第2話 雪降って
「........っ!」
冷たい風が僕の頬を撫でた。
久々に見た外の町並みは、目眩がするくらい煌びやかで、眩しくて、綺麗で。
透き通った空気が僕の吐息を白く染める。
「綺麗........」
「だってクリスマスだもん。一年に一度だけの特別な日........なんだよ?」
彼女は少し笑って、頬を染める。
浮世離れした町に、その浮世離れした横顔は、やっぱり幻みたいで。
目を離した隙に、何処か遠くへ行ってしまいそうな彼女を繋ぎ止めておきたくて、僕は握られた手に力を込める。
「........」
そんな僕にやっぱり彼女は少し困った顔をして、それすらも愛おしかったりして。
「いこっか」
「........うん」
こんな時間がずっと続けば良いなって、本気でそう思った。
装飾された町並みを抜け、僕たちは丘の方向へと歩を進める。
静寂の中に響くブーツの足音は心地よく、寒さなんて気にならなかった。
その間も、強く握られた彼女の手を離すことはしない。
「........もうすぐ」
浮わついた思考で、何処に向かっているのかも分からないまま、
彼女の綺麗な黒髪の隙間から覗かせる、雪のように白い首筋に違った意味で心拍を狂わせた。
そんな
「........ついたよ」
気がついた時にはもう目的地に到着していた。
「ここって........」
街灯に照らされた白いベンチ、ポツンと佇む小さなブランコ、花壇には名も知らぬ白と薄紅色の花が咲いている。
それは僕の知っている場所だった。
「冬弥くんと来たかったの」
町外れの公園。
丘の上の休憩所。
ここはそんな風に呼ばれている場所だった。
人通りが少なく、ゆっくりするには最適で、よく学校の帰りに雪菜とも訪れていたのを覚えている。
ただ、それだけに少し違和感がある。
確かにここは彼女との思いでの場所ではあるが、これと言って何もない場所でもある。
要するに、クリスマスの日に恋人と来るような場所ではない。
それを裏付けるように、この場所には僕と雪菜の二人以外誰もいない訳で。
「本当にここなの?」
「うん」
彼女の屈託のない笑顔から、どうやらこの場所で間違えないらしい。
そんな彼女を見てたら、些細な事はどうでも良くて、二人っきりで過ごせる事を考えたら最適の場所の様にも思えてきた。
僕はいつも通り、彼女と過ごした白いベンチに向かおうとして──
「今日はね、こっちだよ」
彼女はベンチとは真逆の方向を指差した。
僕は彼女に手を引かれるまま、ブランコを通りすぎ、花壇を通りすぎ、街灯の差し掛かるフェンスの前に移動し──
彼女がここを選んだ本当の理由を知った。
「........!」
フェンス越しに視界を彩ったのは、目一杯の光だった。
暗闇を照らす、白、青、金の煌めきが町全体を覆っている。
先ほどまで見ていた眩しいだけの光達が、聖夜の夜に溶け込み、淡いコントラストを描いていた。
その想像を絶する光景に圧倒された僕は息を飲む。
「ここがこんなに綺麗だなんて、冬弥くん知らなかったでしょ?」
そう言った雪菜は悪戯に成功した子供のような笑顔を僕に向ける。
こんなサプライズがあるなんて知らなかった。
クリスマスのこの場所がこんなに綺麗なんて知らなかった。
それは幸せな時間で、大切な思い出で。
ただ、それだけに、
幸せな時間だけに考えてしまう。
「................」
一年前はどんな景色だったのだろうって。
来年はどんな景色になるんだろうって。
その次も、そのまた次の年もクリスマスはやってくる。
その隣には、
僕の隣には、
──もう君はいないんじゃないかって。
「........クリスマス、終わっちゃうね」
「................嫌だ」
「........去年の続き、もう終わっちゃうね」
「........嫌だ!」
「........幸せな時間、もう終わっちゃうね」
「........嫌だっ! 嫌だっ! 嫌だっ!」
恥ずかしくたって良い、みっともなくたって構わない。
駄々をこねて、我儘を言って、それで君が側に居てくれるなら僕は何だってやる。
それなのに........
