5月20日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
──それは、あまりにも突然のことだった。
「うーん……」
朝。いつも通り電気ケトルでお湯を沸かしながら、スティックコーヒーをマグカップに入れて……その後だ。俺はマグカップを手に迷っていた。
──お砂糖、どうしようかな……。
俺は、コーヒーは甘めの方が好きなので、いつもちょっと多めにお砂糖を入れるんだけど……今はそれも躊躇われる。なんてったって……昨日のことが頭に引っかかっているからだ。
──まさかスカートのホックが閉まらないなんてなあ……。
思い出すと、ため息が出る。康太の前で着て見せた時はお腹にちょっと力を入れたら閉まったんだけど、脱ぐときに気付いたら、外れてたのだ。買った時は丁度いいサイズだったはずだから、つまり、この二年くらいの間で太ってしまったということで……。
──体育祭まであと一週間ちょっと……頑張って痩せよう!
そのためにも、今はお砂糖はちょっと我慢だ。ブラックは得意じゃないけど、もう入れちゃったから仕方ない。明日からはお茶とかにしよう……なんて思いつつ、マグカップにお湯を注いだその時だった。
「──他にもっと頑張ることがあるでしょう?」
「へっ!?」
突然、誰もいないはずの背後から声をかけられて、飛び上がってしまう。
振り返ると、そこには見たことがない……小さな男の子がいた。だけど、背筋が冷たくなるような美しさと、空を映す水溜まりみたいに透明で澄んだ瞳に、一目で「この子は人じゃない」と分かった。
──人じゃないということは、つまり。
「あ、あなたもキューピッド……?」
「兄さん」
「儂から説明するわ」
瞬きの間に、男の子の隣に澄矢さんが立っていた。澄矢さんは、男の子を居間の椅子に座らせると、自分もその隣に座った。勝手だな……。
「瞬ちゃん、とりあえずコーヒー……砂糖ちょっととミルクちょいで、二つ頼むわ」
「本当に勝手だなあ……」
とは言え、男の子の尋常でないオーラと、心なしかいつもより緊張してるような澄矢さんの態度を見るに……ここは大人しく従った方がいいだろう。俺は言われた通り、男の子と澄矢さんにコーヒーを作って出した。
「はい。お口に合うか分かりませんが……」
「ああ、すまんなあ。まあ、座ってや」
「はい……」
わけも分からず、促されるまま、澄矢さんと男の子の対面に腰を下ろす。こうやって向かい合うと、改めて男の子の持つ「迫力」に圧倒される。人の姿の時のタマ次郎みたいだと思ったら、机の下で足が震えた。
──この子は一体……?
そんな俺の疑問を察した澄矢さんが言った。
「まあ、忘れてても無理ないわ。前に会うた時は、【認識】弄られとったし」
「認識……何それ?ていうか、俺、この子と会ったことがあるの?」
「瞬さんには、まずそこからお話しなければなりませんね」
カップに口をつけてから、男の子が横目で澄矢さんを見る。澄矢さんは「せやなあ」と頭を掻いてから、指で宙に文字を書き、俺の頭に向かってそれを飛ばしてきた。
【https://kakuyomu.jp/works/16817330651076198575/episodes/16817330652258090624】
「この辺を見てもらったらええと思うわ」
「手抜きすぎない?」
「ちなみに瞬ちゃんには、見せられんとこもあるから、上のリンク先の中身をさっくり加工したものを送っとるで」
「う、上?加工?どこに向けて言ってるの?」
というか、このリンク何なんだろう……と思っていたけど、そのうち、頭の中に情報が流れ込んできた。
澄矢さんの言う通り(?)、その情報はところどころ伏せられていて、よく分からないところもあったけど……「あの時」のことや、目の前の男の子のことを思い出すには十分だった。
──『俺と康太は……付き合ってるんだよね?』
「……そっか。あのことも、澄矢さん達の仕業だったんだね」
前に澄矢さんから、【条件】のことや、俺が「康太を好きだった記憶」を一時的に忘れていたこと……そのあたりの話を聞いた時から、頭の片隅で引っかかっていた出来事がある。
──俺が康太を「恋人」だと思い込んでたこと……。
何故そんな思い込みをしたのか……自分でも分からなくて、苦い記憶だから蓋をしていたことだ。そのうちにきっと、「康太を好きだった記憶」と一緒に忘れてたんだろう……だけどそれも、澄矢さん達の仕業だと言われれば、腑に落ちた。
「まあ、正確には、私の力ですが……兄さんにはそこまでの力は使えませんし」
男の子はそう言って、またコーヒーを一口飲んだ……いや、もう「男の子」じゃないか。
「あなたは……『たくみくん』だったんだね」
