第20話 終わっていたマラソン大会


「え、これ」

 私は言った。

「持って帰っていいですよ。ここで読むのもあれだろうし。それから、一人だけ、うえのくにの人と繋がることができます。希望すれば、だけど。どうしますか?」

 まさかひみつの面談がこんなに困るものだとは思わなかった。私たちが来てから時間が経ってきたし、きちんと説明されて、そして帰る日はいつですよ、迎えにきてくれますよ、と言われると思っていた。

「なっちゃんにも、同じこと聞いたんですか」

 私は言った。

「いいえ、それは人によって、としか」

 ふだん子どもらしくないと言われるのが嫌だった私は、このときだけは「まだ子どもなのに、意味不明なことばかり、いい加減にしてください」と言いたくなった。

「じゃあ、部屋で読みます。それから、秋子先生にします」

 お母さん、と言わなかった自分に、誰かが針をあちこち刺した気分だった。

「分かりましたよ。でも、その新聞は一気に見ることはできません。時が来たら、一つずつ、読めるようになっています。そして、それより大切なことですが……」

 鬼マークが横目で雪子さんをちら、と見た。

「不安でいっぱいなようですが、この子は、かしこいです。言葉にはしないですが、頭でたくさんのことを文章にしているようです」

 雪子さんはまるで長老のような口ぶりだった。「そうですね。では、伝えますが、連絡を取ることはできますが、それは、現在ではありません。いや、現在という言葉もここには当てはまらないのですが、向こうのくに、うえのくににとっては、ということです。でも、間違いなくあなた宛に届きます。正確には、“届いていた”ようです。あなたが誰を挙げるのか、もしその相手があなたにメッセージを送っていなかった場合は、残念だけど、とお伝えするはずでした。でも大丈夫。秋子先生ですね」

 鬼マークはなにやらリストのようなものを見た。「大丈夫ですよ」

 大丈夫といったい何回言われただろう。それに今日は鬼マークなんかじゃなく、輪郭がぼやける、そうだ、猫、うーん、そこまでは、じゃあ雲、うーん。

「では、もう行きましょう」

 雪子さんに肩をたたかれた。

「はい」

 私はすごく喉が渇いていると思った。

「これ、どうぞ」

 雪子さんがポケットから水を出した。

 そして雪子さんは言った。

「すごいじゃない、喘息で苦しかっただろうに、三十位以内に入ってる」

「え?」

 私は新聞を見た。一枚目の新聞はまさかの終わっていないはずのあの、マラソン大会。

「でも、私このとちゅうでここへ……」

「それはまた今度。ゆっくりいきましょう」

「はあ……」

「それから、日記を書いてみるのはどうですか。あなた、むかしから上手だから。はい、これ」

 雪子さんに一冊のノートを手渡された。まっしろの、じゆうちょう。

(むかしから)だなんて、そんなに前から知っているわけじゃないのに。だってあなた、ユキコちゃんじゃないでしょ。頭の中でとなえる。でもそんな思いをお見通しの雪子さんは笑う。

 私は部屋に帰り、「おかえり!」とおおきな声で言ったシロちゃんを無視してしまった。それからじぶんの机の上へまっしろいじゆうちょうを置く。


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