第19話.ヴィネの酒場

「ここ?」


「ああ、ヴィネの酒場。ここで間違いないな」


 宿屋を出て十数分、二人は一件の酒場の前に立っていた。


 店の場所はすぐに分かった。店の名前まで知っていたアルフレッドが、宿屋の女将おかみさんに聞いたところすぐに教えてくれたのだ。


 女将さんは、忙しいのにも関わらずメモ用紙に簡単な地図までいてくれた。


 店は、目抜き通りから離れた裏路地うらろじに入ったところにあり、女将おかみさんの手書きの地図がなければ見つけるのにかなり苦労しただろう。


「さて、とりあえず入ってみようか」


 アルフレッドは、酒場の扉を押し開く。


 扉を開いた瞬間、二人は酒場の喧騒けんそうに包まれた。まだ、夜は早いと言うのに酒場の中は、ほとんど満席だった。


 二人は、唯一ゆいいついていた入り口に近いテーブル席に座る。


「リカード様の仲間の人は……。うん、分からないな」


 アルフレッドがざっと店内を見まわして首をかしげた。拠点の場所は聞いていたが、どうやって接触せっしょくするかなどは聞いていなかったのだ。リカードから貰った銀の指輪が関係していそうだが、アルフレッドにはどうしていいか分からなかった。


「ねぇ、アル。早くご飯にしようよ」


 どうしたものかと悩んでいるとリリアーナが、『もう待てない』と言わんばかりにアルフレッドをかした。


「ねぇ、どうしたら、ご飯が出てくるの?」


 リリアーナがそわそわと周りを見回す。どうやら、注文しなければならないということを知らないらしい。


 アルフレッドはリカードの仲間との接触を一旦諦めると、まずは注文することにした。


「そういえば、リリィはこういう店は初めてだよね。ちょっと待ってて。今、注文するから」


 アルフレッドは手をあげてウエイトレスを呼ぶ。


「お待たせしました。ご注文でしょうか?」


 すぐに気づいて、ウエイトレスがアルフレッド達のいるテーブルにやってくる。


「うん。お腹が減ってるんだ。何かおすすめ料理とかはあるかな?」


「それでしたら、バーラルのソテーは如何でしょうか?今日はバーラルのいい肉が入りましたので、おすすめです」


「じゃ、それを二つ貰おうか。それからパンとスープ、それにサラダもつけてくれるかい?」


「かしこまりました」


「あと、温めた蜂蜜酒ミードを二つ貰おうかな」


 ウエイトレスは頷くと、厨房ちゅうぼうの方へと戻っていった。


「アル。すごいわね。なんだかれている感じがする」


「まあね、こういう店はフォートミズで何度も行ったことがあるからね」


 何でもないように言うアルフレッドにリリアーナは羨望せんぼう眼差まなざしを向ける。


 リリアーナには、こういう店に入った経験が無い。貴族令嬢きぞくれいじょうである彼女にとって、食事とは使用人しようにんが用意してくれるものであり、自分で注文などしたことも無かったのだ。


 同じ貴族なのに、こういう店に慣れているアルフレッドの方がおかしいのだ。


 どうして、そんな経験があるのか聞こうとしたところで、ウエイトレスが蜂蜜酒ミードを運んできてテーブルの上に置いて行った。


「これ、飲んでいいの?」


 リリアーナはテーブルの上に置かれた木製もくせいのジョッキに手を伸ばす。


「うん。料理はまだ時間がかかるだろうし、飲みながら待とうか?」


 アルフレッドもジョッキに手を伸ばすと、コツンとリリアーナのジョッキに自分のジョッキを重ねてから口に運ぶ。


「なにこれ?美味しい。甘い香りがするのに、味はずいぶんとさっぱりしているのね」


 一口飲んだリリアーナは目をまるくして、ジョッキの中を見つめた。


蜂蜜酒ミードって言って、蜂蜜はちみつから造ったお酒だよ。酒精しゅせいはそれほど強くはないけど、お酒なのは変わらないから飲み過ぎには注意が必要だね」


「ふーん。それで蜂蜜の甘い香りがするのね。でも、そんなに甘くない」


 リリアーナはもう一度ジョッキを口に運ぶと、不思議そうに首をかしげた。


「そうだね。僕も原理は良く分からないんだけど、蜂蜜の甘さが酒精しゅせいに変わるみたいなんだ。だから、その分甘さが無くなるのかな。それでも、ほんのり甘いだろ?」


「うん」


 リリアーナは頷いて、三度みたびジョッキを口に運んだ。そして、嬉しそうに微笑む。


「アルって、物知りなのね。そう言えば、さっきのバーラルって、どんなお肉なの?アル知ってる?」


「たしか、バーラルっていうのは、見た目はヤギみたいな動物だったかな。頭に立派な角が生えているやつ。でも、種類で言うと牛に近いらしいよ。だから牛とヤギの両方に似た肉なのかもしれないね」


「牛とヤギの両方に似たお肉かぁ。よく分からないけど楽しみね」


 そうこうしているうちに、待っていた料理が運ばれてきた。パンにスープ、それからサラダがテーブルの上に並べられていく。


 最後にメインであるバーラルのソテーがテーブルの上に置かれた。


 それを運んできたのは先ほどまでのウエイトレスではなく、整えられた口ひげを蓄えた中年の男性だった。


 エプロンを付けているところを見ると、ここの店主か料理人なのだろう。


「食事が終わりましたら、店の裏手にお越しください」


 その男性は料理をテーブルに置くと、アルフレッドの耳元でささやいた。ハッとして男性を見た時には、もう彼は厨房へと戻っていくところだった。


「どうかしたの?アル」


 アルフレッドのわずかな動揺どうようを見てとったのか、リリアーナが心配そうにアルフレッドの顔を覗き込む。


「いや、何でもないんだ。それより、冷めないうちに食べようか」


「うん」


 リリアーナの空腹が限界だったのか、すぐにフォークをバーラルの肉に突き立てた。


ふぁわぁほひひぃおいしい


 ひとくち食べたところで、リリアーナの顔がとろける。


 まず口に入れた瞬間、香草のさわやかな香りが口の中に広がり、ひとみすれば肉汁にくじゅうあふれだす。それを少し酸味さんみの効いたソースが包み込み、最後にそれらが合わさった香りが鼻から抜る。


「リリィ、食うかしゃべるか、どっちかにしなよ」


 リリアーナに注意しつつ、自分もバーラルのソテーに手を伸ばす。かなり大きな肉を豪快に一口で頬張った。


「ほんとだ。これ、すごく美味しいね」


 アルフレッドの方は、しっかりと口の中の物を飲み込んでからしゃべる。


「うん。こんな美味しいもの初めて食べたかも」


 空腹という最高の調味料が効いたのと、慣れない酒場での食事というのが、リリアーナにより美味しく感じさせているのかもしれない。


 だが、それを差し引いても、ここの料理は旨かった。


 パンもスープも、そしてサラダまでもが美味しく、二人はあっという間に出てきた料理を平らげてしまう。


「ふわぁ~、美味しかった」


「うん。思いのほか美味しかったな」


 二人は満足げに腹をさすりながら身体を弛緩しかんさせている。今は、料理の余韻よいんに浸りながら、ちびちびと残った蜂蜜酒ミードを口に運んでいた。

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