父さんの知り合いの子の「たくみくん」──という体で俺に「認識」させて、あの日、この子は家に入って来た。そして、俺に「康太と自分は恋人同士」という「認識」をさらにかけた……ってことなんだろう。
つまり、この「たくみくん」──改め、
「……どうしてそんなことをしたの?」
「康太さんが【条件】を達成しやすいよう『支援』をしたまでです。瞬さんが、康太さんを恋人だと思っていれば、毎日『好き』と言うのも不自然じゃないでしょう?」
「……そうかな?」
「少なくとも、『ただの幼馴染』同士で毎日言い合ってるよりは……と思いますが」
そう言われると返す言葉がない。そのあたりは、俺も毎日苦慮してるところだし。
……だとしても、気になることがある。
「でも……どうしてそこまで【条件】の達成にこだわるの?それに、そもそも……どうして康太がそんな目に遭ってたの?」
「……」
訊いた瞬間、託弓さんが嫌悪感を露骨に顔に出す。あれ……何かマズいこと訊いちゃったのかな……?
「いえ、別に……こちらの話ですから。お気になさらず。瞬さんに悪意がないのはよく分かっていますから」
そう言って、託弓さんがマグカップを手に取る。
「いやでも、カップを持つ手が震えてるけど……」
「お気になさらず」
ぴしゃりと言われてしまったので、俺は「はい」と、それ以上は訊けなかった。代わりに澄矢さんが言った。
「まあなんや……前も言うたけど、こっちも色々あんねん。儂らもまあ、これが仕事っちゅうか、存在かかっとるからな……でも、瞬ちゃんは気にせんでええことやで」
「う、うん……」
「兄さんの言う通りです。瞬さんはただ、ご自分の望んでいることと向き合えばそれでいい……のですが」
そこで言葉を切ると、託弓さんは険しい顔で俺を見据えて言った。
「このままでは少々問題があります」
「問題……って、どんなことが?」
俺がそう訊くと、託弓さんは、すっと目を細めて言った。
「……まず、瞬さんは危機感が薄すぎます」
「き、危機感……?」
「さらに言うと、緊張感にも欠けています」
「緊張感……?」
「もっと言うと、行動力も皆無です」
「え、ええー……!?」
「3Kやな」
ダメ押しのように澄矢さんにも言われて、俺はよく分からないながらも、ショックを受ける。……俺、何がそんなにダメなんだろう?
「ご自分のことを省みてごらんなさい。いいですか。瞬さんは、康太さんを『好き』だと自覚しておきながら、その想いを叶えるために、具体的な行動を起こしていますか?」
「う……そ、それは……でも『好き』って毎日言ってるし……」
「それは単に【条件】の達成のためでしょう」
「……うう」
ぐうの音も出なかった。
俺は澄矢さんから、康太が【条件】を受けていたことや、「記憶」のことを聞いて……自分の気持ちを取り戻して、これからは、自分の「好き」を康太に伝えていくって決めたのだ。しかし、それをちゃんとやれているのかと聞かれると……いや、でも。
毎日やってる【条件】だって、もちろん康太の命がかかってるから、っていうのはあるけど、俺なりに日々、自分の気持ちを口にしてはいるつもりだ……と思う。
「ではそれが、康太さんにどれくらい伝わってると思いますか?」
「……」
口にしなくても、この人には、俺の答えは分かってるだろう。代わりに、俺は言った。
「自分でも迷ってるんだ……康太と、これからどうなりたいのか。どんな形でもいいから、ずっと一緒にいたいとは思うよ。でも、このままだといつかはそうもいかなくなる……っていうのも、分かってる。ただ、康太にそれを伝えるのは、怖い」
──だって、俺が言ったら、康太はきっと……。
「そうですか」
託弓さんが目を伏せる。俺の言葉を受けて、何かを考えているようだった。俺は、それをじっと待つ。
その間、何気なく澄矢さんを見ると、空いたカップを机の端に除けたり、テーブルを拭いたりしていた。キューピッドの序列とかはよく分からないけど、たぶん、澄矢さんの方が託弓さんより下なんだろうな……。
「ていうか、さっき澄矢さんのこと『兄さん』って言ってなかった?」
「せやな」
「せやなって……でも、託弓さんの方が偉いの?ていうか、どんな関係……?」
「ま……色々やな。とりあえずは『上司』っていう理解でええよ」
「上司……?」
「そんなことはどうでもいいでしょう」
ぴっと、空気が引き締まるような託弓さんの声で、俺も澄矢さんも背筋を伸ばす。
託弓さんは言った。
「今日、私がわざわざここへ来た理由は、見極めるためです」
「見極める……?」
「遅々として事が進まない今……瞬さんに必要なものが『支援』なのか『試練』なのか……どちらなのか、をです」
──『支援』か『試練』……?
