あお
@offonline
うそぶく
酷い天気だ。
一面真っ青で日差しが容赦なく降り注ぐ。これじゃまともに昼寝なんて出来やしない。風は心地良い分、実にもったいない。
午後のひと時、その甘い堕落が失敗だった。
そもそも保健室を使用されている事が問題だ。金曜だというのに体育で気を張りすぎた一年生は反省してほしい。まだまだ中学生気分の抜けないお子様ということか。
何もかもがついていない。
近頃、いや、ずっとそうだ。のろわれているのだろう。
勝手にボクへ委ねてくる。いらないのに押し付けてくる。
本当にどうしたものか。
今だって、ボクは不幸とともにいる。
先日と同じだ。
「人、殺したんだって?」
紫煙が漂っていた。嫌いな臭いにも慣れてしまう。それだけの付き合いがある。
結局、彼女との関係を断ち切るには嫌な面倒ごとに顔を覗かせて、知りたくもない事実に付き合わなければならなくなった。それがとても憂鬱で、なのに切ない。
視線を上げていけば、小麦に焼けた肌に丁寧な染色を施した茶髪が肩に触れている。染めているわりに綺麗だと思う。黒髪を貫いているふりをしているボクよりよほど整っている。
何よりも胸を突き出す形で天を仰いでいるわけで、それはもう、大きいと感心するばかりだった。しかし、あまりに見慣れてしまうと心苦しいばかりの絶望すら感じさせるほど、それこそ不感症のように性的欲求すら沸かなくなった。
もっぱら最近の性癖では慎ましやかさに向けられている。
隠れているわけではない。ただ、収まっている。そう表現できる胸の形状を妄想し、儚げな哀楽に溺れて、顔も曖昧な美少女という定義だけを大々的に打ち付けた中途半端な人形が夢に出てきては、淫靡な世界に浸るのである。
つまりは大きい胸に飽きていた。
「また、でかくなった?」
初めて会ったときも胸を見てでかいと思った。
顔はけっこう好みだ。性格もねっとりしていない。男っぽいというわけではない。自然体なのだ。
自己主張がしっかりしている分、集団を仕切る能力を有し、学生において絶対的優位を確立する運動神経を存分に揮う様から、男女分け隔てなく人気がある。
学業もまったくおろそかにしているわけではない。
はっきりいえば、交友関係を築くにはうってつけの物件である。
付き合いやすいのだ、引っ込み思案であろうとも会話する機会を与える。
つまり彼女は人気者なのだ。
表の顔というべきか、彼女はまさに女子学生の花形であると断言できるくらいには影響力を持っていた。
「おかげで稼ぎが良い」
ただ軽い。すこぶる軽い。その軽さを利用して童貞を捨てるのは簡単だろうけど、何かが違う気がする。
男の意地というか、童貞のみすぼらしい誇りというものか。
学校内での行為に及んでいるという噂もあるほどに軽い。
マイナス印象をあたえるであろうその噂に関して、彼女は否定せずむしろ肯定した。つまりは、仕事であると宣言したようなもので、その事実が衝撃を持って悪いことだというメーターを振り切り、一周した。
結果として、異国人めいた開放感溢れる性格だという認識が根付き、許容されたという実に稀な存在でもあった。
吾妻との付き合いを始めて助かっていることは多い。
男女間の関係はない。付き合いとして友達、というのも何か違う。友達といえるほどにお互いを知りえているわけではないし、休日に約束をして遊ぶこともしない。
学校でだって、集まってタバコをふかす彼女にわざわざ近寄ることもしない。そもそもとして、ボクは友達と呼べるほどの交友関係を築けていないのだから、ある意味で学校社会の中で隔絶した存在だ。
認識されているようで実のところ、空気めいていて、けれども居たほうが良いんじゃないかと判断されている程度にはクラスの人間たちから邪険に扱われているわけではない。
潤滑油とは大仰な例えであるが、気体というよりは液体的な役割を担っていると表現したいというのがボクの立ち位置である。しかし、初めからこうだったわけでもない。
そこに付き合いにおけるメリットがあった。
ボクからアプローチを仕掛けるなどという高等技術を有しているはずもないのだから、始まりは吾妻自身が近づいてきたことだけど、ボクのことをはっきりと認識していたからこそだと思っている。
