隠れた弟。



 面倒だと、ただそう思った。


「アルク、入るよ」


 何やらエルムが問題を起こしたとかで、親に連れてこられた王都の屋敷。


 その一室でひたすらに研究を続けている。


「………………アルク、返事くらいしたらどうだい」


 勝手に部屋へと入って来たのは兄、ノルドラン・エアライド。長男が死した今、嫡子であるはずの実兄である。


「アルク兄さん、勝手に入ってこないでよ。返事しないって事は拒否してるって分からない?」


「おいおい、エルムみたいな嫌味を言うなって」


 エルムみたい、と言われて少し笑う。そりゃそうだろう。二十年近くあの罵詈雑言を聞いてるんだから、少しくらい似てしまうのは仕方ない。


「また何かの勉強かい?」


「あぁ、うん。ちょっとね」


 また勝手に近付いて手元を覗き込む兄に嘆息しながらも答える。どうせ見たって分からないだろうから、注意するよりは好きにさせた方が良い。


 僕が今、机に向かってひたすら筆を滑らせている魔法理論はエルムくらいの理解度が無いと到底理解しえない魔法の深淵。まだまだヒヨコに毛が生えた程度の兄では毛ほども理解出来ないだろう。


「それで、なんの用?」


「いや、次期当主の座について────」


「あぁ、お断りだよ。当主なんて継いだら勉強出来ないだろ?」


 僕は魔法学校にも行かなかった。なぜなら今更あんな所で習う理論なんて存在しないから。


 回帰の勇者、アトゥンのである僕が、あんな所で何を習うって言うんだ。


 僕には叶えなければいけない悲願がある。その為に引きこもってるのに、魔法学校にすら行かなかったのに、クソ忙しそうな当主になれって? 真っ平御免だね。


「いや、そう言わずにさ……」


「嫌だって。金塊積まれたってお断りさ」


 話は終わりだと僕は机に向き直る。早く、この理論を完成させたいんだ。その邪魔をしないで欲しい。


「待てってアルク、そんな勉強よりもっと大事────」


 一瞬。…………そう、一瞬だけ殺気が漏れた。


 その殺気で兄が黙って一歩だけ後退った。


「…………あ、アルク?」


「兄さん、悪いけどコレを下卑するのは誰であろうと許さないよ。この世に、コレより大事な事なんて無い」


 救世くぜの勇者を返してあげる。元の世界へ帰り道を切り開く。


 その研究より大事な事が、この世にある訳ないだろ? この僕が、大天才アトゥンの大親友に捧げる術式の研究と、たかだか一国の伯爵位? 比べるべくもない。


 なんの為に身を隠してると思ってるんだ。なんの為に魔王達の手下から隠れてると思ってるんだ。本当にいい加減にしてくれよ。


「頼むからさ、出てってよ兄さん。僕には時間が無いんだ」


 転移によって神引きした系統のお陰で、やっと叶えられそうなんだ。


 ────なんだお前、


 魔法が大好きで、楽しくて、人生の全てを捧げても良いと思ってた。


 でも時折、なにか寂しくて、その理由を僕は知らずに生きていた。


 魔導師として覚醒し、後に勇者と呼ばれるようになってから驚いた。僕みたいに魔法に傾倒したバカがこの世には他に五人も存在したのかと、当日は度肝を抜かれる思いだった。


 そうして初めて、寂しさの理由を知った。僕は友達が欲しかったんだと。


 同じくらい魔法にかまけてるバカな友達が、魔法について一晩中語り明かせる友達が欲しかったんだと。


 そんな事を呟いた時に、プリムラが僕に言ったんだ。俺以外に居ねぇのかよって。って。


 プリムラはバカだった。多分、僕以上にバカだった。


 異界への帰還を諦めてる癖に、この世界が滅んだら二回目の人生楽しめないだろって魔王討伐に名乗り出た癖に、とことんまで自分を犠牲にする大バカだ。


 矛盾してる。でもその矛盾は、帰還を諦めてるからだ。自分がこの世界の異物だと思ってるからだ。


 裏切りを憎みたければ憎んで良い。復讐を誓って僕を殺すならそれでも良い。


 だけど、僕の友達が


 君は知らないだろうね、プリムラ。僕が君の一言でどれだけ嬉しかったか。あの言葉を嘘にはさせない。


 諦めた人生の中で吐いた言葉だなんて認めない。素晴らしき人生の中で吐いた言葉でなければ絶対に認めない。


 元々の三系統持ちトリプルだった前世に、今世でも四系統クアッドを神引きして全属性になった僕に、もはや不可能なんて無いんだよ。


 ねぇプリムラ。君が友だと言ってくれたバカはね、世界くらい簡単に越えられるのさ。


「時間が、無いんだよ…………!」


 メス三匹と剣バカ一匹がエルムに接触する前に。特にメス三匹となんか良い感じになって、この世界に腰を落ち着ける決心をする前に。


 今のなんかふわふわしたままのエルムに、チキュウ旅行の贈り物を叩き付けてやらなきゃならないんだ。マジで時間が無いんだよ。伯爵なんてやってる場合じゃ無いのさ。


 全属性を駆使して顔まで変えて、系統判定の儀式すら誤魔化して、必死にエルムと転生魔族達にバレないように隠れ続けた時間を無駄にしないで欲しい。


「エルムの力を借りれば、領地経営なんて簡単だろ? なんで僕に任せようとするのさ」


「いや、その…………」


「いいから出てってよ。僕は凄く忙しいから」


 待っててよエルム。君に絶対、人生楽しい最高ヤッホーって言わせてやるから。


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