第2話 古代人と出会う。

「まだ南極は良いさ。まあ、良くはないんだろうけどよ。北極なんか見てみろ。ベーリング海から北は海洋酸性化が酷い。オゾン層の破壊も著しい。その点、南極は先進国が近くに無くって良いがね」


 船内で花部はなべさんが饒舌に語る。

 花部さんは少し酔っ払っているかのような口調で話す。話し声だけ聞いていると、今が酔っているのか素面シラフなのか見分けが付かない。


 僕は花部さんが少し苦手だ。増間ましまさんはぶっきらぼうだが気遣いの鬼だ。八代やつしろさんは優しく明るくムードメーカーで、皆に慕われている。

 対して花部さんは素っ気ないだけでなく、自分の感じたことを感じたままに相手に伝えるタイプだ。


 真に受けた方が負け。そう増間さんには言われたが、気にしてしまうのが人間というものだ。だから僕は、あまり花部さんとは関わらないようにしている。




 船旅三日目の正午。


「そろそろ着くぞー」


 操縦室で昼食をとっていた八代さんが、僕たちのいる船室にアナウンスを入れた。

 タスマニア島はとうに過ぎ、船は南極海に入っていた。


「そら、春本も準備しとけ。パルカ上着着とけよ」


 先輩方に促されるまま、僕も南極に降り立つ準備を整える。さあ、南極探査が始まる。僕は胸の高鳴りを抑えられなかった。


「増間くん、武者震いがするねぇ。私はこれで何回目かな……1、2、5…8……25回目だ」


「それちゃんと数えてるんですか」


 八代さんと増間さんのいつもの掛け合いに探査員たちはクスクスと笑い声を立てた。既に船室の気温は10度を下回っていたから、心が温かくなるのはありがたかった。やっぱり増間さんは気遣いの鬼だ。



「よーし、降りろぉ」


 探査員が続々と南極大陸に降り立った。総勢15名の探査員たちはそれぞれの思いを胸に、頬を上気させている。


「ん、皆揃ってるな。これから歩いて基地まで向かう。テキパキ歩けよ」


 増間さんの声掛けを受けて、僕たちは基地へと歩き出した。真っ白な大地。この分厚い雪の下に土が根を張っているだなんて、誰が思っただろう。ほう、と息を吐くと白い蒸気となって空に吸い込まれていく。

 やって来た、というよりも、帰ってきたという感覚の方が強い。不思議なものだ。


「荷物を置いたらまたここに集まれ。15分で支度しな」


「へーい」


 基地の近くの小屋に辿り着いた僕ら探査員一行は、増間さんの指示に軽く返事をすると、各々の部屋へと散る。

 そして15分と待たずに再集合した。


「じゃあ、今日はいつも通り環境調査だ。二人一組で動け。今からチームを発表するから、よく聞いとけよ」


 僕らを睨みつけるように増間さんが告げる。増間さんの睨みには特に意味が無いと知るまでは、僕は本当に増間さんの睨みが怖かった。


「内田と加地ー! 堀田と見霜ー! 齋藤と……」


 次々とチームが発表された。絶対に呼ばれないと思っていたが、僕の名前は最後に呼ばれた。


「……春本と花部ー!」


 げっ、と思ったことが、表情に出ていなければいいと祈った。しかしそれは無駄な願いだったようだ。


「よ、春本ー。なんだぁ、そんな嫌そうな顔してよぉ」


 宜しくな、と肩に手を回してくる花部さんにぎょっとしながらも、何とか平静を装い応える。


「あ、はい、あの、花部さん。宜しく、お願いします……」


 やっぱりぎこちなかったろうか。


 何はともあれ、環境調査を開始した僕たちペアは、かなり基地から遠い所まで歩いて調査をすることになった。


 調査に向かおうとした時、すれ違いざまに増間さんが耳打ちしてきた。


「頑張れよ」


 やっぱり増間さんは気遣いの鬼だ。



「ふんふんふーん、ふふん、ふふーん♪」


 がたいメロディーを鼻先で紡ぐ花部さんを横目に、僕は氷の窪地に下りていった。シャッシャッという氷雪と靴の擦れる音が心地よい。


 ――うーん。ここは中生代と新生代の狭間あたりかな……6500万年前、恐竜絶滅は隕石衝突だけでなく、それによって引き起こされた火山噴火も要因の一つって言われているんだよな。大量の灰が地球を覆って大氷河期が訪れた……ここの氷がその時のものだとしたら……それこそ武者震いするな。



