ケロッとしてる。


 クナウティアは信じられなかった。


 いつも優しいエルムが、なぜそんな意地悪を言うのか理解出来なかった。


 なんで、どうしてと兄に問うても、返ってくるのは下半身伯爵が下半身だからと言う、訳の分からない理由である。クナウティアも下半身伯爵が下半身な事はほんの少し理解してるが、それでもやっぱり理解出来なかった。


 本当の理由は勿論別にあり、王族が視察に来るから『樹法持ちで妾腹の子』なんて地雷を家に置いておきたくないと言う、政治的な理由が三割も含まれてる。残り七割はやっぱり下半身伯爵の下半身が原因なので、どちらが『本当の理由』足るのかは見る人によるだろう。


 勿論エルムは下半身伯爵の下半身爆散に清き一票を投じる所存だ、


 クナウティアは何度もお願いした。ずっと一緒に居たいと、明日一緒にお花を見たいと、いつもお願いを聞いてくれる大好きなエルムに何回も何回もお願いした。


 しかしエルムは困った顔をするだけで、「分かった」とは言ってくれない。こんなことは初めてで、クナウティアは混乱した。


 いつもなら、素敵な魔法で綺麗なお花を作ってくれて、すぐにでもお願いを聞いてくれる。それがクナウティアにとってのエルムである。


 なんでも知ってて、なんでも出来て、どんなお願いでも叶えてくれる。誰よりも優しくて何よりも頼りになる、大好きなお兄ちゃんなのだ。


 そんなお兄ちゃんが、明日から居なくなる。理由は下半身伯爵が下半身だから。ついでに王族が来るから。クナウティアはとうとううずくまって泣き始めた。


 わんわん泣いた。ぎゃんぎゃん泣いた。泣けば、もしかしたらエルムが居なくならないかも知れない。そんな事は一切無いが、それでもクナウティアは泣き続けた。


 その間ずっと、エルムはクナウティアを優しく撫で続けた。その優しくて暖かい手が、明日から失われる。その事実だけはハッキリと分かって、クナウティアは余計に泣いた。


 そして泣き疲れ、グズッたまま寝てしまう。


 クナウティアは、明日から下半身伯爵の下半身を責めるだろう。なんでお前は下半身なのかと。


 下半身伯爵の下半身が下半身じゃなかった場合、そもそもエルムは生まれて無いのでクナウティア的にはむしろグッドゲームなはずなのだが、それでもきっと責めるだろう。お前はなんで下半身なのかと。


 実際には「おとぅしゃまなんて、だいっっっっっっっっっっっきやい!」くらいな物だろうが、めちゃくちゃ可愛く育っているクナウティアを溺愛してる下半身伯爵にとってはどっちにしろ致命傷である。


「すまないねぇ」


「いやいや。クナ可愛いし、こんなに懐かれてるのは悪い気しないっすよ」


 寝てしまったクナウティアをアベリアに返し、エルムは今度こそ出発する。目的地は特にないが、取り敢えずは当面の寝床を確保したい。その程度の考えで屋敷を出て、領都を出る。


 ──────前に、エルムはエアライド伯爵領都の中で速攻裏路地に入り、なるべく治安の悪い場所を目指し始める。


 エルムは何がしたいのか? その答えはすぐに


「おう坊主、一人でこんな所歩いてると危ねぇぞぉ〜」


「ヒヒヒヒっ、そうそう。俺たちみたいなのに絡まれちまうからなぁ」


「アヒャヒャヒャッ!」


 煌びやかな都にはほぼ必ず闇があり、格差があり、つまるところスラムがある。


 先進国かつ治安レベルの高い日本でさえも、河川敷や公園などにホームレスが集まってを形成する程なのだから、未だに馬車や早馬などに流通と通信網を依存してる文明では、むしろ存在しない方がおかしいとさえ言える。


 そんな場所で一人、エルムは何をしに来たのか?