「もう........分かってるでしょ?」
彼女は笑ってはくれないのだ。
笑って『冬弥くんは仕方がないなぁ』と許してはくれないのだ。
ただ僕に、事実だけを突きつけて、僕を傷つけて、それなのに僕よりも辛そうな顔をしていて。
「離れ、たくない........。夢、見させてよ........」
「私だって........。でも夢はね、覚めるから、夢なんだよ? いつまでも起きないままだと、どんどんと弱っていって壊れちゃうの」
「夢のままで良い! 壊れたって良い! 僕は──」
「ダメだよ」
「................」
「私がそんな事、許せないんだよ」
震えていた僕の左手を彼女の右手が温める。
両の手を繋いだ状態で雪菜と見つめ合う。
「夢の時間はもうおしまい」
「雪菜........」
「私は、あなたの──ううん、大好きな人の胸の中で眠ります」
「行かないで........」
「そうしたら、あなたに掛かった魔法は溶けて」
「もうちょっと、もう少しだけ........」
「私の声は聞こえなくなります」
「嫌だぁ........嫌だぁ........っ!」
「大好きな人は、これからもずっと、ずーと健康で元気に長生きして」
「ずっと........僕と........」
「私の事なんか忘れちゃうくらい幸せになって........」
「................っ!」
「........それが........私の幸せです」
「................」
「私と........冬弥くんの........幸せです」
心が震える。
腕が震える。
それは僕の腕が震えているのか、彼女の腕が震えているのか、或いは──
彼女は涙をいっぱい瞳に浮かべて、無理やり笑顔を作って。
最後だって分かっているから、僕も笑おうとして、雪菜と同じ顔になっていて。
「もう........っ........さよなら........なんだ」
「........うん」
「もう........雪菜に........雪菜にぃ........あっ、会えないんだ........っ!」
「................うん」
雪菜の白い手の平が僕の頬に触れる。
それは冷たくも温かくもなくて。
僕の涙を優しく拭ってくれるけど、視界はぐちゃぐちゃのままで。
「冬弥くんと会えて........良かった」
「僕も........雪菜と会えて........良かった........良かったぁ........っ!」
「冬弥くんの恋人で........良かった........良かったよ........?」
「僕も........僕だって! 雪菜じゃなきゃ........雪菜じゃなきゃダメだった........っ!」
「................っ! 今日はクリスマスだから........恋人達の日だから........さ........」
雪菜の顔がゆっくりと近づいて、お互いのおでこがぶつかる。
「最後........だから........」
「雪菜ぁ........」
「........さよなら、冬弥くん」
「雪──」
僕の声を響かせようとした唇に彼女の唇が重なる。
それは、柔らかくて、温かくて、優しくて。
切なくて、嬉しくて、ほろ苦くて、甘くて、彼女との日々を思い出して。
「........んっ........ん........」
そんな思い出が色褪せない様に、ずっとこの時間が続く様に僕は目を閉じる。
「................」
彼女と初めてあった日。
初めてデートに行った日。
初めて告白した日。
初めて恋人になった日。
「........ん................」
雪菜と初めてクリスマスを過ごした日。
二回目のクリスマスを最後まで過ごせなかった日。
来年は家で料理を作ってのんびり過ごしたいと言ったあの日。
「................っ........」
その全てが鮮明な記憶となって僕の脳裏に焼き付く。
彼女の顔が、声が、匂いが、仕草が、全部、全部、全部が僕の中に溶け込んで、脈打って。
目を開けるのが怖くて、怖くて、
でも──
「........っ!」
ふと、頬に触れた冷たさに目を開けてしまった。
一度触れたその冷たさは、何度も何度も僕の身体に触れて、辺り一面を白く変えて。
「........雪」
僕の目の前から大切な人を消してしまったんだ。
温もりも、柔らかさも、切なさも、全部、全部、白く染めて。
「........綺麗」
なのに、汚れを感じさせないそれは綺麗で、何処か懐かして。
まるで、大好きだった人のように思えて。
「........さよなら」
僕は受け入れる事が出来たんだ。
「........................」
凍えるような寒さの中でも絶えず心臓は動く。
降りだした雪はすぐには止まない。
だけど、白い雪もいつかは溶けて泥になる。
だから溶けてしまう前に、
黒く汚れてしまう前に、
僕はもう一度、瞳を閉じる。
この白い雪に君の──
僕の鼓動を重ねて。
白い雪に鼓動を重ねて 岡田リメイ @Aczel
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