第11話.街への潜入

 それから3日後、イーリスは高台から、とある街の南門を見下ろしていた。人口一万人は下らない、それなりに大きな街。


 立派な外壁に囲また街の南門には、何人もの商人や旅人が並んでいた。


 イーリスは遠見とおみの魔法を使って、門の様子を見ていた。南門までの距離は、軽く数百メートルはあるが、彼女の魔法は優秀で、まるで隣に立っているかのようにはっきりと見える。


 距離が遠すぎて魔法でも声を拾うことは出来なかったが、読唇術どくしんじゅつによって、ある程度、会話の内容は知ることが出来た。


 観察している目的は、イーリスが安全に街に入るための情報を仕入れることだ。


 しばらく観察したところで、分かったことがある。


 その中で、最もやっかいなのは身分証明についてだ。イーリスはそれを持っていない。カテリーナの身分証明があればと思い、服の中など隅々まで探してみたが、それらしい物は見つからなかった。


 門を通るとき、必ず門番に身分証明を見せなければならないようだ。


 持ってないと絶対に通れないということは無さそうだが、かなり細かく詮索せんさくされるようで、今のイーリスにとっては、けたいことだ。


 次に問題なのはイーリスの服装だ。


 ドレスというわけではないが、かなり仕立したてのいい服を身につけている。


 見る人が見れば、ひと目で貴族と分かってしまうだろう。それがここ4日間、森を彷徨さまよったせいで、かなり汚れている。


 これでは、目立ってしまう可能性が高い。


 今はまだ目立つわけにはいかなかった。


 とはいえ、そろそろ街には入りたかった。

 

 ここ4日間の野宿のじゅくで心身ともに疲れきっているし、食べ物に関してもたいしたものは食べられていない。


 せめて、野営の道具でもあればもう少しマシな食事がとれるのだが、街に入らなければ、その道具さえも手に入らない。


 街の大きさとしても、この街は悪くない。


 小さな村や町だと、人の出入りが少ないため来訪者らいほうしゃは目立ちやすい。ある程度大きな街であれば、いちいち出入りしている人間を覚えておくわけにもいかないため、あまり目立つことはないのだ。


 だから、それなりの規模がある、この街に目をつけた。


 もし、この街を通り過ぎたら、次に似たような街を見つけるまでまた数日旅を続けなければならないだろう。


 なんとかして、目立たないように街に入るために、しばらく観察を続けていたのだ。


「身分証と服か。誰かから借りるしかないわね」


 イーリスはそう言って立ち上がると、高台から離れて歩きはじめた。その誰かを探しに行くためだろう。


 しばらく歩いたところで人の気配を感じた。


 とっさに木の陰に隠れて息を殺す。追われている身の為か、無意識に身体が動いてしまう。


 木の陰から、そっと気配のした方を窺うと木々の向こうから歩いてくる一人の少女の姿があった。


 背格好せかっこうは、今のイーリスとあまり変わらない。服は質素な材質なうえに、ところどころ破れたところをつくろってある。いわゆる襤褸ぼろというやつだ。


 イーリスは、しばらく木の陰から、その少女の様子をうかがっていた。どうやら少女は薬草を採っているらしい。


 おそらく彼女は薬草を採って日銭を稼いでいるのだろう。イーリスが生きていた旧魔法文明時代にもそういう者たちが居たことは覚えている。


 所謂いわゆる『何でも屋』だ。


 彼らの多くは、傭兵ギルドに所属していて、ギルドから簡単な依頼を斡旋あっせんしてもらい、日銭を稼いでいる。


 傭兵とは名ばかりの者が多く、実際に戦争や戦いに参加するのは、ギルドに所属している者たちの中でも3割にも満たない。だから、目の前の少女は残り7割に当たる者たちだ。


 ただし彼らはイーリスが今欲しているものを持っていた。


 それはギルドタグという傭兵ギルドから発行される認識票にんしきひょうだ。そして、これが街に入るときに簡易身分証明かんいみぶんしょうめいとして利用できることは、先ほど高台から南門を観察していた時に確認済みだった。


