第2話 太陽の国の仕事 ⑤


 三日目の朝も同じように恐ろしく暑かった。東京の暑さも普通ではないが、イーアの暑さはそれとはまた質が違う。太陽光の強さが凄まじく、頭や首に痛みが走るのだ。この国には雨が降らないのだろうかと俺は思った。これほど暑ければ上昇気流が発生してどこかで雨雲を呼ぶはずで、実際スコールが多い国のはずだったが、今のところ一滴の水も降ってこない。空の色も、体が天に向かって落下して突き抜けそうなほど永遠に青いままだ。

 駅からオフィスまではただのあぜ道で影がどこにもない。空から眩しい光が差す間はずっと陽炎が立ち上っている道の向こうを眺めていると、それと同じように思考がぼやけてくる。どこに行っても屋内は強烈な冷房が効いている代わりに、外に出た瞬間にどこに行っても恐ろしく暑い。俺は駅から降りてたった3分で、すでにエアコンの涼しさを懐かしく感じる。そして昨日の夜歩いた森の静けさを思い出す。今歩いている道とは全く違う光景だった。暗闇の中で風も木々も虫もほとんど動かずにひそひそと囁いているような雰囲気がどこまで行っても続いていた。

 道を曲がって倉庫オフィスが見えてくると、その前に何人かの男たちが立っていた。俺は既に光で十分細くなっていた眼をさらに細めて彼らを見て、正確に人数を数えた。9人。ジエンやパンやアッカは彼らの中にいない。何人かは、イーア人には珍しく白いシャツを着ていた。そして、ビデオカメラを担いだ男が3人。家庭用の小さなものではなく、テレビの報道用に使われるようなでかい奴だ。

 反射的に嫌な予感がした。

 俺は今、オフィスに近づかない方がいいのではないか。

 そう思った瞬間、男たちが全員俺の方に向かって走ってきた。彼らの顔が完全に判別できる距離に近づくのとほとんど同時だった。俺に彼らが見えたということは、彼らにも俺が見えるということだ。俺の方を指さして、誰かがスタートのピストルを空に向かって打ち鳴らしたように、一目散に駆け寄って来る。俺は周囲を見回す必要はなかった。周りには人も物も何もない。あるのは陽炎だけで、どう考えても彼らの目的は俺だ。

 俺は男たちに取り囲まれた。と言うより正確には集団でタックルされたような感じだった。肩を押されてつまずきそうになりながら態勢を立て直すと、既に目の前には2本のマイクと1台のカメラが突き付けられていた。間髪入れずに、顔面に大粒の汗をかいた男たちが、顔を寄せ合いながら俺に向かって大声で何かわめきたててくる。全員が一気にしゃべっているので何を言っているか余計に全く分からないし、ぐしゃぐしゃに体を押されてまっすぐ立てない。俺に対してではなく、記者同士でも何か文句を言い合っている。俺は強烈なデジャヴに襲われた。幼稚園の時にサッカーをやると、子供たちは全員がボールに殺到して蹴り合うため、無惨なハリケーンが出来上がる。それは球技ではなくボールに対するリンチにすぎない。俺はその中心でさくら組の奴らにぼこぼこに足を蹴られて泣きながら渦から這い出て、今後の人生で二度とサッカーはやるまいと誓ったのだ。

 俺は黒いマイクの先端を見つめながら25年ぶりにその感覚を思い出した。ひどく心細く、情けない感覚だ。男たちとマイクとカメラがぐしゃぐしゃに押し寄せる隙間で、何だこれは、と俺は思った。

 こいつらは記者だ。それは分かる。しかし、いきなり朝から人の会社の前で張り込んで、この糞暑い中おしくらまんじゅうを始めやがって、いったい何がしたい?

