お別れ。



「ああ、来たのね」


「んぉ、アベリアさんじゃん。ちっす」


「ぉにいちゃっ……!」


「クナも来たのか」


 エントランスを抜けて外に出たエルムは、そこで待ち伏せしていた人物に捕まる。


 銀の髪が美しく、ナイスバディとは彼女の為にあるとさえ言える美貌の女性は、アベリア・ハニーサックル。元は高級娼館から身請けされた超高級娼婦であり、現在はエアライド家現当主の公認愛人である。そして末っ子であるクナウティアの母でもある。


 公認愛人とは、要するに正妻がその存在を認めてる愛人の事であり、しかし身分的に『妻』には成れない者を指す。


 娼館上がりの者が公認され、何故エルムの母は妾扱いだったのか。それは高級娼館と言う施設の特殊性に起因してる。


 高級と冠に着くとおり、高級娼館とは利用する為に必要な金額が普通の娼館とは桁外れで、もっぱら貴族や豪商を相手に春をひさぐ事で禄をんでる場所だ。


 その性質上、サービスを提供する女性は相応の教養を身に付けた者であり、平たく言えば『貴族として暮らしてもトラブルを起こさない者』である。


 例えばエルムの母は完全無欠にピッカピカの平民だった訳だが、そんな人物が伯爵家のテーブルで飯が食えるのか? マナーは? 食に対する知識は? そも、誰が平民の食べる皿を毒味するのか? 平民の為に死ねるのか?


 毒味は専門職である。薬学に精通した人物で無ければ毒味をする意味が無い。食事に混入させるに相応しい毒の種類を把握して、どの程度を口にすればどの程度の症状が出るのか、それを知らない者では毒味など出来ない。


 100グラム摂取すれば症状が出る毒があったとして、毒味役が50グラム食べて「平気でした!」じゃ意味が無いのだ。その後に貴族が100グラム以上食べたら死んでしまうのだから。


 もっと言えば、症状が出る時間も把握せねばならない。摂取してから30分で症状が出る毒もあれば、一時間経ってから症状が出る毒もある。一時間で効果が出る毒が入った料理を30分前に毒味役が食べたからと口にすれば、その30分後に毒味役が死に、更に30分後に貴族も死ぬ。


 そう言った毒殺を回避するために毒味役が存在するのだから、それらを把握してる知識人で無ければ務まらない。つまりは高給取りであり、バリバリの下女であったエルムの母と比べたらどちらが希少か? 価値があるか? 考えるまでもない。


 食事一つ取ってもこれだけ問題が出て来るのに、平民が伯爵家の妻になど成れないし、公認された愛人ですら無理である。


 ならば高級娼婦なら良いのか? 答えはイエスなのだ。


 何故なら高級娼婦は『高級』だから。言うなれば生きた宝石であり、囲うことに価値が生まれる。だって高いから。


 宝石としての価値が既に充分確保されてるのが高級娼婦であり、更に教養もあるのだから比べるまでもない。


 伯爵家で食事を取ってもマナーは完璧。正妻や第二夫人の領分を侵さない気遣いも当然ながら出来るし、面と向かって喋っても内容に着いていける。


 何処の領地で作られた絹でドレスを作った。あの国の化粧品はこんな使い心地だった。どの銘柄のお茶がどんな味で、社交で流行るダンスはどうで、どの芸術家が手掛けた絵がどのようなクオリティなのか、高級娼婦は全てに着いていける。だからこそ『高級』娼婦なのだから。


 当然、産んだ子供の扱いも完璧である。継承権への配慮も、他家へ嫁ぐ場合の軋轢も、送り出す準備も知識も、なんなら自らの手で子供への教育すら可能である。


「見送りかな? さっすが王都の高級娼館出身、気遣いが違うね〜」


「まぁ、ウチの子も世話になってるからねぇ」


 そんな元高級娼婦であるアベリアは、公認とは言え正式な妻では無い。だからこそエルムとはそこそこ仲が良い。


 そも、アベリアがエアライドに来たのはエルムの母が死んだ直後であり、妾イジメには加担してない。クナウティアも本当にこんな色気ムンムンの女性から産まれたのかと疑いたくなる程に純粋な女の子で、エルムにも良く懐いている。


 つまりエルムが攻撃性を向ける理由が皆無なのだ。


 もしエルムが前世の記憶を取り戻さず、弱いままの子供だったら話は違ったかも知れないが、アベリアが来た頃のエルムは既に高い攻撃性を有していた為、場の空気を読める高級娼婦たるアベリアがエルムを攻撃する理由が無かったのだ。