 おそらく、近づいてきている少女も、ギルドタグは持っているだろう。背格好せかっこうも近いので、彼女の服を拝借はいしゃくすることも出来そうだ。


 つまりその少女はイーリスにとって、かもねぎ背負しょって来ているようなものである。


 イーリスは慎重に少女の観察を続ける。


 付近に少女以外の気配は感じられないので、おそらくは仲間は居ない。腰にはぼろぼろの短剣をさしているが、使い込んでいるというよりは、それしかなかったという感じだ。


 立ち居振いふるいも素人のそれにしか見えない。これなら、あの短剣もろくに使えないだろう。


 少女は、ときおり立ち止まって薬草を採りながらも、少しずつイーリスの隠れている場所に近づいてくる。


 イーリスは息をひそめつつ眠りの魔法の準備をはじめた。少しは力も戻ってきていて、それくらいは出来るようになっているのだ。


 イーリスが隠れている木の陰のそばまで少女が来る。それを見計みはからって、イーリスは魔法の力を解放した。


 ほとんど目に見えない霧のようなものが少女を包み込む。


「あれ……?」


 少女はそれだけを口にして、その場にくずおれた。


 しばらく少女の様子を見ていたイーリスだが、起きる気配が無いのを確認すると少女の服をがせ始めた。


「すまない」


 呟きながらも手は止めない。肌着はだぎ以外を脱がし終わると、自分が着ていた服は脱ぎ捨てて少女のまとっていた襤褸ぼろに着替える。


「これで少しは、それっぽく見えるかな」


 自分の姿を確認しながら呟いた。それまでの貴族っぽい服装とは違い、どこにでもいるような貧乏な街娘の服装だと思った。イーリスは満足そうな表情を浮かべる。


「髪も切ったほうがいいかもしれないわね」


 少女の腰にあった短剣を拾うと、背中まで伸びた髪をおもむろに束ねて首の後ろくらいで、ばっさりと切る。


「ついでに髪の色も変えたほうがいいかな」


 イーリスは手に魔力を込めると、その手で髪をひと撫でする。それで、黒い髪は、くすんだブロンドへと変わっていた。


 もともとのカテリーナの髪はアッシュグレーだったが、封魂結晶アニマ・クリュスをつけたときイーリスの魂の影響か、その色は黒に変わっていた。


 たぶん、それはアルフレッド達に見られている。髪の色が変わっただけでも、かなり印象は変わるはずだ。


 それに加えて、服装も髪型も変えているのだ。だいぶ印象は変わっている自信があった。これなら、かなり親しい者以外には、カテリーナだと気づかれる危険性は低いと思われた。


 最後に、ギルドタグを少女から奪い、それを首からぶら下げた。


 封魂結晶アニマ・クリュスのネックレスは外すわけにもいかないので、紅い宝石部分だけを見えないように服の中にしまう。

 

 これで大丈夫だろう。


 ふと、ギルドタグに目を向けると、そこには少女の名前が刻まれていた。


「ジェシー。これがこの子の名前ね」


 口に出して言ってみる。もし、門のところで名前を聞かれたら、この名前を名乗るつもりだ。間違えないように何度か口に出して発音した。


 それからジェシーに自分の服をかけて、その場を後にした。それほど強い魔法でもないので、2、3時間もすれば目を覚ますだろう。その頃、自分は街の中だ。そう思って、イーリスは南門へと足を向けた。


 街の名前はジリンガム。門のところに、そう書いてあった。まだ日が高いせいか、街に入ろうとする人の往来は少ない。


 少しだけ緊張しながら、イーリスは短い列の後ろについた。すぐに自分の順番がまわってくる。


「身分証明は?」


 事務的な口調で愛想あいそも無く聞いてくる長身の男性にイーリスは、先ほど少女から奪ったギルドタグを首から外して差し出した。


「ジェシー。ジリンガム傭兵ギルドに所属か。それで用件は?」


 さっとギルドタグに目を通した男は、それをイーリスに返しながら聞いてくる。その時、イーリスの姿をじっくりと見てくる門番に少しだけ緊張するが、門番はすぐにイーリスから視線を外した。


「薬草を採取したので、ギルドまで報告に行くところです。ほら、これ」


 イーリスは男の問いに答えながら、ジェシーが持っていた薬草の入った籠を掲げて見せる。


「ああ、なるほど。通っていいぞ」


 男は、ちらりと薬草の入った籠に目を向けると、そう言った。そして、もうイーリスには興味無さそうに、列の次の人へと視線を向ける。


 イーリスは軽く頭を下げると、そそくさと門の中へと入っていった。

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