後編

 魔王の姿を見た瞬間、ロランの中に凄絶なまでの殺意が燃え滾った。

 だが、内に激情を抱えているのは自分だけではないようで、


「ロラン、おまえが、おまえが勇者ロラン……ッ!」


 ひどくしわがれた、老いた声だ。男か女かもわからないほど、枯れ果てている。

 玉座と比して小さすぎるその体はいっそ見すぼらしいと言えてしまう。


「ロラン、ロラン、勇者ロラン、ロラン……ッ!」


 しかし、その矮躯が発散する怒気は、決して弱いものではない。

 魔王へと近づく四人は、それをひしひしと感じとっていた。


「何か、随分な怒りようだけど、魔族がやってきたことを思えば、それこそ因果応報だよね。そして、これから最大最後の応報をくらうワケさ。ね、おにーさん!」

「因果応報、か。確かにそうだな」


 リリエールに水を向けられ、ロランはうなずく。

 依然、彼の中には激しい殺意が滾って、さらに高まり続けている。

 そしてついに、四人は魔王の御前に立つ。


「勇者ロラン、貴様がロラン、貴様、貴様が……ッ!」

「さっきからそればっかりだね、魔王様~。ところでどうして立たないのかな~? 勇者とあたしらは目の前だぞ~? あ、もしかして怖くて腰が抜けちゃった?」


 怒りの言葉を繰り返す魔王を、リリエールが挑発する。


「違うよ。立たないんじゃない。立てないんだ」


 そこにロランが訂正を加える。

 そして、三人をその場に置いて彼一人だけがさらに前へと歩いていく。


「あ、勇者様……」


 リュクティアの声には応じず、ロランは右手に長剣を握って、魔王の前に立つ。

 一方で、魔王は動かない。ずっと玉座に座ったままだ。


「あれは、一撃で仕留められますね」


 マリーシァが、一目見て両者の力量を正しく見極める。

 魔王に戦う力はない。あれはただの老人だ。ロランの一撃で容易く仕留められる。


「終わる……」


 続くマリーシァの呟きに、リリエールとリュクティアも終わりを確信する。

 七百年にも渡る魔族の戦い。その終焉が、こんなにもあっけなく――、


「俺の名前がロランなのが許せないんだろう?」


 しかし、ロランは魔王を斬るのではなく、何故かそんなことを言い出す。

 すると魔王は、これまでよりも一層激しい反応を示した。


「そう、そうだッ! その名は貴様のような人間が名乗っていい名ではない! それは、その名前は、……ッ!」

「そうやって怒るとすぐに爪を立てるのが、昔からのおまえの悪いクセだよ」


 肘掛けをガリガリと掻きむしる魔王の前で、ロランはいきなり笑って片膝を突く。


「ロラン!?」

「ちょ、おにーさんッ!」


 マリーシァとリリエールが驚きの声を発するが、それも彼には届かない。

 何故なら、今、ロランの目に映っているのはだけなのだから。


「――

「え……」


 彼が口にしたその名に、魔王ヴァルザネブが動きを止める。

 それはあまりに小さな声だったため、後の三人には届いていなかった。


「エル――、エルリア・ヴァルザネブ。すまない、七百年も待たせてしまって」

「あ、ぁ……、ぁぁ、あ、まさ、か……」


 魔王が、エルリアが、怒りではなく別の感情からその身を震わせる。

 彼女が伸ばした手は、枯れ果てて乾いた木を思わせる、あまりに細い手で……。


「ああ……」


 ロランは、切なげに息を吐いて、その手に自分の頬を寄せる。


「やっと、触れ合えた」

「ロラン様……!」


 彼の、無限にも等しい量の感情が込められた一言に、魔王がその名を口走る。

 そしてそれは、三人にもしっかりと聞こえていた。


「ロラン様、ですって……?」

「ちょっとおにーさん、どういうことだよ!?」

「勇者様、ぁ、あのあの、お話が見えないですよぅ~?」


 戸惑いの声をあげる三人に、立ち上がったロランが振り返りざまに剣を振るう。

 魔力を伴った一閃が氷嵐となって吹き荒れ、三人の足を凍らせて床に縛り付けた。


「こ、これは……!?」

「何するんですかぁ、勇者様ぁ~!」

「おまえ達に、エルを傷つけさせるわけにはいかない」


 ロランが告げたその名に、マリーシァ達が一様に目を剥いた。


「エ、エルさんですって……?」

「魔王ヴァルザネブが!?」


 叫ぶ彼女達にロランはかぶりを振って、真実を告げる。


「ヴァルザネブは、かつての俺の名だよ」

「は……?」

「ロラン・ヴァルザネブ。七百年前に殺された、魔族の王だった頃の俺の名だよ」


 言って、彼はエルリアのかぶっているフードを外す。

 そこに現れるのは、顔の右半分が大きな火傷で醜く爛れた老婆の顔。

 エルリアは慌ててフードをかぶり直そうとするが、ロランがそれを止めた。