 手を出したら即座に噛み付かれ、与えたダメージと比べて何倍もの負債を押し付けてくる相手がエルムだ。そして屋敷にはもう被害者が大量に居て、そんな状況でエルムに対する冷遇に加担するのはアホである。もしくは個人的にエルムへ恨みがある者だろう。


 もちろんエルムとアベリアはエアライド家での邂逅が初対面であり、アベリアはそもそも賢い子供が嫌いじゃなかった。


「寂しくなるねぇ」


「そうかね? ぶっちゃけアベリアさんと俺ってそんなに絡み無くね?」


「そうだけどね、あんたが口にするキレッキレの罵詈雑言がもう聞けないと思うと、やっぱり寂しいのさ」


 アベリアは賢い子供が嫌いじゃない。というより、老若男女問わず賢い者を好んでる。そしてエルムは人生が三回目の為に相応の知性があるし、何より藤原にれだった頃に経験した文明レベルに由来する発想やセンスは、他には無いものだった。


 もっと言うと、『煽り』とは意外と知性を要求される行為なのだ。相応のインテリジェンスが無い煽りは、最終的に「うるせぇばーかばーか!」レベルの酷い物に収束していく。もしくは味がしなくなったガムを噛み続けるが如く同じ粗をとにかく突き続ける醜く泥臭い様相になるだろう。


「いやぁ、今日のは特に傑作だったね。なんだいあれ、ブーメラン? 良くそんな珍しい道具を知ってるねぇ。確かに喋れば喋る程に自分へ返ってくるあの様子は、まさにブーメランじゃないか」


 カラカラと上品に笑うアベリアだが、対するエルムはちょっと照れてしまう。なにせ日本ではかなりポピュラーな煽りである。そこまで絶賛されると逆に羞恥心が湧いてくるのだ。


 だがアベリアにしてみれば、遠くの地にて使われると言う狩猟用の『投げたら返ってくる棍棒』なんて、数多の客を取ってきた自分でさえギリギリ知識にある程度なのだ。そんな見識をさらっと口にして相手を罵倒するエルムの言葉は、かなり痛快に映るのだ。


「あの、いつも真顔で何が楽しくて生きてるんだか分からない家令が、思わず吹き出したのも良かったねぇ。あんな瞬間は、きっともう二度と見れないよ」


「だろうねぇ」


 エアライド家の家令は、厳格だった先代から一族を支えている敏腕であり、常に『ちょっと笑ってる様に見える無表情』がトレードマークの人物だ。


 使用人を取り仕切る立場でもあり、エルムの母の上司でもあった人である。そんな家令は、本来なら絶対に出会わないはずの当主とエルム母を会わせてしまった事に責任を感じて居た。そのため、エルムに対して隔意が無い。アベリアと並んで、エアライド家の中でエルムが素で付き合える稀有な人物の一人だった。


「ふふっ、こんど御用商人に言ってブーメランでも用意しようかね。あの家令に見せたら思い出して吹き出すんじゃないかい?」


「あ、それ面白そう。俺も旅の途中にブーメラン見付けたら送っちゃおうかな」


 ケラケラと笑いあってると、ずっと放置されてた幼い姫様がお冠になった。まだ三歳で舌っ足らずのお姫様は、エルムの裾を何度も引っ張ってアピールする。


「ぉにぃちゃ、くなとおしゃぇりしてぇ〜!」


「あーはいはい、少しだけだぞ〜」


 余談だが、クナウティアが三歳で、エルムの母は三年前に死んでいて、アベリアはエルムの母が死んでから屋敷に来た。単純に並べると数字はピッタリだが、『妊娠期間』を考えると一年ほど数字が合わない。


 この理由は、下半身伯爵様が『身請け手続き中に孕ませ、娼館で出産までさせてた』が答えとなる。つまりアベリアは零歳児と共にエアライド家にやって来たのだ。下半身伯爵様の下半身は実に下半身だったのだと言える。


 楽しそうにエルムと喋るふわふわの女の子が、半分は下半身伯爵の成分で構成されてる事実が何よりもホラーだ。


「ぁのね、くなねっ、おはなみちゅけたぉ〜! ぉにぃちゃに、みせてあげゆねっ! きょぅはもぉ、おそとらめっていわぇたから、あちた!」


 幼い故、まだエルムが家を去る事を理解してないクナウティア。だから庭で見付けた花を、明日一緒に見に行こうとエルムに言うのだ。


「んー、ごめんなぁ。実はお兄ちゃん、もうクナウティアとは会えないかも知れないんだ」


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