第5話 砂場スター
新しい学校生活は確かに慣れなくてお腹がしくしく痛かったりしたけれど、ここへ来る前から、というのは学校だけでなく前の家から私はあらゆることを想定していたから、その頭の中と、今とを比べる毎日だった。
お母さんの部屋にはたくさんの本があったから--漫画から、写真集から、画集から、塗り絵から、難しい漢字の物語まで--お母さんが寝ている日が続くと私は片っぱしから読みあさった。
そのうち難しい漢字も読めるようになっていった。どうやって、と聞かれたら答えられない。人差し指でいつも読めない漢字をなでていた。そして、また次を読んでみる。また読んでみる。そうするとお話は動き出すのだった。お母さんは寝てばかりいたから、お母さんが夢の中にいるとき、私は本の中にいる……そのことが時々とてつもなく不思議に思えてくるのだった。
給食が終わって、なっちゃんと運動場をぐるぐる回った。
なっちゃんは今、“さらこな”に夢中なのだという。“さらこな”がよく分からなかったけど、なっちゃんはすぐに教えてくれた。「ほら、これ、こういうやつ、ジャリジャリのは、あかんねん」--そう言ってなっちゃんの手のひらから次々と砂はこぼれていった。
「え、どれ?」
「ザルの中に砂を入れていくねん。スコップでな、穴を押してたらな、ざらざらのは、落ちひんくてな、さらさらだけ落ちていくねん」「へー」
「そんで、さらさらだけでお団子にするとめっちゃ綺麗になるねん」
「へー」
新しいことを知った私は「へー」を連発した。「そういえば」
と、私は思い出して言った。
「時々砂場の中に、宝石みたいな、ダイヤモンドみたいな石があるんやって」
それは本の中で読んだのだったか、誰かに聞いたのか忘れてしまった。覚えていることは匂いや、肌触りや、音までさっきのことのように蘇るのに、思い出そうとしても、足速に逃げていくことって多い。
「それって、ここにもあるんかなあ」
なっちゃんは、目をキラキラさせて、それ自身がもうダイヤモンドのように太陽を反射していた。お母さんの部屋にあった机の、お化粧台の上にのっていた指輪みたいだった。
「それを見つけられたら、どうなるやろ」
そう言いながらなっちゃんは石を一つひとつ、光にかざして、確認していた。
「なぁ、はるちゃん、それってどれくらい、光ってるんやろう」
「どれくらいかなぁ」
「見つかったら、すぐに、あっ! って分かるかなぁ? 迷わへんかなぁ?」
「うーん。はるも、見つけたことはないんやけど」
「お願い事、なににする?」
なっちゃんにとつぜん言われて私は「えっと……」と時が止まったように固まってしまった。とっておきのお願い事でないと、たった一回限りならば、もったいないと思ってしまったから。
それで先に、なっちゃんに聞いてみる--「なっちゃんはあるん? すぐにお願い事、出てくるん? いっちばんの。ぜったいのぜったいに、これしかないやつ。とちゅうで変えへんやつ」
なっちゃんは「うん」と言った後、けれどすぐうつむいて探し物に戻ってしまった。
私はそんななっちゃんを見ながら、探すふりをして、そしてチャイムが鳴った。いつだって私たちの時間を区切ってしまうチャイムは、夢中だったことも、“さっきまでのこと”にしてしまうのだった。そんなチャイムさえ鳴り終わってしまって、私はお尻の砂をはらって、“さっきまで”から“これから”の世界へと、立ち上がる。
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