銀の髪の勇者は老醜の魔王と対峙する

はんぺん千代丸

前編

 もはや、魔王軍の敗北は決定的だった。

 それを示すかのように、魔王の居城にも火の手が上がっている。


 大陸の北方、峻険なる山岳地帯にある雪と氷に覆われた闇の城。

 黒雲に覆われた空には嵐が吹き荒れ、地表では吹雪が全てを凍てつかせる。


 そんな極限環境の中で七百年不落であり続けた魔王城が、陥落しかかっている。

 漆黒の城を囲むのは、百万にも達する大軍勢。

 世界中から集まった人類史上最大規模のこの軍勢は、勇者軍と呼称される。


 今まで、度重なる人類側の攻勢を跳ね返してきた魔王城が、ついに攻め落ちる。

 それは七百年前の魔族侵攻に端を発する人と魔の戦いの決着と同義だった。


「行かせん、この先には行かせんぞ、人間共ォ!」


 快進撃を続ける勇者軍の前に、大盾の重装騎士が立ちはだかる。

 漆黒の鎧を纏う、常人の三倍の背丈を持つその男こそ、魔王軍四天王最後の一人。


「このゴグラドムがいる限り、この先には誰一人として進ませんぞ!」


 ゴグラドムと名乗った重装騎士の背後には、上に続く階段がある。

 その階段の先に、魔王ヴァルザネブがいる。


「怯むな、一斉に攻撃しろ! 敵は一人だ!」


 勇者軍の精鋭達が勇猛果敢に攻めかかる。

 同時に、後方より射手や魔術師による矢の雨、魔法の弾幕。逃げ場は皆無だ。

 だが、ゴグラドムは己の背丈ほどもある大盾でその全てを防ぎきる。


「な、何だと……!」

「小賢しいわ、小さき者共めがァ!」


 指揮官が驚いているところに、ゴグラドムが巨大な戦斧を片手で振り回す。

 その一薙ぎで、十人を超える兵が肉片となって散った。


「な、何て馬力だ……!」

「くッ、恐れるな! あいつを越えれば終わるんだ! 人と魔族の戦いが!」

「何度来ようと変わらん。俺がここにいる限りなッ!」


 おののく勇者軍を前に、ゴグラドムは威風堂々と自らを誇る。


「どうかな」


 だが、そこに水を差す一声。

 場にいる勇者軍の騎士や兵士達が、声のした方を振り向く。


「勇者様!」

「勇者様だッ!」


 兵士達が左右に割れて、奥から一人の青年が歩み出てくる。

 褪せた銀髪に、浅く焼けた肌。引き締まった身に帯びるはミスリル銀製の装備。

 腰には飾り気のない長剣を提げて、鋭いまなざしは世界全てに挑みかかるようだ。


 背後に三人の美女を従えて、勇者と呼ばれた青年は最後の四天王の前に立つ。

 ゴグラドムの顔が、驚きよりも先に憤怒によってキツく歪んだ。


「貴様、勇者ロランか!」

「俺がロランだ。勇者を名乗ったことは一度もないけどな」


 勇者とゴグラドムの対面はこれが初めてとなる。

 にも関わらず、最後の四天王は勇者に対して強烈な怒りと憎悪を発露させる。


「貴様が、貴様が勇者ロランかァ――――ッ!」

「何、何この人、初対面なのにすごいキレ散らかしてるんだけど……?」


 ゴグラドムの剣幕に、勇者が従える美女のうち、蒼い髪の賢者が驚きを見せる。


「何か、因縁があるのかもしれませんね」


 赤い髪の騎士が、いつでも戦えるよう腰の双剣を鞘から引き抜く。

 最後の一人、桃色の髪の神官も杖を両手で握って、ゴグラドムの巨体を見上げる。


「勇者様ぁ、こっちはスタンバイOKですぅ~」

「ありがとう。でも、大丈夫だ」


 臨戦態勢を整えた自分の仲間に、だが、勇者は振り返りもせずに小さく笑う。


「俺一人でいい」

「貴様、この俺を愚弄するか……ッ!」

「御託はいい。それよりも来いよ、デカブツ。俺は魔王に用がある」


 軽く手招きをして挑発するロランに、ゴグラドムが顔から表情を消す。

 直後、絶叫と共に彼は戦斧を振り上げて、ロランに向かって大きく踏み込んだ。


「貴様だけは、魔王様には会わせぬゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――――ッ!」

「悪いけど」


 ロランが身を低く構え、腰の剣の柄に手をかけた。


「おまえの都合は聞いてない」


 抜きざまに放った横薙ぎの一閃が、漆黒の鎧ごとゴグラドムを両断する。

 腹の辺りで上下に分割され、勢い余って四天王の上半身が血を散らして宙を舞う。


「バ、カな……」


 それが、魔王軍四天王最後の一人、ゴグラドムの最期の言葉だった。

 目の前で起きた一撃必殺に呆然となっている兵士達へ、ロランが笑って告げる。


「俺達の勝ちだ」

「ぉぉ……」

「勝った、勇者様が勝ったんだ……!」


 ロランの一言によって我に返った兵士達が、今度は声を重ねて喝采を上げる。


「「「ウオオオオオオオオオオ! 勇者様、万歳ィィィィィィィ――――ッ!」」」

「本当に、勇者と名乗ったことはないんだけどな」


 苦笑しつつも、彼の瞳は玉座の間を厳しく見据え続けていた。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 勇者ロランと三人の仲間が階段を上がっていく。