 マイクで額を小突かれ、腕を引っ張られ、わけの分からない言葉を浴びせられる度に、俺の感覚は少しずつ、やがて急激に切り替わっていった。ネガティブからポジティブに。恐怖から怒りに。

 俺は足に力を入れてまっすぐ立ち、掴まれた腕を振り払い、目の前に突き付けられたマイクを押しのけた。

「黙れ!」

 日本語でそう叫んだ。

 記者たちの動きが止まった。

 声も止んだ。

 俺は自分を取り囲む記者たちをぐるりと見渡し、黙れ、と英語でもう一度言った。「何を言ってるのか全く分からない。英語で話せ」

 そして、俺の目の前でマイクを俺に突き出している記者を指さした。

 うー、とその記者は低い声で唸り、天を仰いだ。3秒待って反応が無かったので、俺はその隣の小型のレコーダーを持った若い男を指さした。

 その男は、同じように少し唸った後で、ナイストゥミーチュー、と言った。

 俺は頷いた。

「あなたに聞きたいことがあります」と彼は英語で言った。

 英語のレベルは俺と似た程度のように聞こえた。

「あなたは誰だ?」

「私は、記者です。Webニュースサイトの記者です」

「あなたは俺に何を聞きたい?」

 あー、と言って記者は言葉に少し詰まった後、ぽつぽつと発声した。

「昨日、あなたは、オラクルを聞いた。それは本当ですか?」

「オラクル?」

 俺は訊き返した。どこかで聞いたことがある単語だったが、意味が分からない。

 あー、うー、と言って、記者は俯き、頭を捻った。

 俺はズボンの後ろポケットからスマートフォンを取り出し、「オラクル 意味」と日本語で打ち込んで検索した。


  オラクル  預言、神託、託宣。神の言葉。

 - Wikipedia


 預言。神の言葉。

 俺は顔を上げて、オラクル、と言い、記者を見た。

「情報があります」と記者は言った。「昨日、私たちの神の一人が、あなたに会ったという。そして神はあなたにオラクルを言った。それは本当ですか?」

 そして彼は俺にレコーダーを差し出した。周りの記者たちも改めて、無言で、マイクやカメラを構え直した。

 俺は、あー、と言った。

 今度は俺が言葉に詰まる番だった。

 リーチだ。彼は、俺がリーチに会ったことを言っているのだ。

「本当ですか?」と記者は繰り返した。

 俺は、記者の目と、彼の背後に抱えられたテレビカメラの砲身を交互に見つめた。レンズに俺の顔が映っている。太陽のきつい光が降り注ぎ、俺の全身は汗に包まれていた。

 俺は、本当のことを言うべきなのかどうか分からなかった。偽証することが正しいのか、真実を証言するのが正しいのか。

「あなたは誰からそれを聞いた?」

「情報を言った人の情報は話せません」

 俺は汗まみれの顔で頷いた。一様に真剣な顔の記者たちの顔に囲まれながら、俺は何度も小さく頷いた。

 もちろん、とりあえず頷いてみたところでほとんど何も分からない。分かったのは一つだけだ。

 昨日リーチが俺に話しかけたことは、彼らにとって極めて重要なことなのだ。

 昨日リーチと会って、別れ、火葬場のファン・ドウの親族と弔問客たちと合流し、オガ・ドウが起こった出来事を大声で語ると、彼らはみな異様に興奮していた。俺がリーチに話しかけられたことは、当たり前のことではなく、彼らにとって極めて珍しいことだったらしい。イーア人でもめったに直接お言葉を賜ることはないのに、それが日本人となれば間違いなく初めてのことだとオガ・ドウは言った。人々の俺を見る目は数時間前までと変わっていた。ジエンの顔もこわばっていて、山道から彼女が運転するマスタングで帰る途中、俺に何度も言った。「才川さん、どうしてリーチは才川さんに話しかけたんでしょうね?」

 俺には分からない。大体、リーチが言った言葉の意味もよく分かっていない。歓迎する、恵みあれ、孤独に耐えろ。言われたのはほとんどそれだけで、聖人がアーメンと言うのと何も変わらない気がする。言葉以上の、神だけが伝えられる特別な意味を俺はそこから読み解くことができない。語りかけたという事実だけが重要なのだと思うしかない。