今までこういう出会いは少なかったから、当初は緊張したが今となっては杞憂といえる。
吾妻の性格はおしとやかでは決してないから、とても接しやすかった。
紆余曲折があった、と思う。とにかく吾妻とボクが付き合っているという噂を経て、なんというか参謀的な立ち位置になった。
その恩恵はでかい。参謀という役職は吾妻が集団を仕切る能力を有しているということで、中々に集団の中へ紛れ込むことがあったことに起因している。
ボクに自称する尊大な優越感を抱くことはなかったのだから、誰かが勝手に与えたものだ。居づらいと思ったことは大いにあるし、なんともなしに理由を付けてそういったいわゆる議論の場に出ないようにした。けれども、吾妻はそんなボクのことをその場で喋ったりする。つまりは、そういった吾妻の軽い口がボクを腹黒いキャラに作り変えてしまったのだ。
おかげで平穏な学校生活は終わりを告げている。後悔は少しばかりあるものの、仕方がないことだった。
「知ってるか? 先進国で唯一梅毒が増加している国に住んでいるのがボクたちなんだぞ」
「外国人にヤラれてるからでしょ。ウチは有料物件だからね」
「金を積まれたら?」
「時間五万ならゴム無しもオッケー」
あっけらかんと言い放つ吾妻の顔は、いつもと変わらない挑発的な笑顔が弾けていた。
「五万はボクでも悩むな」
どんだけ荒稼ぎしているのか。そんな質問を出そうかとして飲み込んだ。きっと、それはボクが将来的に社会へ溺れていくことへの抑止力となってしまう危険性をはらんでいるはずだ。
働くのが馬鹿馬鹿らしくなって、それからどうする。ボク自身の身体でも売るのか。
「紹介しよっか」
「イケメン?」
「残念、ポンポコタヌキ」
「保健所に引き取ってもらいなさい」
「野に放てば勝手に引き取ってくれそうだけどね」
「獣害だって最近は問題になってるからな。きちんとせにゃいかん」
「政治家に向いてそうだよね」
小難しい言葉を知っていますね。
「どうだろう。領収書はきちんと計上するくらいに律儀だから、難しいかもしれない」
「まったく、ああいえばこういう口ね。こしゃくな奴よ」と、どこかの時代劇から持ってきたかのような言葉を吐き出していた。
それはお互い様だと思ったけど、あいにく紫煙を吐き出す口元がこちらを向いていたので顔を背けた。
顔に広がる煙を吸わないように手で仰いだ。まったく、これだから喫煙者は困る。非喫煙者の健康被害なんざお構いなしだ。
「それで、どうなのよ」
珍しくも、吾妻はねっとりとそんな言葉を吐き出していた。
タバコはすでに半分もない。もうじき新しいタバコに火をつけるだろう。そうして、心を落ち着かせていなければ、吾妻という存在を固定できないのだという。
吾妻にとってのシンボルが中毒になったタバコだ。
ニコチンだけじゃない。吾妻はタバコそのものに憑かれていた。
今日の吾妻は、どこにでもいる女子生徒となんら変わらなかった。
「殺していると思うの?」
「アンタならやりかねない」
酷い言い草だ。
「だったらもっと上等なやつを殺すよ」
真ん丸い目玉をこちらに向けた。素っ頓狂な顔。真顔なのに、呆気に取られているようで、面白い。
吾妻も女子高生だったと今になって実感した。
「たとえば?」
これには悩む。
考えてみるとボクは意外と善良な市民のようで、怨念を持って誰かを殺したい衝動に駆られるくらいの人物が、すぐには思い浮かばなかった。
身近にいないことは良いことだ。殺したいと思うけど、すぐに忘れてしまうというのが正しいのかもしれない。だからこうして、改めて面前と殺したい人は誰ですかという質問に対して就職活動中の学生並みに苦悩してしまった。
「……政治家とかかな。日本の政治は死んだ。とか叫んで目当ての政治家殺した後、割腹自殺するんだ」
「それは、難しそうだね」
どうやらお気に召さなかったようだ。興味ないという意志表示されたかのように、顔はふたたび空を向いた。
「そう? 意外といけそうだと思うけど」
真似をして上を向いた。コツリと、コンクリートが後頭部に当たる。ひんやりとして心地が良かった。ぐりぐりと押し付けてみる。きっと汚れているだろうけど、気にはならなかった。
「面倒くさがりのアンタが警備の張り付いてる現場までたどり着けるか、まずそこが問題ね」