 元々地球上にはどこにも、つまり北極、南極にも氷雪は無かった。


 3300万年前、南極大陸がオーストラリア大陸や南アメリカ大陸と切り離され、南極は極点を中心に位置する孤立した大陸となった。


 孤立した南極大陸の周りには、地球の自転の影響で周囲を回る『周極流』という海流がつくられた。


 この『周極流』は、赤道方面から流れ込んでいた暖流を完全に遮断してしまい、周辺の海水は急速に冷えた。その海水が大陸を冷やすというサイクルが始まり、南極大陸は次第に氷の世界へと変貌していったのだ。


 氷の世界が広がると、『アルベド効果』(氷雪の太陽光の反射効果のこと。氷雪は太陽光をほとんど反射してしまう)によってさらに冷却が進み、氷河はますます成長して南極大陸全体を覆ってしまった。


 南極は『アルベド効果』と冷たい海流循環を通じて、地球全体を冷やす、ラジエーターの役割を果たすようになった。


 冷たい海水のほうが大気中の二酸化炭素を多く吸収するので、これによって温室効果が減少し、さらに地球は寒冷化することになる。


 このようなことが重なり、5500万年前から3300万年前の間に地球の平均気温が10から20度以上も低下した。


 これが、氷河期の始まりだ。



 八代さんや増間さん、もちろん花部さんも異常なほどの氷マニアだが、僕も大概のようだった。

 ちなみに八代さんは『アルベド効果』について、酒瓶を片手に2時間は話し続けられると増間さんが言っていた。その域まで来ると、少し怖い。


 ビュン、ビュンッと南極以外では体感できないほど強く、そして刺すような冷たさの風が吹き付けてくる。


 ――風、強すぎ……あれ? 花部さんどこ行った?


 いつの間にか、花部さんの鼻歌が聞こえなくなっていた。


 まずい、はぐれたか。


 探査員のチームがはぐれるのは良くある事だ。お互いに雪氷に夢中になっている内に、あれ? と相手が居なくなっていることに気づくのだ。


 しかし、それが笑い話になるのは、基地の近くではぐれた時のお話。今のように基地から遠く離れた場所ではぐれたら最後、生きては帰れないという覚悟が必要になる。


 ――どうしよう。初めて任された実地調査なのに。増間さんに頑張れって言われたのに。まだ読み終わっていない漫画があるのに。


 引き返そうかと元来た道を思い返していた、その時だった。


 ――ギュウゥゥーン、ビュビュンッ。


 一際ひときわ強い風が僕の体を前に押し出した。


「うわあぁぁっ!!」


 僕は真っ逆さまに落ちていった。更なる氷の窪地へと。


 ――ドスンッ。


「痛たた……参ったな」


 ――ガラン、ガラン……バチャバチャンッ!


 ――崩落か?


 僕は、2002年の5月に崩落した、ラーセン棚氷のことを思い出した。『地球温暖化』が目の前の出来事にならないと、その恐怖は誰にも伝わらないのだろう。


 崩落した氷の向こうから、不思議な鳴き声が聞こえてきた。


『……ルル? エンッ……オップ!』


 何事かと思い、目を凝らす。



 が、そこに居た。


 ――え、宇宙人? ちょっと僕の思ってたのと違うけれど……。


 その宇宙人かもしれない動物がこちらを見た。


 吹雪が幾分か収まり、視界が少し開けていた。


 浅黒い肌。彫りの深い顔立ち。ボロボロの麻布みたいなものを無造作に身に纏っている。そして印象的な無精髭。


 ――男?


 宇宙人疑惑は見事に消え去り、僕の中に一つの結論が出た。


 ――まさかとは思う、けれど……。


「……?」


 応えるように古代人は鳴いた。


『……エンッ……オップ!』


 これがエンドロップと僕の出会いだった。

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