 依然として何も分からない。だが俺はカメラに向かって再び頷いた。その意味が何であれ、どうせ真実からは逃げられない。今俺がここで誤魔化したところで、オガ・ドウと、あの数十人いた弔問客が証人として存在する限り、記者たちは何度でも俺を追いかけてくるだろう。

「それは本当だ」と俺は言った。

 記者たちは再び一斉に俺に向かって話し出した。マイクとレコーダーが突き出され、カメラがさらに近寄った。英語も混ざっているように聞こえたが、ほとんどイーア語でなにも聞き取れない。あまりに声が多すぎて、もし日本語で話しかけられたとしてもたぶん聞き取れなかっただろう。

 俺は両手を顔の位置まで上げて、掌を示した。

「何を言っているのか分からない。何を言っているのか全く分からない。あなたが、順番に、英語で話さなければ、私は何も話せない」

 俺は英語でゆっくりとそう言った。記者たちはやがて静まり返り、さっき英語で俺に質問した若い記者が再び口を開いた。

「神はあなたに何と言ったのですか?」

「イーアにようこそ、太陽と雨の恵みあれ、トラブルに耐えろ」と俺は言った。

「どういう意味ですか?」

「私が知りたい。私はその意味は分からない」

「あなたはトラブルに困らされているのですか?」

「たぶん」と俺は頷いて言った。

「どんなトラブルか言ってください」

「私の会社の商品を盗む人たちがいる。私はその人たちに盗むのをやめて欲しい。その人たちを見つけたら教えてください」

 そこまで言うと、再び記者たちが同時に話し出した。若い記者は俺に英語で話しかけ続けていたようだったが、聞き取れなかった。俺は再び両手を上げて、ゆっくり順番に話してくれ、と言ったが、なかなか収まらない。

 もういい、と俺は思った。既に会社の始業時間を過ぎている。それにここは直射日光にさらされて恐ろしく暑い。暑いうえに汗まみれの男たちに取り囲まれて余計に熱が充満して、くらくらしてくる。多分俺は自分に分かることはもう話した。俺にはほとんど何も分かっていないのだ。これ以上何か聞かれても、多分答えられない。

 俺は、終わり、と言って、掲げた両手をそのまま横に開いて歩き出した。人波はあっさりと割れ、道ができた。俺が3歩進んだ時には記者たちはもう全員黙っていた。そして誰も俺に付いてこなかった。




 倉庫オフィスに入ると、社員は既に3人とも揃っていた。ヘッドホンを着けたパンがいて、アッカがデスクに足を投げ出して本を読んでいて、大学のダンスサークルが公園で練習する時のようなかすれた音のブルーノ・マーズが掛かっていて、ジエンが来客用のソファで誰かと向かい合っている。その背中を向けた誰かと話すジエンの顔は、心なしか不機嫌に見える。時折相槌を打っているが、それは遠目にも適当な感じがする。

 背中向きでも分かった。その来客はオガ・ドウだった。俺が、グーリー、と周囲に向かって言いながらデスクにリュックを下ろすと、オガ・ドウが俺の方を見て大きく両手を広げて笑いかけた。その顔は朝からテカテカに光り輝いている。一日が始まったばかりでもう汗だくの俺の顔も同じようなものだろうが。

「お待ちしてました」とジエンが俺に日本語で言った。

 その声色と表情には隠し切れない苛立ちが込められていた。彼女にとっては、弟と同様に兄も付き合いづらい存在らしい。

 おはよう、と俺は言った。「どんなご用件?」

「野球をやろう、と言ってます」

「え?」

「彼は昨日の夜、聖地で、野球チームに加わらないかと言ってましたが、それが本気だったようです。私以外の海老の3人をオガ・ドウがキャプテンの食品業連合軍に引き入れたいようです。中でも特に才川さんを」

「どうしてまた俺を? 昨日も、俺の体はなまってるから役に立たないと言ったけど」

 ジエンは首を横に振った。

「もう、才川さんが野球がうまいかどうかは関係ないんです。昨日、リーチに会った時から。リーチの言葉を賜るのは普通のことじゃなく、日本語で言えば、『ゴリヤク』が物凄いので、とにかくベンチに座っていて欲しいそうです」