「重要なプロセスだね。かなり入念な準備が必要になるよ」
「それで、結局準備だけして土壇場で面倒になるんだよね」
良くご存知で。
「戦略的撤退だから、そういうのは仕方がないよ」
「次に繋がるといいけど」
「そうだなぁ」
「それで?」
「ん?」
「人、殺したの?」
「いや、殺してないよ」
「そう?」
「そう」
「でも、殺したいくらい憎んでた?」
考えてみる。
ボクは人を殺せるのか。
そして、殺したいと心の中に溜め込んでおけるのか。
殺したいと思ったことはあっただろう。ただ、常日頃考えていたかといわれれば、違うではないかと否定が先になる。
どちらかといえば、そう、苦手なやつだったといえる。それはきっと、相手も同じ認識だったのではないか。
今となってはわからないが、どことなくそんな予感があった。
「かもしれない」
「そんなもの?」
「大して仲が良かったわけじゃないし、もういない赤の他人のことを考えても仕方ないと思うけどね」
「前を向いて人は生きていく」
「一歩一歩強くなっていくのさ」
「じゃ、噂はウソだと」
「噂、ねぇ」
誰もが情報に飢えている。
とりわけトレンドだったのは、数学教師の佐藤女史が、初任者研修に来ていた佐々木を食ったという話とか。
誰もいない音楽室で、誰かのうめき声とピアノの旋律が聞こえてきたとか、誰と誰が付き合っていて、子供を作ったのは今年の春に転校した二年生の女子だったとか。
でっち上げでも構わないとばかりに、高校生は噂が大好きで、彼らはそれをソースのない情報筋からのネタだと吹聴して、尾びれ背びれを気持ち悪いぐらいにつけて広げていく。
それが、彼らのアイデンティティーだと主張するかのように毎日の生活に氾濫している。
ボクの情報も一つということだ。これの困った所は、たとえ火がなくとも誰かがパソコンを使って簡単に合成写真を作れるのと同じように、捏造がたやすいということだ。
持論を展開して、さも本当のことのように話すその様は、堂々としていて役者に向いてるかもしれないと、常日頃から感心しているばかりだ。
「アンタが自殺した滝川と一緒に居たって話」
初耳だった。ただ、逆に信憑性が増すのだとも思う。滝川とはたいした接点はなかった。
「誰かが見てたの?」
「見られてた気がした?」
「いや、全然。自殺した時間って夜の10時くらいだよね。先週の金曜日。丁度風呂に入ってた頃だからなぁ。覗きされてたのか。可愛い女の子なら良いけど、男だと精神的ダメージがとても大きくて辛い」
「出所は不明だね。尾びれ背びれがついたものだよ。何せ、アンタは警察の事情聴取を受けた唯一の学生だし」
てっきりほかの幾人かも受けていたと思い込んでいたが、ちがったのか。
「アリバイはあるけど。証明したところでそれは無意味なものだよね」
「誰だって話題に飢えている。高校生なんてそんなもんよ」
面白いことが世の中に溢れかえっているのだけれど、学生というものは日常のなかに潜む刺激をえらく好む。確証もない噂に一喜一憂するのが、仕事みたいになっている。
「受験で根をつめすぎて頭が逆に悪くなって、変なことで笑いたくなるし、誰かを咎めていじめてリフレッシュしたくなる」
「発作みたいなものかな」
「自己を修復するための防衛機能っていう線もあるね。ある魚は水槽という狭い世界の中に集団で住まわせるといじめが発生するんだ。たとえ、人間が被害魚を水槽から救い出しても、また次の生贄を選んでいじめるんだ。そうすることで、集団を統率しているんだよ」
「学校だって似たようなものかぁ」
「狭い檻の中で合う合わないを考えもせず、年齢が一緒というだけで詰め込まれて皆足並みそろえて勉強だ。なのに結果や評価は優劣をどうしようもなくおしつけてくる」
「滝川はそれに押しつぶされた?」
「どうだろう。あいつはいじめっ子だったから。いわゆる勝ち組だったと思うよ。好き勝手やってた。サッカー部でレギュラーだろ? 彼女だって何人も作ってた。勉強は、そこそこだったと思うけど、ボクみたいに補習を受けるほど悪くもない。なんだかんだ上手く人生が回っている奴だった。でも、そういうのはよくあることじゃないかな」
「どういうこと?」
「勝利者が故の孤独ってやつ?」
ほら、漫画とかアニメでよくあるだろう?
