます」

「その、企画の再考ですが、それについても我々からご提案があります」

 ドラえもんはそう言って、Web会議上で一つの画像を画面共有した。

 顔半分に薄い影が掛かるアム・リアの微笑みがクローズアップされた絵に、巨大なフォントでこう書かれている。


  AM=RIA IN KOSHIEN


「我々は3月に、甲子園球場で日本初のライブを行います。チケットは勿論ソールドアウトしています。これをCMの舞台にしていただくというのはいかがでしょうか。4万人の観衆とアム・リアが一斉にミノッタを飲んで、その誕生日を祝う様を撮影するのです。それにあたって皆さんに負担していただくお金はCM用の演出に関わる制作費と、4万人分のミノッタの現物だけです。よく分からない道端でよく分からない数十人が行進するのに比べ、遥かに迫力と説得力を持った映像が撮れると思います」




 アム・リアをミノッタの広告キャラクターに起用することとその全体企画案が、役員会の決裁を経ると、広告代理店と城崎と俺は、実施に向けた準備に追われる日々を過ごすことになった。広告宣伝はCMを作って終わりではなく、パッケージ、店頭POP、プレゼントキャンペーン、SNS展開、PR、アウトドアメディア、その他すべてのユーザーとのタッチポイントをゼロから作ってプロデュースする必要があり、その準備はいくら時間があっても足りない。連日、深夜まで続く提案と差し戻しの会議の繰り返しだった。

 体は疲れていたが、その甲斐あって俺はツバキの環境に急速に慣れた。無論、どこへ行こうとここは日本で、どの会社も根本的には大して変わらない。

 アム・リアの甲子園ライブが1週間後に迫っていた水曜日、俺は新橋で清田と久しぶりに飲んだ。俺が海老に残していった細かい業務について清田から質問があって、そのやり取りの内にそういう流れになったのだ。清田と初めて会ってから10年近く経っていたが、一対一で飲むのは初めてだった。

 俺はなぜ清田が俺を飲みに誘ったのか、理屈では分かっても感覚ではよく分からなかった。清田は俺のことを好きではなかったはずだし、俺ももちろん一貫して苦手だった。俺達には共通の話題などない。俺は学生の時から、女と酒と金とゴルフの話しかしないような人間に苦手意識があったが、清田は女と酒と金とゴルフ以外に話題がない人間だった。だからこそその溝は10年間最後まで埋まらず、一度もまともに飲み会をやらなかったのだ。

 結局、初めての差し向かいでの飲み会は、すぐにその話題に飲み込まれていった。お互いの近況を軽く報告し合うと、接待ゴルフで誰それが泥酔しきったという話やら、部長が新宿の風俗嬢に入れ込んでいて離婚しそうだという話やら、心底どうでもいいエピソードが清田から語られて、俺は極めて適当に相槌を打った。昔から俺の清田への相槌は適当だったが、それに拍車がかかった。何しろこの男は既に俺の上司ではないので、どう対応しようと来年の査定にも明日からの労働環境にも何の影響もない。俺が無理矢理笑顔を作って、とりあえず寝ないで話を聞いているのは、逆にそういったしがらみから解放されて自由な意思の下にここに来ているはずの者として、守るべき礼儀があると考えたからだった。

「カラマックスの終売が決まったぞ」

 清田は唐突にそう言った。

 終売ですか、と俺は反射的に繰り返した。

「ああ。製造終了。終わりだ」と清田は頷いて言った。「次の6月の棚入れ替えのタイミングで、工場のラインは全部止めて、別ブランドに回す。国内の売り上げが悲惨過ぎてな。もともと酷かったがもっと悪くなった。国外も駄目だ。中国のインバウンド需要で一瞬夢を見たが、あのクーデター騒ぎ以降一気に落ち込んだ。先月は月産20万袋だよ。考えられるか?」

「どうしてそんなに急速に悪くなったんでしょう」

「さあな。最近は濃い味が流行りだけど、結局のところ何かに守られたような柔らかい濃さだ。カラマックスはそういうのとは違う。もちろん激辛も一定の支持はある。だけどそいつは偶に食うからいいんであって、徹頭徹尾攻撃的な味だけで押すっていうのは今の時代は厳しいってことなのかもしれないな。ただ、個人的にはどっちかと言うと、むしろこれまで良く生き延びたな、って感覚だけどな。発売して今年で何年だっけな?」

「32年です」と俺は言った。「カラマックスは俺と同い年なんです」

「まあいい年と言えるな。何かが変わっていくか、そのまま行くか、それとも終わるか、いろんなことが起こりやすいタイミングだ。お前はとりあえず変わって、カラマックスは終わる。それぞれ都合ややり方がある」

「いや、私は何も変わってないです」

「とりあえず俺は安心したよ。ブランドが無くなるのはいつだってそれなりに寂しいものだが、少なくともウチの経営陣に冷静な判断力があったってことだから。どう考えたって継続は厳しかった」

「そんなに厳しくなってたんですか」

「だからお前、運が良かったんだよ。ああなって良かった。あれでイーアや他のアジアで下手に売れてたら、国内との捻じれが起きてる。あるいは海外進出なんて下手に意気込み過ぎてたら、確実に途中で頓挫してた。俺達は駅前のタピオカ屋じゃねえんだから、駄目だったら簡単に店じまいして引き上げるってわけにもいかない。そうだろう?」

 俺は何となく頷いた。

 清田は最近食べた激辛の料理屋の話を始め、子育てにまつわる夫婦喧嘩の話をして、最近買った株の話を始めた。その話は止めどなくどこまでも続いて行った。

 勿論俺はその話をほとんど聞いていなかった。俺はカラマックスのことを考えていた。頭の中ではKISSの「I Was Made For Lovin' You」のメロディが流れ続けていた。

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