 オガ・ドウは両手をいっぱいに広げて俺に近づいて、肩を何度も叩いてきた。バットを振る仕草を繰り返して大声でしゃべりながら、彼は喜色満面だった。

 その顔を見て、俺は悟った。この男だ。さっきの記者たちやマスコミに、俺が昨日リーチに会ったということをばらしたのはこの男だ。会社の住所と名前と俺の顔、全部教えられるのは彼しかいない。

 俺は自分の顔がジエンと同じように無表情になって行くのを感じた。

「オガ・ドウは、才川さんのことはチーム全員大歓迎する、と言ってます」とジエンが翻訳した。「今日中に3人分のユニフォームを発注するから、来週末には出来上がる。宣伝効果も凄いことになるから、カラマックスはもっと売れてみんな幸せになる、と言ってます」

 分かった、と俺は言った。「ジエン、仕事が忙しいから帰ってくれと言ってもらっていいか?」

 ジエンは頷いて、すぐに翻訳した。

 オガ・ドウの激しいボディランゲージが途端に停止し、表情が硬直した。彼は俺の両腕に縋りつき、濃い眉毛を曲げて、唾を飛ばして俺に語り掛けた。俺は片手を上げて首を横に振った。

 残念だが、この男は勘違いしている。俺は別に野球が嫌いなわけではない。ただ単に、そもそも俺は社交的な人間ではなく、業務時間外に取引先と付き合うのが嫌いなのだ。しかもまだ取引が発生していないとなれば尚更だ。確かに俺はこの国のことを何も知らないから、できる限り文化習慣に親しむ機会は得たいし、情報を仕入れるための機会は大切にしたい。しかし本質的には俺は、会社の飲み会は大嫌いで可能な限り参加しないし、ゴルフコンペなどは正気の沙汰と思えない側の人間なのだ。

 その俺のセンサーが、「この件はどうでもいいのでパスしろ」と知らせている。

 俺が何度も首を横に振るうちに、オガ・ドウは同じ言葉を繰り返すようになった。一つだけ自分の要望を聞いてもらいたい、と言うように。

「ジエン、何て言ってる?」

「見るだけで良い、と言ってます。今週末、一度自分たちの試合を観に来てくれるだけでもいい、と」

 俺は薄い眼でオガ・ドウを見た。

 こいつ面倒な奴だな、と俺は思った。どういうやり方や着地点を描いているのかよく分からないが、とにかくこいつは俺を利用するつもりだ。

 だがこういう男は、とりあえずつかず離れずにしておいた方がいいかもしれない。行動力だけはあるようだから、邪険にし過ぎて逆恨みされて、今後の海老の活動に嫌がらせをされても余計に面倒くさい。

「分かった」と俺は言った。「見に行くから、試合がある場所と時間を後でメールするように言ってくれ」

 ジエンが翻訳すると、オガ・ドウはまた満面の笑みに戻って、俺の肩を何度も叩いた。再びバットを振る仕草を繰り返し、歌を歌い始めた。その軽快で単純なメロディからして、おそらくオガ・ドウの野球チームの応援歌だろう。

 沈黙して本を読んでいたアッカが机の上から足を下ろした。ずかずかと歩いてきて、オガ・ドウの服の襟を背後からつかんだ。そのまま彼は思い切りオガ・ドウを引っ張り、俺から引きはがした。入口まで引きずっていく。

 オガ・ドウが抗議の声を上げたが、アッカが間髪入れずに、ギルザイ、と一喝した。意味は多分「黙れ」か「ぶち殺すぞ」のどちらかだろう。オガ・ドウは沈黙し、黙って引きずられ、アッカに蹴り飛ばされるようにドアから叩き出された。

 席に戻ってきたアッカに、シアラ、と俺は言った。

 アッカは首を横に振って英語で言った。「あいつはうるせえ。次に来ても入れなくていいな?」

 俺は首を傾げたが、ジエンはすぐに頷いた。

 俺とジエンはソファに座り、今日の自分たちの動きを確認することにした。俺は今から日本に向けて報告書を書いて現状を連絡する。ジエンは昨日から今日にかけて新たに増えた問い合わせを日本語に翻訳する。そして今から30分後にカラマックス泥棒を捕まえるための作戦会議を行う。その作戦会議次第で、午後の動きを決める。

「才川さん、どうすれば泥棒が見つけられるか、何か方法を思いつきましたか?」

 俺は首を横に振った。「あとで話そう」

 俺はデスクに戻って報告書を仕上げることにした。昨日、ファン・ドウの葬式に行く前に大体書き終えていたが、俺は憂鬱だった。セントラルプラザの店長が、カラマックス泥棒を捕まえられなければ取引を停止すると言っていると、何と伝えればいいか。こんな言い分は日本であれば程度の低い脅迫でしかない。しかし不思議なことに、この国のルールがまだ全く分かっていない俺にも、何故かその言い様には一片の正当性があるようにも感じられるのだ。おそらく、セントラルプラザの店長たちが、自分たちの主張の正しさを心底信じているように見えたせいで、一種の天命とか大義とかであるかのように錯覚させられるからだろう。結局俺は、俺なりにそのまま普通に事実を書いた。

 俺は、リーチに出会った一連のことも報告書に書き出してみた。だが、書いた後でその部分を別の文書ファイルにカットペーストした。俺は小さく首を横に振り、これは伝えたところでどうしようもない、と思った。

 俺がメールを上司の清田課長宛てに送信すると、才川さん、と誰かが俺を呼んだ。

 俺は顔を上げた。ジエンではない。パンの声だった。ヘッドホンを外した彼が俺の方に振り向いて、太い腕をぶるぶると振っていた。

「才川さん」とパンが日本語で言い、続けて英語で言った。「才川さんがここにいますよ」

 彼はそう言って自分のPCのディスプレイを指さした。

 俺とジエンは席から立ち上がって、パンの背後に立った。首がほとんど肉に埋もれて見えない背中越しにディスプレイをのぞき込むと、記者たちが押し合いへし合いしながら一人の男を取り囲んでいる映像が流れていた。

 その男は俺だった。

 映像はニュースサイトから配信されているようで、映像の左肩と下部にイーア語のテキストの帯が敷かれて右から左に流れていく。映像の中の俺は眉間に皺を寄せ、マイクやレコーダーを突きつけられてあからさまに苛立っていた。そして下手くそな英語でこう言った。

〈それは本当だ〉

 パンとジエンは振り向いて俺の顔をのぞき込んできた。俺は鼻で息をついて、もうアップされたのか、と言った。

「才川さん、取材されたんですか」とジエンが訊いた。

「さっき、出社しようとしたらいきなり記者たちが押し寄せてきた」と俺は言った。「なんて書いてあるのか教えてくれないか」

「見出しには『今年最初の預言、日本人が授かる』と書いてあります。ニューステキストにはこうあります。

『昨日夜、バンガン山の聖地で、男性がリーチから預言を授かった。男性は日本人で、名前は才川明、32歳。大人気スナック菓子、カラマックスの製造元である株式会社海老の社員で、二日前にイーアにやってきたばかり。

 才川氏によれば、預言では昨今頻発するカラマックスの強盗被害に関する言及がなされた模様。

 リーチが個人に預言を授けるのは昨年1月以来1年8か月ぶりで、戦後は初。今後の才川さんの動向に注目が集まる』」

 なるほど、と俺は言った。

 俺はほとんど何も言っていないのに、プロフィールが全部ばれている。

「あの男ですね」とジエンは言った。「オガ・ドウ。全部あの男がマスコミに情報を入れたんでしょう。行動が兄と物凄く似ています」

「昨日の夜の出来事は、この国の人にとってそんなに重要なことだったのか?」

「そうです」とジエンは言った。「滅多にないことですから。でも、どれくらいの、どんな意味があるのかは、まだ誰も分かりません。リーチの預言によって、何か起こったこともあれば、特に何も起こらなかったように見えることも、どちらもたくさんあります」