ボクの言葉に吾妻は、ふーん。と興味なさそうに鼻を鳴らした。
「理解者がいなかったとか」
「そうそう。誰もボクの考えなんて、とか。後は、世界はこの程度だったのかっていう頭の良い人が理由にしそうな現世に絶望するテンションにスイッチが入ったとかね」
吾妻の態度が少し硬くなっていた。だから、少しだけ場を和ませようとしたけれど、上手くはいかない。冗談をいうのは苦手だった。それに茶化す話題でもない。
「思い悩んで、学校の屋上から飛び降りた?」
「かもしれない」
「鍵はかかってたのに、わざわざ職員室に忍び込んでまで?」
「あの日は星が輝いていて、もう少し、ほんのちょっぴり高いところから眺めたかったんじゃないかな。パノラマで」
「綺麗だったのかな」
今の空は青い。それを二人して眺めた。
風が髪を揺らす。少し強いが、小気味良い。
「死にたくなるくらいには、そうだったんじゃないかな。少なくとも、今の殺風景な青よりかはよっぽど見ごたえがありそうだけど」
「じゃあ、高川が屋上から飛び降りて、滝川とまったく同じ場所に落ちて死んだのはどうして?」
国語教師の男だった。姑息で、弱い人間をひたすら甚振るのが趣味の男で、誰からも嫌われていた。もちろん、ボクだって好きではなかった。
その高川は、この屋上から飛んだ。先月の金曜日のことで、植木に水をやりに来た教員が発見した。
話の筋としては高川のほうが先に来てもよさそうだけれど、旬が過ぎている気もしなくはない。真贋はともかく、情報は常に新鮮さが求められる。
「きっと名前が似ていたからじゃないかな。担任だからこそ、気になったとか。毎日毎日、似たような名前を呼ばなければならないから、次第に心を病んだのかも」
誰からも嫌われていたことを自覚していたとも思える。だからこそ、自分に文句を言えない気弱な生徒が執拗に攻撃され続けてきた。
高川が死んだとき、教諭たちは気にするなといった。皆、気になどしなかった。教諭たちも、どうでも良いと思っていたに違いない。誰だって話なんてしなかった。
多少笑い話にして、それきりだったと思う。けれど、きっと、そうだ。滝川だけはなんというか、上の空だった。
「嗚呼、どうしてボクはあいつのような人生を歩めなかったのだろうかって?」
「そうかもしれないし、何か悲しいことがあったという線も十分にある。高川だってまだ30代だろうし、結婚を諦めてはいなかったんじゃないかな」
「エンコーしてた噂はあるけど」
「そこの所はどうなの、先生」
吾妻は情報通だ。女子生徒から話を受けることもあれば、男子生徒との顔も利く。何よりも繁華街でも有名人だ。ヤクザと殴り合いした女なんて、そう多くはない。
「真っ黒だね」
「事実じゃないか」
「アタシの顧客の一人だったのよ。どうでもよかったけどね」
「そう?」
「可哀相な人だとは思った」
吾妻は力なく寂しそうに笑った。
「知ってる? あの人、結婚してたのよ。でも、離婚してしまったの。流産が続いて、それで奥さんが心を痛めて。結局、あの男は奥さんを癒してあげることが出来なかった。それどころか、自分だけ他所の女に逃げてた。だから奥さんを救えなかった」
何でそんなことを知ってるんだ、なんて言えない。
吾妻は嘘をついているわけじゃない。顧客というのは事実だ。
「……奥さんもまた、自殺した」
「そう。だけど飛び降りじゃなかった。川の中で大量の睡眠薬を摂取して、ね」
「高川が死ぬには立派な理由じゃないかな。何もおかしいことはないと思うけど」
「そう。確かにそういえる。だけど、それが3年も前の話だと、少し遅いかなって思わない?」
「どうかな。ふと、頭によぎったのかもしれない」