 兵士達の同行はロランが断った。


「わがままな人ですね、あなたは……」


 ため息交じりに言ったのは、亡国の姫騎士マリーシァ。

 八年前、魔族に故郷の国を滅ぼされ、復讐を誓った赤髪の双剣使いである。

 三人の中ではロランと最も付き合いが長い女性だ。


「わがままなのはわかってるけど、いいだろ。これくらいは」

「いいのかな~。一応、勇者軍の総司令官だよね~、ロランのおにーさんはさー?」


 ここで、蒼髪の魔女リリエールが疑問を呈してくる。

 魔女は人魔両方の血を引く一族で、それが理由で魔族に滅ぼされてしまった。

 唯一の魔女の生き残りである彼女もまた、復讐のためにロランに同行している。


「別にいいんじゃないですかぁ~? 勇者様の目的は魔王の討伐であって、勇者軍の指揮ではありませんしぃ~、勇者軍自体、勝手にできたものですしぃ~」


 間延びした声で、桃色の髪の僧侶リュクティアがロランに代わって答える。

 彼女は、神の声を聞いて勇者探索の使命を帯び、旅をしていた僧侶だ。

 そしてロランを勇者と見定め、以降、ずっとついてきている。


「……ここに来るまで、七年かかったな」


 歩きながら、ふと、ロランが漏らした。


「長かったですね、ここに辿り着くまで」

「ああ」


 マリーシァに言われて、彼は押し殺した声でうなずく。


「あたしは一族皆殺しで、マリーシァのおねーさんは国を滅ぼされて……」

「そうした非道があるからこそ、神は勇者様に魔王討伐のを託されたのですよぉ~」

「それに、魔族への復讐という意味では、この中で最も深い恨みを抱えているのは、ロラン本人ですからね。ねぇ、そうでしょう、ロラン?」


 三人の仲間が口々に言う。

 それを聞いて、ロランは階段を踏みしめながら己のこれまでを思い返す。


「……エル」


 彼の口から紡がれたのは、ここにはいない女性の名。

 聞いていた仲間達も、一様に表情を曇らせて、俯いた。


「それって、ロランのおにーさんの幼馴染の名前、だよね……?」

「ああ。リリエと同じように故郷を焼かれて、俺とエルだけが逃げ出せた。でも、しばらく逃げたあとで、追っ手に捕まって死に別れたんだ……」


 ロランが、自分の左胸に手を当てて、静かな声音でもう一度呟く。


「エル。もうすぐだ。もうすぐ、全部が終わるよ」


 その呟きが終わると、四人の間が静まり返る。

 しかし、すぐにリリエールが声をあげて、場を盛り上げにかかった。


「大丈夫、終わるよ! そのために七年もかけて、世界中を回って色んな事件を解決してきたんでしょ!? 何か、その結果、勇者軍とかできちゃったけどさ!」

「それも勇者様の人徳のなせる業ですぅ~。世界中の人々が、勇者様の勇気に奮い立って、魔族の脅威に立ち向かう気になったからですよぅ~」

「人徳はわかりませんけど、魔王を討てるのはロランだけですよ。ねぇ、ロラン?」


 自ら、ロランの相棒を自負するマリーシァに呼ばれ、ロランはうなずく。


「……魔王ヴァルザネブ」


 その名を呼ぶロランの声には、ただならぬ殺意が込められていた。

 全身より迸る殺気はすさまじいもので、三人はビクリと身を震わせる。


「ロラン……」


 マリーシァが、ロランの隣に立ってその右手をギュッと握る。


「必ずや、勝ちましょう。勝って、私との未来を切り開きましょう」

「あ、おねーさんズルい! それを言うなら『あたし達との未来』でしょ~!」


 リリエールがマリーシァに抗議すると共に、ロランの左隣に立って腕を絡める。

 それを見ていたリュクティアが、後から「えいっ」と彼に抱きついた。