「例えばどんなことが起きた?」

「いろいろです」とジエンは言った。「例えば、人が亡くなったり、嵐がやってきたり、株価が暴落したり、疫病が蔓延したり」

「ろくでもないことばかりみたいだ」

「でも良かったこともあります。戦争が終わりました」

「それで、どうなるんだろう。これで俺はこの国で有名人になるのか? それともこれはこれで終わるんだろうか? 今後の動向に注目が集まる、と言われても、俺はこの国にただ仕事しに来ただけだ」

「何とも言えません。今後この預言に従って何かが起きれば、才川さんは有名人になるかもしれません。でも何も起きなければ、そのうちみんな忘れるでしょう。この国の人たちはみんな物凄く忘れっぽいですから。でも少なくとも2、3日は、街を歩いたら指をさされたり、声を掛けられたりするかもしれませんから、気を付けた方がいいですね」

「ジエンは預言を信じる?」

「預言は信じるとか信じないとかいうものではないです。もう告げられたのだから、事の成り行きを見守るだけです」とジエンは静かな表情で言った。「才川さん、打ち合わせをしましょう」

 そうだった。俺達は、カラマックス泥棒を捕まえるための相談をしなくてはならないのだった。

 ジエンがパンとアッカにも声を掛けて、俺達は一対のソファに向かい合って座った。ただし、パンの体が大きすぎるのでソファに並んで座れず、俺はデスクチェアを引っ張って行ってそれに腰掛けた。ジエンはパンとアッカに向かってイーア語で状況を説明する。俺は社員三人を見渡した。やる気のある顔をしているのは一人しか見当たらなかった。パンはずっと下を向いていて、アッカはサングラスを着けっぱなしでどこを見ているのか分からない。

 さてどうしましょう、とジエンは言った。「才川さんは何か思いつきましたか?」

「正直ほとんどどうしようもない気がするけど、一つだけ思いついた」と俺は言った。「とりあえずジエンが以前言っていた、『マーケット』に行ってみるのがいいんじゃないだろうか」

「ナイトマーケットのことですか?」

「そう。夜だけ開かれる、麻薬でもロケットランチャーでも何でも売っているという場所。盗まれたカラマックスはそこで捌かれるんだろう。じゃあ、そこで売られているカラマックスがどこで仕入れられたか尋ねてみて、遡って行けばいつか盗んだやつに辿り着くんじゃないだろうか」

 ジエンがそれをパンとアッカに向かってイーア語に翻訳した。

「無駄だ」とアッカが英語で言った。

 そう鋭く言って、アッカは沈黙した。どういう意味か、と俺は英語で訊き返した。

 アッカは俺の方を向き、高速の英語で話しかけた。速すぎて俺の英語力では何と言っているのか聞き取れない。俺は首を横に振って、悪いが分からない、と答えた。アッカは無表情でジエンに向き直って、イーア語で話した。

「盗品の出どころなんて、誰もまともに白状するわけが無い、と言ってます」とジエンが翻訳した。「それに、マーケットでそういう立ち入った話をするのは危ないです。後ろ暗いところがあることなんてみんな承知で売り買いしているわけですから、出所を問い質すのはタブーです。管理人が出てくることになります」

「管理人?」

「マーケットが荒らされないように、いつも影で監視している連中がいるんです」

「要するにヤクザか」

 俺はアッカを見てため息をついた。理由がない限り、ヤクザは別のヤクザのシマを荒らさないものだ。

 考える必要はない、とアッカは再び英語で言った。今度は聞き取れた。「お前が自分で探すのは無理だ。だがお前がやることは既に決まっている」

「それは何ですか?」と俺は英語で訊いた。

「お前はユーチューバーになれ」

 どういう意味ですか、と俺は訊き返した。

「お前は既に有名人だ。今からもっと有名人になる。お前がYouTubeでこの国中に発信しろ。カラマックスが盗まれたので犯人探しに協力してくれと。みんな聞く」


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