伍節
希望に満ち溢れたフレッシュ新社会人であった私の鮮度と肌のツヤは、入社1か月を過ぎる頃には既に失われていた。およそ新入社員には負担しきれぬほどの大量のタスク、至極当然のように言い渡される途方もない残業、脳に軍国主義のスローガンが彫り込まれたような鬼畜老害どものご機嫌伺い、それらはまるでアマゾン川の水底で獲物を待ち構えるピラニア共が新鮮な獲物に噛り付くように私の心身をズタズタに食い破っていった。その頃の私は肉の削げ落ちた白骨であったに相違ない。耳に心地良い採用担当の
この生き地獄を
しかし、入社何年目であったかは記憶が曖昧であるが、とある事がきっかけで私の我慢という名の泥交じりの汚水をせき止めていた最後のダムはいとも容易く決壊した。それは悪鬼の頂点に君臨する大鬼が我ら亡者共に課した読書感想文であった。大鬼はとある新興宗教に傾倒しており、人里から掠奪せしめた収益の大部分を教団に寄贈しているとまことしやかに囁かれていた。その布教活動の一環だったのであろう、大鬼は課題図書と称してその教団の祖が著した「魂と波動」についての経典を強制的に我々に売りつけ、あろうことかその感想文の提出を求めたのだ。その書籍を開いた私は目を疑った。内容の稚拙さと改行の多さによるページのかさ増しもさることながら、このような中身の無さで何と価格は一千と八百圓。勿論税別である。これほどまでの不条理があるだろうか。洗礼を受けた信者であればこの経典を有難がることも出来るのだろうが、文芸を志す私からしてみれば、この欲に塗れた紙の束は全ての文芸への冒涜であり宣戦布告と見て取れた。その瞬間に私は、私の果たすべき大願を改めて見据える事が出来たのだ。そしてこれまでの報復と言わんばかりに、大鬼から課された感想文の作成にひと月の間熱量を注ぎ、最終的に売りつけられた紙束に記された一言一句を全て酷評してやり、更には全文の添削と改編案の提示までしてやったのだ。大鬼とその取り巻きの亡者共は怒り狂ったが、私にしてみればそれ以上に愉快痛快な事は無かった。結果、私はその数日後に強制解雇を言い渡された。その頃には、私は既に20代の後半戦に足を突っ込んでいた。
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