「……三人共?」


 三方を仲間に固められて、さすがにロランは歩みを止めざるを得ない。

 するとマリーシァがほんのり頬を赤く染めて、彼に向けてこんなことを言い出す。


「……そ、そろそろ私達とのこと、真剣に考えてほしいのです」


 魔王との戦いを前に言うようなことではないだろう。

 同時に、魔王との戦いを前にしているからこそ、言う必要があることでもあった。


「そーそー、おにーさんのことが好きって、あたし達はずっと言ってんじゃん。なのにいつまでもオアズケはひどいと思うんだよね~?」

「私はぁ、勇者様の所有物なのでぇ~、別にモニョモニョとかはぁ~……」


 堂々と主張するリリエールと、内容は過激なクセに声は小さいリュクティア。

 三人から好意を向けられ、普通ならばまさに男冥利に尽きるところだ。

 しかしロランはその表情をいかめしくして、目を伏せる。


「……すまない。もう少しだけ考えさせてくれ」


 魔王を前にしたこの期に及んでも、彼が返す答えは同じだった。


「やっぱり、エルさんのことが?」

「ああ」


 マリーシァが口にした名に、ロランはうなずく。

 焼かれた故郷を共に逃げ、死に別れたというロランの幼馴染、エル。


 彼の胸の奥には、未だにその幼馴染が生きているという。

 それで、幾度自分達の求愛が断られてきたか。


「諦めませんよ、私は」


 だが、マリーシァは頬を赤くしたまま、努めて明るくそう言うのだ。


「いつかあなたの胸に刻まれたその傷を、私が癒してみせます。いつか、必ず」

「だぁ~かぁ~らぁ、そこは『あたし達』でしょ~! 何で一人で突っ走るの!?」

「えっと、えっと、私は勇者様の所有物なので、がんばりまぁ~すぅ……」


 マリーシァの答えにリリエールが物申し、リュクティアはとても声が小さい。

 まさに三者三様の反応に、ロランは軽く苦笑をする。そして――、


「着いたな」


 ついに四人は階段を上がり切って、玉座の間に続く大扉を前にする。


「みんな、準備はいいか?」


 腰の剣を改めて抜き放って、ロランが三人に確認する。


「ええ、もちろんです。これが、最後の戦いですね……」


 マリーシァが愛用の双剣を両手に構え、その表情を引き締める。


「ま、緊張せずに行こうよ。勝って、派手に打ち上げしたいよね~」


 リリエールが魔導書を片手に抱えて、明るくニカッと笑う。


「主よ。私の勇者様に力をお貸しくださいです。これで、終わらせるために……」


 リュクティアが、両手に持った杖を掲げて、自身が仕える神に祈りを捧げた。


「行こう」


 ロランがゆっくりと扉を開き、玉座の間が露わになる。

 広い、ただただ広い、そして何もない、いっそ空虚とも呼べる玉座の間。

 寒々しいだけのその空間の最奥に、一段高い場所があり、そこに、


「ついに来たか」


 ロラン達を出迎えたその声は、全く潤いが感じられない、しわがれた老人のもの。

 大きな玉座に座るのは、黒いローブを着た小柄な人物。

 顔はフードで隠れて判然としないが、玉座に座っているなら間違えようもない。


「あれが、魔王……」


 緊張を孕んだ声で、マリーシァが玉座の人物をそう呼ぶ。

 七百年に渡り、人類の脅威であり続けた魔族の王。

 そして、ロランにとってもマリーシァ達にとっても、断ち得ぬ因縁を持つ相手。


「貴様が、勇者ロランだな」


 ローブの奥に垣間見える瞳に憎悪の光を滾らせて、魔王は勇者の名を呼んだ。

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