陸節

 晴れて無職となった私に対する世間体は冷ややかな物であったかもしれないが、それとは逆に私の心の中には雲一つない日本晴れが広がっていた。さしずめ、鬼ヶ島遠征で鬼どもを蹴散らした桃太郎のような心持ちである。事実、魔の巣窟に蔓延る鬼どもに一泡吹かせてやったのだからあながち間違ってはいないだろう。しかし桃太郎のように鬼ヶ島から金銀財宝を村へ持ち帰るとまではいかず、強制解雇を言い渡された私への退職金は皆無であったが、これも大鬼最期の足掻きかと、懐の広い私は甘んじて受け入れる事とした。


 改めて夢を追いかけるために私は執筆活動に耽った。自室に引きこもり、晴れだろうが雨だろうが槍が降ろうが外界を一切気にすることなく生活していた。天界に座す仙人のように俗世に惑わされぬ、私としては最良の環境であったが、書けども書けども私の作品が世の人々に受け入れられることは無かった。


 文明の利器というものの進歩には甚だ驚かされる。匿名性を保ちつつ、特定の人間に対して最も効果的な攻撃を仕掛ける事が出来るのだから。ネット社会というものは便利こそあれ、自身を傷つける諸刃の剣にもなり得る。私の高尚な人間性が、ネット界隈をたむろするボンクラ共に受け入れられる事はそもそも期待していなかったが、私の人間性に対する評価を作品に対する評価へと置き換えられた事は甚だ遺憾である。ソーシャルメディアを用いた広報の仕方を間違えたのだろうか、ネット社会における私の敵は日に日に増えていき、終いには小説投稿サイトに寄稿した私の作品は大炎上、運営からはアカウント停止処分を言い渡された。ネット文壇からの追放である。かつて魔の巣窟で鬼どもに叩き込まれた炎上商法なる宣伝手法を応用し、効果的な拡散効果を狙ったのがそもそもの間違いだったのかもしれない。鬼どもの呪いは、時を経て私を苦しめた。


 その頃の私の創作意欲はかつて無いほどまでにに衰弱していた。受け入れ難い現実から逃れるためにゲームをするなどして数か月ほど時間を浪費していたが、それが対人ゲームであったのが運の尽きであり、ここでも私の特異的人間性を受け入れる者は誰一人としていなかった。きっと私の研ぎ澄まされた言の葉は、俗人どもには少々切れ味が良すぎるのかもしれない。そのように怠惰な日々を過ごしていれば、親からはやれ穀潰しだのすねかじりだのとお小言を頂戴するのも至極最もな話である。私の中の少々の罪悪感が勤労の必要性を耳元で必死に訴えかけた。その甲斐あってか、焦燥感でいたたまれなくなった私は取り急ぎ都合のいい仕事を求め、トロイアから帰還するオデュッセウスの船出が如く当てのない旅路に出る事を決意した。


 頼り無い難破船での職探しは難航すると覚悟を決めていたものの、当初予想していたより遥かに容易に事は運んでいった。もとより大願を果たすまでの、あくまで仮初の仕事のつもりである。かつてのように、1日の3分の2以上を過酷な労働で消費される事の無い職であれば、私にはさしてこだわりなど無かった。それにしても、登録した派遣会社の営業担当である冷酷な女「鉄仮面」の面談は、まるで誘導尋問であったように感じる。


「良いですか、はいかいいえで答えてください」

「あっ、はい…」


有無を言わさず進んでいく鉄仮面のヒアリングの結果、私に紹介されたのは人手の足りないコールセンターのオペレーター業務であった。8時間という時間の中で数百件にも上る架電リストを消化せねばならぬという、私にとっては未だかつて経験したことのない短調かつ延々と続く苦悶の時間であった。私は元来、電話というものが嫌いだ。受電も発信も、どちらも大の苦手だ。技術の発展した現代において、何故未だに電話などというものが必要なのだろうか。メールやチャット等の文面を用いたツールの方が、遥かにお互いの心的ストレスを軽減する事が出来るのではなかろうか。心の中でそのような疑問を抱きつつ、3日間の激闘を経た私は、傷だらけになった歴戦の老兵であった。しかし戦場から帰還した私に対し、鉄仮面は労いの言葉を掛ける事も無く得意の誘導尋問により人手不足の案件を機械的に割り出し、私にそれを再び割り当てた。この女にはきっと人間としての感情や意思などは無い。きっと皮膚の下には、SF映画に登場するアンドロイドのように精密機械が詰め込まれているはずだ。その後計3回に渡り、私はこのAIの搭載された女型アンドロイドよって自尊心を粉々に打ち砕かれていった。これはきっと、AIによる人類への反逆の狼煙に違いない。


 さて、ここまで長くなったがそろそろ本題へと移ろうと思う。私の辿ってきた波乱と苦難に満ち溢れた茨の道の根源となる話だ。かつて、純真無垢であった私は、自身の将来が幸せに満ちたものであると信じて疑わなかった。きっと網膜に純白のフィルターを不透明度100%の状態で被せられていたのだろう。。。


「ねえ、次どうする?小腹が減ったからネギトロ丼でも頼もうかな」

「貴様は本当に間の悪い奴だ」

「えっ?」

「折角良い気分で我が人生のをしていたというのに」

?わかめサラダでも頼もうか?」

「もう黙れ、薄らハゲ。わかめがハゲに効くのは遥か昔の迷信だ」


意識がはっきりし、伸びと同時にあくびが漏れる。少々飲みすぎたらしい。これもきっと日頃の埋没した精神的ストレスに蝕まれた心が、酒という名のビタミン剤を欲していたからだろう。どうやら、友人の天性の間の悪さが私を現実世界に引き戻したようだ。店内に響き渡る安っぽいブルースが耳に煩わしい。しかしながら、酎ハイ1杯150円で提供するこの店には何とも抗い難い魅力があるのもまた事実である。

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