「奥さんの顔とか?」
「誰かを抱きしめているときに、ふと思った」
「……俺は、何をしてるんだろうって?」
それも、あるいはあったかもしれない。でもそれは違う。
「行為の先のこと」
吾妻がボクを見た。透き通る瞳にボクが見えた。
その顔はボクのようで、ボクじゃない。そして、吾妻の瞳もどこか違って見えた。まるで夜空が浮かび上がるかのように暗く、そして小さく瞬く何かが光っていた。
紫煙は消えていて、フィルターだけをくわえ込んでいる。
「流産した子供の泣き声でも聞こえたっていうの」
揺れた瞳が見えなくなる。
吾妻は顔を背けていた。その横顔は、どうしてだか別人に見えた。
ただ、暗い。
こんなにも明るい世界の中で、吾妻だけは真っ暗な夜道の中にいた。
「そういう感情になったって仕方がないよ。可能性の問題さ。高川はひねくれていたし、ネチネチと嫌味をいうのがなんというか、上手かった。だけど、そういう人って結局、虚勢を張っているもんじゃないかなって。だから、高川はいじめっ子連中には何も言わなかった。滝川はうっすらとそれに気づいて、だからこそ巧妙に立ち回って自分の存在を、強固なものにしたとも言えるんじゃないかな」
「何を言ってるの?」
考えていない。ただ、口は滑る。
悪い癖だ。土壇場で、本当にどうしようもなく面倒くさくなって、それまでのプロセスを無視してしまう。
戯言は躍る。
「滝川は、馬鹿じゃなかった。問題にならないでずっといじめを続けているんだからね。決して大人を利用したわけじゃない。あいつの家は平凡だよ。親の権力でどうこうというわけじゃない。滝川自身が考えに考え抜いて、言動を決定して実行していたんだよ」
「滝川は何をしてたの」
「高川を脅していたかもしれないって話」
「どうして?」
「吾妻だって、情報は命だって常々言ってるだろ。だからこそ、学校の先生たちとも関係を持って、それを材料に色々とネタを仕込んでいた」
「同類だったのかな」
ライターの擦り切れた音が響いた。そうしてから、深呼吸とともにタバコの香りが辺りに立ち込める。
「いや、どうかな。吾妻を贔屓するつもりはないけど、ずいぶんと健全だったと思うよ。だけど、滝川は違っていた」
「高川の心を壊すくらい、深く何かを刺し込んで来た」
「高校の教諭に何を求めたか判らないけど、権力も持たない人間を脅して得るものは優越と、多少の駄賃じゃないかな。いじめと同じ。きっと滝川はいつもの延長上で高川をいじめたのかもしれない。それは立派な犯罪なんだけど、罪の意識はなかっただろうし、あればいじめなんてやらかしはしないから」
「それは、違うと思う。アイツはケチだったけど払う金はきっちり払った。ホテルも食事も皆、出してくれた」
「そっちか。うん、そういうところを隠したがるもんだよ?」
「隠すって。あいつはそんな器用なやつじゃないよ」
「男ってさ。いつまでも、男の子っていう部分が残ってるもんなんだよ。ボクだって、いまだに日曜朝は早起きしてアニメみたりしちゃうくらいには子供だし。スカートがめくれそうになると目を向けてしまう。だったら、好きだって思った女の子の前ってどうすると思う?」
「……馬鹿みたい」
「どうかな。ボクはそういうの嫌いじゃない。人間としては下から数えたほうが早い奴だったと思う。いじめられっ子だった奴に相談されても適当に相槌打つだけで、最後には検討するって真面目な顔してうなずくだけだった。その後、滝川に全部話して、少しばかり反省してるって言葉を出させればそれで仕事は終わり。後は生徒の問題ですよって。体裁を繕っているばかりだった。それがきっかけでいじめが酷くなって、被害者が転校してもアイツはどうでもいいとばかりに、自分の感情を優先させていたしね。けど、そういう男にだって夢を見たくなることがあるんだってさ。やっぱり、高川も男の子なんだなぁって。ほかの男より醜い部分が前に出すぎてた。だから、高川はボクでもあり、別の男の姿でもあったんだと思う。だから、かな。男子からえらく人気なかったでしょ。ほら、生徒会長だって高川を嫌ってるって噂になるくらい」
