第28話 うえのくに新聞--夏はなっちゃんの旅立ち


 したのくにの生活は学校のように時間割があるわけじゃなくて、ご飯を食べて掃除をしてお風呂に入って、汚れを落として足の指の間まで、そして眠るのだった。

 それはまるで生きる活動を絶えず行っているようで、いっぽうで電源をオフにしたままでもいつかオンにするときまで洗って洗って、チリ一つ残さないように、と。

 とおくになにも見えない砂漠は掃除をしたって意味があるのか分からなかった。箒ではいた葉っぱは、数分後には砂埃と共に戻ってくる。

 だから「今日も向こうのほうまで掃除してきます」、そう言って私たちはひみつきちのほうへ急ぐ。シロちゃんはこのときだけは前屈みになって、私となっちゃんが笑ってしまうほど走って、足が取れてしまいそうだった。

「シロ子、こけるって!」

 なっちゃんも走った。

 なっちゃんの後ろ姿を見た。ここへ来たときのなっちゃんはもういない。背はとうとう高校生くらい。うーんでも、高校生くらいなんて言ったって、正確には分からないけれど、二人で背中と背中をくっつけ合ってシロちゃんに見てもらったら、シロちゃんいわく、「なっちゃんのほうが、めっちゃ大きい」だそうだ。

 そんななっちゃんのサラサラの髪が走るたび揺れる。

 ここへ来る前は、ぴんくが嫌いで、でもぴんくだらけで、服にはなでると色の変わるスパンコールがついていた。そして、高いところでむすんでいたふたつむすびは、もうない。

 耳がぜんぶ見えるほどの短い髪が、揺れて、光っていた。


 昨日開かれた三枚目の新聞には--うえのくに新聞--『夏はなっちゃんの旅立ち』と書かれていた。とても驚いたような、当然のことのような感じだった。

 その新聞を読んだことは、なっちゃんには伝えていない。

 そして、この世界には派手な儀式などない。つまり、『さよならの会』なんてものはないから、さよならをきちんと言うなら今なのだけど、どんどん走って行くなっちゃんのほうを見ることしかできなくて、私は二人よりうんと遅れて、ひみつきちへ着いたのだった。

 私たちのひみつきちは、なにもなかったのに、さも“なんでもある”かのように、改造されていった。

 丘を登って行くと、少しだけ木々の少ないところがある。飛行機から見たなら、まあるくなっているはずの形。

 そこに落ち葉の絨毯があり、ちいさな木の机はうんしょ、うんしょ、と鬼マークと雪子さんが面接の間、バレないよう運ぶのが大変だった。

 それぞれの椅子は大きめの石だけど、お尻がはみ出ている。座っていると痛くって、すぐにでも立ち上がりたくなるけれど、みんな意地でくつろいでいるふりをしているのだった。

「なにがあったら、家って感じ?」

 私は聞いてみた。

「んー、おもち」

 シロちゃんが言った。

「なんでおもち」

 私は笑った。なにかシロちゃんの中に思い出がすっぽり残っているんだろうか。

「なつはー、うーん、お風呂。ここにも、お風呂があるといいなぁ」

「確かに!」

 お風呂に入ると私たちは毎日生まれ変わった気分になった。そしてこの世界のみんなはお風呂がほんとうに好きで、ずっとお風呂にいるおばあちゃんもいて、お風呂につくまでの道にも、ここにも、どこにでもお風呂があるといいなあと思った。

「はるちゃん、もう転校してきたらあかんで」

 なっちゃんがぽそっと言った。

「うん」

 私はなっちゃんを見ないで答えた。

「なんで」

 そう聞くシロちゃんは石の椅子で両足を上げ、バランスを取っている。

「なんでも」

 二人同時に答える。

 夏はなっちゃんの旅立ち、と書かれた新聞は私の机の引き出しの中にある。

 なっちゃんに、手紙を書こうかと何度も「なっちゃんへ」と書いたけれどもそんなのは、あたらしい世界で、うえのくにで、なっちゃんはもう一度、「立つ」んだから、二十線で消して、もう一度消して四本線になって最後は黒で塗りつぶした。なっちゃんは、青空をあおいで、鼻歌をうたっている。なんの歌か分からないから、耳をすます。シロちゃんが、なっちゃんの膝の上に座りに行った。「シロ子、こけるやろー」なっちゃんはシロちゃんをこしょばす。代わりに私が歌う。言葉のない歌。言葉になるまえの歌。どこかに。うえの、どこかに届け。ぶっ刺され。直線で。そこになっちゃんはきっと、両足でしっかり立つ。



 

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