第2話 太陽の国の仕事 ③


 俺とジエンは並んでソファに座っていた。黄色い無地のソファで、座り心地は良くも悪くもない。お茶も水も何もない空っぽのコーヒーテーブルを目の前にして、俺達は無言で待ち続けた。俺は軽く開いた両ひざの間で両手を組んだり指をほぐしたりして、どこでもない正面を見つめていた。

 だが、俺は自分が何を待っているのかよく分からなかった。事務所の隅に置かれたソファからは、セントラルプラザの職員たちが、フロアを走り回ったりフロアから出て行ったりフロアに入って来る様子が良く見える。緊急事態が発生して、彼らが彼らがその応対に追われていることは分かる。盗難事件が起きたのだ。警察の調査が始まり、今日の店の営業に関わる全てに変更が強いられている。それは分かる。しかし俺達はこの状況でいったい何を話すのだろう?

 ジエンにもそれは分からないようだった。20分ほど前、俺はセントラルプラザの駐車場にマスタングを停め、ジエンに出迎えられてから、このソファに座るまでの間に彼女に簡単に経緯を聞いた。ジエンは朝からセントラルプラザの店長に呼び出されていた。彼女がセントラルプラザに着いた時には既にプラザ全体が混乱に陥っていて、オペレーションセンターにやってきても、ジエンの相手をするものは誰もいなかった。いつまで経っても店長は現れない。代わりに警察が現れて、プラザ内を闊歩し始めた。やがてマネージャーがジエンの前にやってきて、カラマックスが盗まれて、セントラルプラザの今日の営業中止が決定した、と言った。そしてマネージャーは、重要な話があるからここで待て、とジエンに告げた。ジエンは迷った結果、俺を呼び出した。

 マネージャーや店長が俺達に何を話したいのか、ジエンにもまだ分からない。

 警察の数が多すぎるのではないか、と俺が言おうと思った時、ジエンはソファから立ち上がった。

 俺達の目の前に二人の男が現れた。背が低く筋肉質で短髪の男と、紺色のポロシャツを着た白髪の男だった。ジエンがイーア語で男たちに向かって何か言うと、二人は慇懃な感じで頷いた。店長とマネージャーです、とジエンが言って、俺を二人に紹介した。俺も立ち上がって、笑顔を浮かべて会釈したが、筋肉と白髪は無表情でソファに座った。

 ジエンと俺がソファに座り直すと、筋肉はいきなりイーア語で一気に話し始めた。俺は二人の客の顔を確認した。白髪の男は人に命令することに慣れた感じで、筋肉質の男は命令されたことを徹底してやることに慣れている感じだった。

 何を言っているのか全く分からないが、100%間違いなく、ろくでもない話に違いない、と俺は思った。たとえどんな国でも変わらないことがあるらしい。自分が客で、相手より上位にあると思っている人間は、意識的にせよ無意識的にせよ、その態度をおのずから明らかにする表情と動作を取る。それはあからさまな傲慢さではないが、武道を嗜んだ人間の背筋のようにはっきりとにじみ出る。この二人はたぶん海老イーア支店にとっては相当重要な得意先だからそうなって当然だ。俺は、俺にとって完全に未知のカテゴリーの人間がやって来たわけではないと感じてどこか安心もした。こういう人間を応対する時のルールはたった一つしかない。

 余裕を持った笑顔だ。あなたに会えて嬉しいという穏やかな表情を浮かべること。それだけだ。どうせどう転んでもろくでもない話に決まっているのだから、真意や解決策を建設的に探るか、次なるましな話につなげる機会にするしかない。俺は全く内容の分からない話に、穏やかな表情で耳を傾けた。

 男たちは二人とも表情は相当険しい。筋肉の方は早口で緊迫した雰囲気で話しており、白髪の方は目を閉じがちの憮然とした顔つきだった。何を言っているのか全く分からない人間の真剣な商談を聞くというのは奇妙なものだなと俺は思った。チャップリンが言った有名な言葉の通り、人生が見る視点によって変わり、クローズアップでは悲劇で、ロングショットでは喜劇になるとしたら、この狭苦しいオフィスではどうあがいてもカメラはクローズアップになるしかないはずだったが、多分チャップリンは互いに言葉が通じない場合を想定していなかったのだろう。

 筋肉質はべらべらと話し続け、時折白髪が合いの手を入れるように頷いた。ジエンも時々うなずいたり、相槌を打ったりしている。彼女の顔は無表情だったが、それは彼女の通常の顔つきに見えた。一見普通の商談だった。

 ひとしきり筋肉質が喋り、ひとしきりジエンが頷いたところで、俺は柔らかい表情を崩さないまま、ジエンに訊いた。

「どんな悪い話?」

「カラマックス泥棒を捕まえてほしいそうです」

 なるほど、と俺は言った。

「彼らによると、これは組織的かつ継続的な犯行だそうです。このセントラルプラザだけでなく、カラマックス強盗はこの数か月連続して各地で起こっています。犯人グループはそれらと同一であるということです」

 そのタイミングで、白髪の男が口を開いた。閉じがちだった目も開き、それは俺の顔を正面から見つめてきた。彼も俺がイーア語を理解しないことは分かっているだろうが、若い女性よりは責任者のように見える俺の方を選んだのだろう。俺も彼の顔を真っ直ぐ見返した。彼は低い声で滔々と喋った。陽に焼けた肌に深い皺が刻まれていて、白髪とのコントラストが、彼がこの国で歩んできた苦労をしのばせる。筋肉質の男のように、彼の体にも若いころは鍛えられてきた雰囲気が感じられる。そして、二人ともただ鍛えてきただけでなく、その体を実際に酷使した様子が見える。多分、それは戦争だ。彼らは誰かに似ていると思っていたが、それがやっと分かった。昔の白黒写真に写る、旧日本軍の軍人の顔に似ているのだ。実際、彼らはつい最近まで戦争をしていたのだ。まずいな、と俺は思った。白髪の男の顔と声は、鷹揚で深みがあると同時に、真剣で容赦がない感じだった。俺とジエンを逃がすつもりがない、という意志が彼の全身から伝わってきた。

 これはまずい相手だ。誤魔化しが効かない。

 無茶苦茶を押し付けてくる相手というのは、大きくは二つに分かれる。一つは自分のことしか考えていない人間。これの対処は楽だ。結局自己の充足だけが重要なので、相手を気持ちよくさせてやりさえすれば話は終わる。もともとの問題が完璧に解決しようとしまいと、それは対応の過程で二次的などうでもよいことになってしまう。

 問題はもう一つの方、自分自身より大きなものを見出し、そのために動いていると考えている人間だ。彼らは自分のことなど考えておらず、大きな問題から啓示を受けたメッセンジャーとして俺たちの前に現れる。この人間は厄介だ。彼らが振りかざすのは要するに大義であり、もともと自分のオーダーでしかなかったものを、俺たちの解決すべき命題にすり替えてくる。これに巻き込まれると、論理的には本当に問題を解決するまでそこから逃げられない。

 白髪の男が一通り喋り終えると、ジエンは一言応えて、頷いた。

 それで、どういうこと? と俺はジエンに訊いた。

「一週間以内にカラマックス泥棒の犯人を見つけて欲しいそうです。見つけられない場合、イーア国内のセントラルプラザグループでの海老商品の取り扱いを停止するとのことです」

 なるほど、と俺は言った。

「なんとお返事します?」とジエンは俺に訊いた。

「『警察に頼め』と言うこと以外に?」

 そうです、とジエンは言った。

「いい日本語がある」と俺は言った。「『頑張ります』と伝えてくれ」




 俺は自分に割り当てられたピザの4分の1くらいを食べ残した。パンが注文した三枚のピザは、それぞれ「ハワイアンローストチキン」、「ビスマルク」、「ウルトラデラックスチーズ」というメニューで、いずれもLサイズだった。パンとジエンと俺はそれぞれを3分の1ずつカットしてシェアし、それぞれの席でコカ・コーラを飲みながらそれを食べた。味は濃厚で、高熱のかまどで焼き上げられたであろう、薄い生地も重層のチーズもぎっしり敷き詰められたトッピングも旨味の塊のような感じだったが、量が多すぎた。アッカはまだ会社に戻っていなかったので、三人で食べきるしかなかった。

 俺は足を延ばしてオフィスチェアにもたれかかり、天井を見上げた。深い息をついて、むき出しの骨組みを眺めていると、ジエンが自分のノートパソコンから音楽を流しはじめた。米津玄師の「春雷」だった。JBLのデスクトップスピーカーから流れるその音は、俺にとってもまるで異国の音楽のように聞こえた。青や赤や黄の色が百花繚乱に炸裂するようなイメージの歌だが、その色は全てこの国には微妙に存在しない色ばかりのように思えた。

 オフィスに戻る帰り道、マスタングを運転したのはジエンだった。俺が不安そうな態度を見せているのを彼女の方が察してそうしたのだ。イーアでは16歳から免許が取得可能なので、誕生日を迎えたその月のうちに取ったと言う。ジエンはアッカのようなスピード狂ではなく、せいぜい80キロ程度の速度で走った。

 マスタングのハンドルを握り、ガレージに車を後ろ向きに駐車し、ピザを食べ終わって米津玄師をかけるまで、彼女の表情は一貫して普通だった。焦りも緊張もなく、全ては日常の範囲内にあった。

 俺はジエンの席まで歩いていき、隣に立った。

「ピザも食べたことだし、ここでの仕事について話さないか。あと、Wifiのパスワードも教えてもらえるとありがたい」

 ジエンは頷いた。俺たちは今後の仕事内容について確認しあった。カラマックス強盗のことを考える前に、俺達には色々とやらなくてはならないことがある。それ以外の「お問い合わせ」への対応だ。

 問い合わせの95%はオンラインの問い合わせフォームで寄せられる。パンが組み立てたシステムで、問い合わせの内容は緊急性を要するものからそうでないもの、問い合わせの種類によって分類される。感想か質問かクレームか、商品内容についてか配架についてかその他についてか。問い合わせているのが法人か個人かメディアか。日本本社の問い合わせフォームの構造をほとんどそのまま持ち込んでいるので違和感はない。問い合わせの残り4%は電話で、残り1%は直接訪問だと言う。

 基本的にこれらの問い合わせフォームにおける回答の仕方は、ジエンが日本語に翻訳したものを俺が読み、日本語の文章を書いて、ジエンがまたそれをイーア語に翻訳して回答する、という形にする。電話がかかってきた場合も同様で、質問内容を一通り受け付けたらいったんそこで電話を切り、ジエンが日本語にして俺に伝え、俺が回答案を考えてジエンが質問者に回答する。最初は仕方ないが、毎回オリジナルでその作業をするのは煩雑なので、できる限りその後の同様の質問にも使えるようにテンプレート化を意識する。日本で用意したFAQをイーア語に翻訳する作業も空いた時間で進める。

 市場調査については、今パンがネットモニター調査用の質問票を作成し、グループインタビューのモニター候補を選定中だという。いずれも出来上がったら俺が確認して実施する。

 カラマックス強盗の件は、どうすればいいのか全く分からないので明日の朝また相談することにした。どうせ明日になっても全く分からないままだろうが、今ここで仕事を止めてうんうん唸るより少しでもネットで情報を収集してから話し合った方がましだ。

「ではちょっと待ってください。今から、今日までに問い合わせが来ている分を日本語に翻訳します。最初だからまとめてやりましょう。15件なので、30分でやります」

 俺は頷いて席に戻り、ジエンに教えてもらったイーアのポータルサイトでニュースをチェックした。もちろん、何が書いてあるのか俺に分かるのは天気予報だけだが(今日の天気:晴れ 最高気温38度 最低気温26度)、見出しのリンクを辿っていってもさっきの強盗事件に関係ありそうな記事はどこにもないように見えた。単に俺が見つけられないだけなのか、やはりネットにまだ上がっていないのかは分からない。

 この事件がセンセーショナルな記事となってイーアのニュースサイトの見出しを飾り、犯罪組織がカラマックスを狙って窃盗を繰り返しているという事態が事実と見做され伝播した場合、海老のブランドイメージと、海老の海外事業展開に与える影響はどれくらいなのだろう。新興国で起こった窃盗事件にどれくらいの良い影響力と悪い影響力があるのか、分からない。ことは日本で、海老に関することだ。海老はとにかく「醜聞」を忌み嫌う。TVCMの表現に対するクレームが数本寄せられただけで役員会議でオンエア継続の可否が問われる。SNSが人口に膾炙してからはもっと過敏になり、あらゆる特定の個人、団体、民族、国家、思想、性的志向、要するに全人類に対してこれを貶めるような表現を徹底的に避けることが求められている。全国規模の食品会社が最優先すべきミッションとは、たとえ好かれることに失敗しても絶対に嫌われないことである。

 だからこの後に何が起こるか分からないが、俺はほぼ本当のことを記した報告書を書いておくべきだった。ジエンが問い合わせメールの内容を日本語に翻訳するのを待つ間、俺はその下書きを始めることにした。その文章は俺の眼にも多少ナンセンスに映る。日本の海老社員にどう伝わるのか全く想像ができないが、とりあえず書いておくほかない。

 ジエンの翻訳作業が終わり、彼女はクラウドサーバーに一通りのテキストをアップした。俺はその日本語文の問い合わせに対する回答文を書き込んでいった。一見して、基本的には日本で寄せられる質問とあまり変わりない。味に関する質問、賞味期限に関する質問、パッケージデザインに関する質問。それらは日本から持ち込んだFAQをほとんどそのままコピー・ペーストすることで事足りた。だが最も多いのは、やはり通販と売り場所に関する質問だった。それらは結局のところ現状海老で対応ができないので、輸入食品を取り扱うお店にご確認くださいと返答するしかなかった。

 そして俺は、思いがけず微かに唇を曲げた。日本でも月に一度は見かけたあの、問い合わせではない問い合わせがあったのだった。



【無題】

 はじめまして。私は真なる預言を伝える活動をしています。


 間もなく、書の38章に書かれている通り、神が死に、新たな神がその列に加わります。そしてロシア、トルコ、イラン、スーダン、リビアが、イスラエルを攻撃します。また、書の24章に書かれている通り、アメリカ、中国、日本が戦争を起こします。その前に、我らの神に悔い改めて下さい。これより本年を悔改の年にしてください。取り残された後のセカンドチャンスは、書の46章に書かれています。

 09月09日 (Sun) 01:56



 別に新しくも面白くもない。だがこういうメッセージが届くのはどこでも同じなのだと思った。

 このメッセージは、それなりの規模の企業であればどのお客様相談室にも必ずやって来る。彼らは中国や北朝鮮が日本に攻撃を仕掛けてくることを危惧したり、アメリカと中東産油国の石油をめぐる争いの激化に警鐘を鳴らす。もっとも多かったのは東日本大震災の時で、原発からの被曝によって日本が壊滅して第3次世界大戦が勃発することを知らせる預言が後を絶たなかった。

 この類のメッセージに対する返信は機械による最初の自動応答で行い、その後のやり取りはしない。送った方もそれを求めてはいないのだ。彼らはただ、純粋に世界の危機を案じているだけで、我々がそれを信じるかどうか気にしていないし、預言が当たろうが外れようが気に留めない。

 俺は全ての問い合わせに対する返信文をExcelにまとめて入れてクラウドサーバーにアップし直した。ありがとうございます、とジエンが言うのに頷き、俺は報告書の制作に戻った。「カラマックスが商業施設から盗まれ、その犯人探しの協力を要請された」と書くと、率直に言って狂っているとしか思えず憂鬱だったが、伝えないわけにはいかない。