「いいんだ、エル。七百年ぶりのおまえの顔を俺に見せてくれ」

「ロ、ロラン様、ですが、私はこのように老いて醜く……」

「醜くないよ。今も七百年前と変わってない。俺が愛した美しいおまえのままだ」


 恥じるエルリアの頭を撫でて、ロランは優しく笑ってそんなことを言う。

 それは、三人が向けられたことのない笑顔で、向けられたことのない言葉だった。


「どういうことです? エルさんとは死に別れたのではないのですか!」

「そうだよ、何でそんなババアに!?」


 嫉妬と怒りを発露させるマリーシァとリリエール。

 そんな彼女らを、ロランは一転して冷め切ったまなざしで見つめる。


「死に別れたさ。死んだのは俺だったけどな」


 そしてロランは語り始める。


「人魔の戦いの始まりは七百年前の魔族の侵攻からとされるが、真相は逆。人類側が俺の国に攻め入って、都を焼いたのが始まりなんだよ。その果てに俺は討たれた」


 当時を思い起こしてか、エルリアも辛そうに顔を俯かせる。


「だが、何の奇跡か、俺はこの時代に人間として転生した。前世の記憶というおまけ付きで、だ。そして知ったんだよ。在位七百年を誇る魔王ヴァルザネブの存在を」


 無表情で語るロランを前にして、マリーシァが目に涙を浮かべて問いただす。


「では、あなたは私を騙したのですか? 七年も共に過ごした、この私を……!?」

「そうだな、実に無価値な七年だったよ」


 が、ロランはそれを一言のもとに切って捨てた。


「む、無価値……」


 マリーシァの顔から、色が失せる。

 好意を寄せた男の本質を見抜けなかった女は、二の句も継げずに立ち尽くす。


「エルを待たせ続けた七百年とは比べるべくもない七年だった。元王族という一点が、俺がおまえと共に過ごした理由で、おまえという女の唯一の価値だよ」

「そんな、ひどい……」


 声を虚ろに震わして、マリーシァの頬を涙が伝う。

 それに、リリエールが怒りを爆発させる。


「おにーさん、最低だよ! マリーはずっとおにーさんのことが好きで……、それにこの子は故郷をなくしてるんだよ!? 魔族のせいで家族を、民を失って……!」


 吼え猛る彼女に、しかしロランは失笑を禁じ得ない。

 何せリリエールが見せる怒りは、その実、見当違いも甚だしいのだから。


「マリーの国は、滅びて当然だったんだよ、リリエ」


 ロランが告げたその言葉に、背を丸めていたマリーシァがビクリと震える。


「七百年前、俺の国は滅ぼされ、多くの魔族が世界中に散った。マリーの国にも魔族の隠れ里があった。それをマリーの親が潰したのさ。適当な理由をでっち上げてな」

「ど、どうしてそれを……?」

「知ってるさ。何のために俺が世界中を巡ってたと思ってるんだ?」


 噓泣きをやめたマリーシァを、ロランは憎々しげに見下ろす。


「俺は、今の時代の魔族の事情を調べてたんだよ。その過程でマリーと出会ったんだ。自分達が元凶のクセに、堂々と被害者面をして復讐を語るこの女とな」

「マリー、それは……」


 顔を背けるマリーシァを、リリエールが愕然とした顔で見つめる。

 しかし、ロランからすればそれもまた滑稽でしかなく、


「面白い顔だな。リリエだって同じ穴のむじなだろう?」

「な、何を言うんだよ……!?」

「だってそうじゃないか。おまえ達魔女は、自分達の魔力を高めるために魔族の血を迎え入れた。その上で、魔族達を実験台にして人体実験をしてたんだろ?」


 ロランが告げる第二の事実が、リリエールの顔色を真っ青にさせてしまう。


「何で、知って……」

「魔族に一族を皆殺しにされた? 人を実験動物扱いしてれば、手を噛まれて当然だと思わないか? むしろ俺は、魔女を皆殺しにした魔族の方に感情移入するよ」

「ぐ……」


 リリエールも、マリーシァ同様に何も言えなくなる。言えるはずがない。

 ロランが告げたのはただの事実で、まぎれもない真実。揺るぎようのない罪業だ。


「ゆ、勇者様ァ……」


 最後に残ったのはリュクティア。

 ロランを勇者と定め、ずっと献身的に支え続けてくれた桃色の髪の僧侶。


「おまえは哀れだよ、リュクティア」


 言う割に、ロランの顔に浮かぶのは、冷ややかな嘲笑だった。


「おまえの神と魔族が信奉する神は対立してる。おまえが魔王討伐の神託を授かった理由はそれだけだ。くだらない神々のイザコザに巻き込まれたんだよ、俺達は」

「で、でもですねぇ、神は邪悪なる魔王を討てとぉ……」


 リュクティアが、必死になって自らの正当化を図ろうとする。

 しかしそれも、ロランにとっては笑いを起こすだけの材料にしかならない。


「ああ、おまえの神ならそう言ってくるだろうな。何せ、七百年前もそうやって人間達に神託を出して、俺の都を焼いて、俺を殺させたくらいだからな」

