白い雪に鼓動を重ねて
岡田リメイ
第1話 会いたくて
「まだかなぁ........」
テーブルの上に料理の取り皿を置いた男──
少し薄暗い部屋。
その暗がりを照らすのは蝋燭の光。
目の前に用意された豪勢な料理は二人分。
テーブルの脇に置かれた小さなツリーの先端には星形の飾り物が付けられており、クリスマスパーティーの準備は万全だった。
あとは待ち人である彼女が来れば、今すぐにでも始められるのだが........
「頑張ったのに、な........」
顔を俯けた冬弥は溜め息を吐く。
待ち人である少女──
雪菜と付き合い始めてもう三年の時が経つ。
付き合い始めてから毎年、クリスマスは彼女と過ごしていた。
だけど、最後に会ったのは去年のクリスマス。
恋人などと言っておきながら、一年も彼女に会えて居なかった。
勿論、彼女と合えない日々は寂しかった。
でも、時々彼女の声を聞く事が──いいや、聞こえてきたから何とか耐えてこられた。
実を言えば、彼女との約束などなかった。
それでも、今日は会えるような、そんな根拠のない希望を信じて止まなかったのだ。
メラメラと燃える蝋燭の炎をぼうっと見つめる。
どのくらいの時間待っただろうか。
もしかしたら、彼女は来てくれないのかもしれない。
そんな悲観的で絶望的な想像が心音を激しくする。
その時──
「久しぶりだね、冬弥くん」
「あっ、あぁ........」
僕の心臓が跳ねた。
目の前の少女に目が離せなくて、言葉を上手く綴れない。
長い黒髪が綺麗で、少したれ目の優しい瞳が好きで、笑った時だけその整った顔がくしゃっとする所が愛おしくて。
会いたかったその人は一年前と全く変わらない姿で目の前に現れた。
「........会いたかった! ずっと、ずっと会いたかったんだっ........!」
「ごめんね、きっと私の所為で色々、大変だったよね」
「そんなこと! そんなことないよ。雪菜に会いたくて。今日だって二人で過ごしたくて──」
僕はテーブルに視線を送る。
少し冷めてしまったが、豪華と言って差し支えない料理の数々が綺麗に並べられていた。
「........クリームコロッケ。私の大好物覚えてくれてたんだ」
「喜ぶ顔が見たかったからさ。冷めちゃったけど味は美味しいから。よかったら温め直すし、ちょっと待って貰えれば──」
「大丈夫」
「え?」
「私、食べないから。大丈夫だよ」
雪菜は少し困ったような、申し訳ないような顔でそう言った。
料理が気に入らなかった?
いや、彼女の好物ばかりを用意したはずだ。
会えなかった事を反省して僕に遠慮している?
それなら、そんな遠慮はいらない。
だって、彼女の為を思って──彼女の為だけを思って用意したのだから。
「遠慮しないで。沢山作ったし、食後のケーキだって──」
「ううん、違うの。私、食べたくても食べられないから」
「どうして........?」
「だって、私ね........」
視界がぶれる。
ぶれたような気がした。
「──もう死んでるの」
言葉を理解出来ずに固まった。
もしかしたら、咀嚼する事を体が拒んだのかもしれない。
なんでそんな冗談を言うんだ。
冗談にしたって趣味が悪すぎる。
折角の日に、こんな大事な夜に、何とも彼女らしくない。
「そんな冗談、やめようよ」
「冗談、じゃないんだよ?」
「そんな、だって........」
僕は彼女の嘘を確かめるために手を伸ばす。
その色白で、綺麗な頬に触れようとして──
「........あっ」
僕の腕は空を切った。
「なんで........なんでだ?」
再び彼女に手を伸ばす。
その度に僕の腕は、不様に踊り、何も掴めずに蝋燭の炎を揺らすだけ。
まるで、傀儡師を失った下手くそなマリオネットのように。
「あっ........あ、あぁ........っ........」
瞳から溢れだした熱い液体が視界を歪め前が見えない。
大切な人に触れられないこの手が酷く憎らしい。
それでも、腕を伸ばす事をやめない。
何度も、何度も、何度も。
けれど、そこにはもう彼女はいなくて。
「雪菜? どこに行ったんだ? 雪菜っ! 雪菜っ!!」
僕は椅子を薙ぎ倒し、彼女を探す。
玄関、台所、自室、洗面台、部屋中を血眼になって。