「あのさ、逆ナンって分かる?」


「…………はぁ?」


 唐突に、意味の分からない質問を投げ掛ける子供に戸惑うゴロツキ。勿論エルムはゴロツキ達を逆ナンしきに来た訳じゃない。


 そも、男が男をナンパする場合を逆ナンと称して良いのかさえ分からないが、エルムの意図は別にあった。


「ナンパってさ、普通は男が女に声をかけるのが定番で、だからこそ女から声をかけたらナンになる訳じゃん? でさぁ、もう一つ質問なんだけど…………」


 本来とは逆転した関係だからこそ、わざわざ言葉の冠に『逆』と付く。ならば────……


「────カツアゲは流石に知ってるよな?」


 狩る側と狩られる側。関係性が逆転したカツアゲは、なんと呼べば良いのだろうか?


 ◆


「いやぁ、やっぱ人間ってすげぇよな。クズでも資金源くらいにはなるんだから最後までチョコたっぷりだもん。捨てるとこねぇな! アンコウかよ!」


 無事、カツアゲと言うか下手したら人攫いだったかも知れないゴロツキに対して逆カツ(逆カツアゲの略)を決めたエルム。


 屋敷からパクった資金があるとは言え、あまり堂々とヤれば流石に捕まる上にオーダーのバックパックを作るのに相当使ったので、正直なところ懐が寒かったのだ。


 しかしながら、最後までチョコたっぷりな人類のお陰で大分春が近くなった懐具合にエルムの頬も思わず緩む。


 もう既に、ついさっき幼女をギャン泣きさせた事さえ忘れてケロッとしてる。そもそもの人間性がクズ寄りなのだ。


「さぁてさて、まずは王都に行きてぇよな。昔と色々変わってる事は本で知ったが、読むのと実際に見るんじゃ大分違うだろうし。やっぱ諺って偉大だよな、百聞は一見にしかずってマジ過ぎる」


 エルムがプリムラだった頃から数えて、実に三百年もの時間が過ぎてた。


 にれの記憶が『え、この世界って三百年も使ってまだこの文明レベルなん? こわっ』とドン引きしてるが、エルムはそんな現実的な考えをポイッと捨てる。


 実際、三百年もあったら江戸時代から明治まで突き抜けて、下手したら昭和に届く程の時間であるが、魔法があって魔物が居て、魔王なんて存在まで居た世界に地球の歴史を当てはめても仕方ないのだとエルムは割り切ってる。


 少なくとも、魔王に滅ぼされて文明衰退の危機まであったことを思えば、衰退させる事なく維持してるだけでも賞賛に値するかも知れないのだ。


「実際、本で読んだ限りだと三百年前と技術レベルは殆ど変わってないっぽいんだよな。衰退はしてなさそうで安心だけど」


 エルムが今まさに経験してる、「異世界の中で強者が転生してやり直す」タイプの転生を異世界系作品のテンプレに当てはめると、転生後には何故か文明が良い感じに衰退してて、前世基準での『普通』を意識して振る舞うと何故か絶妙に『俺TUEEEE』してしまってるパターンが王道である。


 普通は百年単位で時間を使って大きく衰退とか有り得ないのだが、明確に人類の滅亡を狙ってる勢力が居ることで『有り得なくは無い』展開に落とし込まれてる事が多い。


「まぁこの世界の魔族って全部、魔王由来だったしな」


 人類が衰退してるタイプの転生に於ける説得力を担当する存在、魔族。


 彼らは人類が滅びる事を願っている為、人類に紛れ、ありとあらゆる手をゆっくりと打ち続けて人類の技術レベルを下げる工作をしてる作品が多く見受けられる。


 例えば魔法の発動をほぼ全自動で行ってくれる便利なアイテムを開発して人類に与える事で、一見すると人類を助けてる様に見えるが実際は『道具無しじゃ魔法を使えない雑魚種族に退化させる作戦』だったりする。とても長い時間を掛けた工作で、技術レベル的には進歩してる様に見えて、過去から来た強者目線で見ると人類全体が凄まじく退化してると言う組み立て方である。


 しかし、この世界でそんな事は起きないとエルムは知っている。


 何故なら、魔族は確実に全滅してるから。


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