「そんな、それでは私の神が、全ての……」

「そう、全ての元凶で、七百年に渡る悲劇を生みだした諸悪の根源だよ」


 恨むべきは神。呪うべきは人。ロランの表情がこれまでにない憎悪に歪む。

 だがそれは、愛するものを傷つけられたがゆえの怒りであり、憎しみだ。


「その目で見届けてくれ、エル。虐げられ続けた魔族の歴史を、俺が終わらせる」

「もちろんです、ロラン様」


 エルリアの言葉にうなずき返し、ロランは段を降りて三人へと近づく。

 リリエールとリュクティアは突きつけられた事実に心折れたか、何も言わない。

 ただ一人、マリーシァだけが彼を睨みつける。


「あなたは勝てませんよ、ロラン」

「まだ、そんなことを言う気力が残ってるんだな。感心したよ、マリー」

「嘘ではありませんよ。私達がここで倒れても、この城は100万の勇者軍に包囲されているのですよ? いくらあなたでも、それだけの数に勝てるはずが――」


 最後の最後に彼に絶望を突きつけようとするマリーシァをも、ロランは笑う。

 それは、この七年、ずっと彼女が見続けてきた、いつものロランの笑みだった。


「勇者軍は、全員、魔族だよ」


 そして、逆に突きつけられる絶望。


「…………え?」

「正確には、魔族を先祖に持った、魔族の血を引く人間、だけどな」


 表情を凍てつかせるマリーシァへ、ロランは笑顔をそのままに語り続ける。


「言ったろ、国を失った魔族は世界中に散った、と。それから七百年だぞ。魔族の血を引く人間がどれだけ増えたか、想像したことはあるか? そうした人々がどんな扱いを受けてるか、知っているのか? ……って、おまえは虐げる側だったな」

「で、では……」

「耳を澄ましてみろ」


 ロランに言われるがまま、マリーシァは耳に意識を集中させる。

 すると、気づく。


「戦いの音が、しない?」

「ああ。今頃は死んだ兵士に蘇生の霊薬を使ってるだろうからな」


 蘇生の霊薬は死後10分以内ならば死者を蘇生できるというアイテムだ。

 非常に貴重だが、錬金術で生産も可能な品である。


「霊薬の量産体制を整えるための時間も必要だった。そのための七年ともいえる」

「そこまで用意周到に……。では、勇者軍によるこの魔王城攻略は、全て……」

「おまえら三人と世界全体を騙すための芝居だよ」


 彼は、平然とそんなことを言いきる。

 真に迫る必要があったため、魔族側には一切何も知らせていなかったが。


「俺の魔王討伐の一報を、各国の王共が待ち望んでる。そこに突きつけてやるのさ。人類史上最大の軍勢は、人類史上最大の人類の敵になりました、とね」

「ぁ、あなたは、あなたという人は、世界の安寧を破壊する気なのですかッ!?」


 目をいっぱいに見開いて叫ぶマリーシァに、ロランが明朗に笑って答えるのだ。


「俺達の痛みの上に成り立つ安寧なんぞ、根こそぎなくなってしまえばいい」

「何ということを……!?」


「この決意を、俺はまずはおまえ達に知ってほしかった。知って、絶望するところが見たかった。それから殺してやりたかった。おかげで、今、最高にいい気分だよ」

「魔王……ッ! あなたこそ、本物の魔王です……!」


 流れる涙に声を濡らし、マリーシァが彼を罵る。

 しかし、ロランには罵倒でも何でもなく、ただの事実で、まぎれもない真実。

 彼は、ゆっくりと剣を振り上げていく。


「そうだ、俺が魔王だ」


 一度も勇者と名乗ったことのない男は、自ら魔王を名乗り、刃を振り下ろした。

 刃はみたび振るわれ、命が三つ散ろうとも、彼の心は一切動かなかった。

 ロラン自身が「無価値」と言った通りに。


「さぁ、準備は整った」


 彼は振り返って、いとしいエルリアを包むようにして抱擁する。


「始めようか、エル。俺と、おまえと、俺達についてきてくれる100万人による応報を。七百年に渡る魔族の雌伏をこれから一緒に覆そう。俺とおまえとで」

「はい、ロラン様。はい、はい……ッ!」


 彼の腕の中、齢七百を越える老婆が少女のように泣きじゃくり、幾度もうなずく。

 七百年ぶりに抱きしめる彼女は、姿は変われど何も変わっていなかった。


 魔王ロラン・ヴァルザネブは愛する人を抱え、玉座に座る。

 彼の胸の奥には、今も殺意が滾り続けている。人類に対する底なしの殺意が。


 ――この日、魔王は復活した。

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銀の髪の勇者は老醜の魔王と対峙する はんぺん千代丸 @hanpen_thiyo

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