「潔癖すぎたのよ。ウチの生徒会長とその腰巾着たちはね。でも、理解はできる。誰だって自分の中にある汚いものが堂々としていれば、不愉快になるわ」
「そう。滝川も案外とそうだったのかも。むしろ、あいつの心には罪悪があったんじゃないかな。そういう良心の呵責ってやつがひねくれて、自分の中の醜い部分を高川に投影してしまった。自己嫌悪の結果。滝川は消そうと思った」
「自分は違うと信じながら」
「という仮説だけどね」
「その割りに、迷いがなかった。それに、気味が良かった」
「そう?」
「語り部のようだった。まるで全部見ていたかのようにね」
「妄想は趣味みたいなものだからな」
「妄想なのかな?」
「あくまでもね」
「そっか」
「うん」
「アタシね。高川のこと、大嫌いだった」
「うん」
「アンタの言ったことは全部、ホント。醜い生き物だった。自分は誰とも違う特別な存在だと誇示したがっていた。それなのに、心のどこかではもう気づいてた。あんだけ生きてきたのに、自分の理想とは程遠いことをしていることに気づかないほど、アイツは愚かじゃなかった。変なところで律儀だったのよ。几帳面とも言えた。だから、ひねくれてしまった。醜く汚れていた。それに気づきながらも必死に目を背けていた」
「だから、弱者に強かった」
「アイツにとって、いじめることで自分を再認識していたのよ。自分は上の立場にいるとね。そうしないとつぶれてしまうほどに矮小な人間だった」
「だけど、吾妻には都合が良かったんでしょ」
「都合……。そうね、利用してた。アタシは、あいつを見下してあいつの隠したがっていた弱い部分を曝け出させることで、アタシ自身を確かめてた。ゴミ袋に包まれていたほうが、ね。アタシは安心できたの。必要ないもの、汚いものに塗れていたほうが、これ以上堕落することもなく、かといってアタシを壊すこともない」
「そこまで、追い詰められてた?」
「意地があった。女子連中から持て囃され、利用されてきた。ヘッドだなんだって言われ続けてきた。そうやって神輿に乗っていた矜持が、もうアタシの中にはあったのよ。もう、自分の意志で降りることも出来なかった。ホントは、逃げ出したかったんだよ。でも、もうダメだった。がんじがらめで、はい! もうやめって……無理だったの」
「そう、かな」
「そうよ」
「だったら。なんでここにいるの?」
「ここ?」
「空を見てみなよ。うんざりするくらいの快晴だ」
「気持ちがいいくらいよ」
「風も丁度、いい具合」
「そうね」
「こんな天気だったんじゃないかな」
「えっ?」
「高川も」
「そうなの?」
「どうだろうね。でも、滝川はそれをうらやましいと思ったかもしれない。あいつだけ先に抜け出しやがって、とか言っていたりしてね」
「抜け駆け?」
「そう」
「まだ、追いつけるかな」
「どうだろう。そればっかりは判らないな」
「うん、そっか」
「本当に、良いの?」
「良いんじゃないの?」
「ホントに?」
「大丈夫だよ」
「そっか」
「うん」
「ねぇ」
「うん?」
「ありがと」
「ボクたち、友達じゃん?」
「うん、そだね」
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