やっと会えたんだ。もう離れたくないってそう思ったのに。
それなのに──
「いない、いない、いない、いない........っ!」
そのどこには雪菜はいない。
「うっ........う、うぅ........何で........どこに........どこにいるんだよ........っ!」
僕は力なくその場に崩れ落ちた。
彼女を見つけられない焦りが僕の心拍を狂わせる。
どくどくと高鳴る鼓動で何も聞こえやしない。
気がつけば、僕は両の手を胸の上に重ねていた。
「................」
一定のリズムを刻み、全身を鼓舞する重音。
どこか懐かしさを孕んだ、その音に酔いしれて。
「........いた」
ふと、思い出した。
それは僕のものであって、僕のものじゃないって。
「ずっとここにいたんだ」
彼女のものだって。
「やっぱり、死んでなんてなかったじゃないか」
目の前には、悲しそうな、今にも泣き出してしまいそうな雪菜の顔がこちらを覗いていた。
「........もう、やめようよ」
「........」
「私は死んでいて、貴方は生きてるの、だから──」
「雪菜はここで生きてるよ」
「冬弥くん........」
脈打つ心臓はより早く。
この感覚が生きているという事を強く実感させた。
だけど、彼女はやっぱり困ったような顔をしていて。
僕は雪菜には笑っていて欲しいのに。
「それはもう貴方の心臓なの。私のものじゃないの 」
「そんな........信じれるわけないよ。雪菜は生きている。今だって僕に声をかけてくれて、これからもずっと、ずっと........」
「私を........私を忘れてなんて言わないよ? だけど、貴方の中でちゃんと死なせて。じゃないと──」
綺麗な瞳だった。
優しげで、愛おしくて、恋しくて。
だけど、瞳いっぱいに涙を浮かべて、
「冬弥くんが........壊れちゃうっ........」
鈴のような声で君は泣いたんだ。
その整った顔をくしゃくしゃにして、まるで幼子のように。
僕は彼女の涙を拭いたくて手を伸ばす。
だけど、すり抜けて、彼女には触れられなくて。
「泣かないで、雪菜」
「私がっ........! 私がっ........貴方を置いて行ったから........っ! 冬弥くんはこんなになって........。 ごめんっ........ごめんね........」
僕は何も出来ないんだ。
背中をさすってあげようとして、やっぱりすり抜けて。
無駄だと分かっていても、彼女の悲しみを少しでも取り除いてあげたくて。
そんなもどかしさが、切なくて。
「........続き」
ぽつりと彼女が呟いた。
その目にはもう涙はなくて。
「あの日の続き........しよっか。まだクリスマスは終わってないから」
代わりに決意のようなものが宿っていて。
おもむろに立ち上がった彼女は、洗面台を抜けて、玄関の方に向かっていく。
「待って雪菜!」
僕は必死に追いかけて、玄関の前に立つ。
「あの後、本当は行く予定だった場所。冬弥くんと見たいから」
雪菜がこちらにそっと手を伸ばす。
僕はその手を掴もうとして──少し躊躇う。
「........」
だって、今日はとても寒い日で、道路は凍っていて。
それなのに人々は少し浮かれて、油断していて。
そんな所では、きっとブレーキなんて利かなくて。
大きなトラックは曲がりきれないから、また轢かれてしまうのが怖くて。
「怖い........?」
「........怖いよ」
「大丈夫」
雪菜は僕を落ち着かせるようにそう言った。
そして、僕の手を掴もうとして──
「........あっ」
温かくて、柔らかくて、優しい感触が僕の手に触れた。
それは幻なんかじゃなくて、確かに質量を持った人肌の温もりがあって。
彼女の両手が僕を優しく包み込む。
「大丈夫、怖がらないで」
「僕は........」
「私の大好きな人はね、最初の一歩を踏み出す力があるんだよ。それは私が一番知ってるの。だから──」
玄関の扉を開いて、
「前に、進めるんだって」
雪菜に手を引かれ、僕は一歩を踏み出した。
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