「才川さん」とジエンが俺を呼んだ。「ご質問してもいいですか」

 俺は頷いて、いつでもどうぞ、と言った。

「この人への返事はどうすればいいでしょうか」

 ジエンはそう言って自分のノートPCのディスプレイを指さした。俺は彼女の隣まで歩いて行って画面を覗き込んだ。

 それは、例の真なる神の預言を告げる人物からのメッセージだった。

「いや、返事はしなくていいと思う」

 ジエンは眉間に皺を寄せた。

「いえ、それはまずいと思います」

「どうしてそう思う?」と俺は訊いた。「日本でも俺はよくこういうメッセージを受け取った。その時は返信しないことの方が正しかったんだが」

「私も初めてこのメールを見るんですが、この人は多分リーチです」

「リーチってなんだ?」

 ジエンは首を傾げた。

「そのままうまく日本語には訳せません。物凄く珍しい人、という意味になるんですけど、それだと全く伝わりません。要は預言をする人なんですけど、それだとまるで怪しい詐欺師みたいで、才川さんには取り合う理由が分からないでしょう」

 俺は頷いた。「よく分からない。でもとにかくこの人の言うことは真剣に聞く必要があるんだね?」

「はい。リーチはこの国に46人だけ存在する、世界の声を聞いて私たちに伝える人です。彼らの言葉には王様も耳を傾けます。彼らは全身灰色の服に仮面をつけて、常にこの国のどこかを歩き回っています。才川さんもいつか会うことがあるかもしれません。この国の神話では、太陽は最初の王様が生み、月と星は最初の46人のリーチが生んだと言います。昼の世界は王様が守り、夜の世界はリーチが守ります。彼らは彼らが月と星から受け取った言葉を私たちに様々な手段で伝えます。昔は立札に預言を書き記すことが多かったようですが、印刷技術がこの国に伝わってきてからは新聞も使いますし、手紙も使いますし、電波放送が始まってからはテレビも使います。こうしてデジタル技術が発展するようになってメールも使うようになりました。きっとそのうちYouTubeも使うようになると思います。昔から変わらないのは、1年に一度、8月の新月の夜に46人のリーチが聖地に集合して祈りを捧げることです。月と星がその次の一年も正常に空を巡るように祈るのです。その夜は全国民、病院や発電所などの一部の例外を除いて、一切明かりを点けてはいけません。点けた人間は法律で捕まりこそしませんが、社会的には抹殺されます。1500年くらいそれが続いてきました」

 なるほど、と俺は言った。「だとすると、ジエンの方が俺よりも上手く返事ができるのじゃないだろうか。俺にはそんな、この国の人たちにとって本当に神聖な存在に対してどう応えていいのか正直分からない」

「私にも分からないです。リーチがこうして預言をするものだというのは子供のころから教えられてきましたし、新聞とかでよく見てきましたが、こうして直接自分が受け取るのは初めてなんです」

「この問い合わせメールが偽物だという可能性はある? つまり、誰かがこの人であることを騙って、いたずらで送ってきている可能性は?」

「まずありえないと思います。リーチを騙ることはこの国では重大な詐欺行為ですし、そんな例を聞いたこともありません。たぶん日本で言ったら天皇陛下であることを騙るようなものです」

 分かった、と俺は言った。「じゃあひたすら丁寧に返事しよう。お知らせを頂戴しまして誠にありがとうございました。恐悦至極でございます。お教えを重々肝に銘じまして、今後の商販に努めさせていただきます、と」

「それでいいんでしょうか。リーチは大きな争いが起こると言っているのに、それに対して私たちが具体的にどうするか、解決策とかが何もなくて」

「そうは言ってもどうしようもない。例えば中国とイーアが戦争することになったとして、俺たちがそのために何かすることを求められているとしても、実際は俺たちには何もできない。具体的なことを書けば全て嘘を書くことになるから、その方が危ういんじゃないか」

「分かりました」とジエンは言った。

 憂鬱そうな顔だった。

 俺はその顔を見ながら、自分が海老に入社したばかりのころを思い出した。あの頃は与えられる仕事のほとんど全ての意味が分からなかった。俺はジエンにアドバイスをしようとしたが、止めた。あの頃の俺も、欲しかったのはアドバイスではなく、実際に自分でない別の誰かに代わりに解決してもらうことだったし、彼女の顔が真剣だったからだ。自分でやるしかないと彼女も分かっている。彼女はリーチに対して返信する文章をどうイーア語にするか、PCの前で腕を組んで真剣に考えていた。

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