そう聞いて首を傾げる俺とは対照的に、澄矢さんは眉を寄せて言った。
「託弓……急にここへ連れて行け、言うたと思ったら……お前、また妙なことするつもりなんか?あれで前もえらいことになったやろ……!」
「リスクは承知の上です。しかし、このままでは瞬さんにとっても、我々にとっても、よくないことは明らかです」
「でもなあ……っ」
なおも食い下がる澄矢さんには構わず、託弓さんが俺に視線を遣った。
「瞬さん」
「は、はい」
「これを」
そう言うと、託弓さんは、どこからともなく取り出した一枚のカードを、俺に差し出してきた。
一見トランプみたいなそれを手に取り、眺めていると、託弓さんに「捲りなさい」と促される。
裏に描かれていたのは──。
──男の子と、女の子……?
天秤の左右に男の子と女の子がそれぞれ立っていて、空に描かれた二つの目がそれを見つめている……可愛らしいタッチだけど、どこか不気味さを覚える絵が描かれていた。
その意味を訊こうと顔を上げると、託弓さんが言った。
「あなたには『試練』を与えます」
「試練……?」
「試練を通して己を見つめ直すことです。期間は一週間……試練を超えた時、自ずとあなたの迷いは晴れることでしょう。超えられなければ、あなたは──」
「……俺は?」
「消滅します」
「──え?」
何を言われたのか、理解できなかった。消滅する?
それって、どういうこと……死ぬってこと?
「厳密には『死』とは違います。ですが、あなた方にとっては、ほとんどそれと違いはないでしょうね」
その言葉に、俺は血の気が引く。
「な、なんで……そんな、だって俺が死んだら【条件】は……っ?康太も死んじゃうよ……!」
「その心配はありませんよ。あなたが消えても、新しい『あなた』が【条件】を実行しますから」
「新しい『俺』……?」
「それが、あなたの『試練』です。奪われたくなければ、あなたも命を懸けて──自分の存在を主張しなさい」
託弓さんが腰を上げる。俺は咄嗟に声を上げた。
「ま、待って……っ!『試練』って……一体何を──」
「すぐに分かります」
それだけ言い残して、託弓さんは消えた。
「澄矢さん……」
「儂にも分からんわ……何が起こるんか……」
俺と一緒に呆然と立ち尽くす澄矢さんが首を振る。
「消滅」──漠然としていて、でも恐ろしい響きを持った言葉が、頭の中を巡る。
──康太……。
心細くなると、つい、頼りたくなる幼馴染の名前を胸の中で呼んだ時だった。
──コン、コン。
応えるように、玄関のドアがノックされた。
「康太……っ!」
縋るように、玄関に駆けて行く。
今、一番会いたい幼馴染の顔を期待して、ドアを開けるとそこにいたのは──。
「おう、瞬。おはよう」
「康太!」
やっぱり康太だった。それだけで心がほっとして、俺も康太に「おはよう」を言おうとして──。
「おはよう」
──だけど、今、そう言ったのは俺じゃない。
いや、ある意味、俺だったのかもしれない。
「……康太」
「ん?何だ」
「誰、その……女の子」
だって、俺に代わって「おはよう」を言ったのは、康太の隣で笑っている──俺にとてもよく似た「女の子」だったから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます