僕と君と未来と――
欠けたものを手に入れた。
僕は、ほんとうの意味で自分を見つけた。
僕と自称するのも、これで抵抗がなくなった。
入院した日の夜、僕は、いつもよりゆっくりと進んでいく普通車にいた。
窓際に一列に並んだ席に一人座って、周りを見渡す。
「――アキは、もういないのか」
ふと思った。前まで快速列車だったのは、アキの睡眠時間が短いからじゃないかって。快速なら、電車の所要時間が短くなるから。
いや、と首を振る。夢に対する考察、強制終了。意識があるといっても無意識に引っ張られることもあるみたいだし、考察しても確認する方法がない。
そう、結局僕はアキの心配くらいしかすることがない。――夢も見ないくらい、アキが深く眠れているなら本望だ。僕はしばらく、仰向け以外を禁止されているから安眠できないかもしれないけれど――。
そう、これも、名誉の負傷。
*
退院後、一週間で復帰した。
登校中、久々の満員電車に乗り、イヤホンで音楽を聞く。アプリが勝手に選んで再生されていくのは、流行りの曲ばかり。みんな、生きていくのが苦しいのかな――なんて、歌詞を聞いて、思うのだ。
学校まで、快速で四駅分の移動。その間、ずっと流れる、希望があるのか、ないのか、わからない曲。
「まもなく――、――です。お出口は、右側です」
乗客を押し押し、同じ降車する人たちの流れに乗ってなんとか窮屈な車内から脱出する。
そこから徒歩十分のところに、僕の高校。それより先の、僕は駅から徒歩二十分のとある場所に用があった。
到着。インターホンのボタンを押すのに、ちょっとためらった。手を握って、息を短く吐いてから、押した。だが、鳴らなかった。もう一度押して、五分くらい待った。誰も出なかった。
ボロアパートに背を向けて、徒歩十五分の学校に向かう。いないかもしれないとは思っていた。けれど、いざいないとなれば、少しもやもやが残った。
無心で歩いてたどり着いた校門前、登校する生徒の数は恐らく今の時間帯ががピーク。
人波に揉まれ、顔を手で覆ってまだ完治していない鼻を守りながら、生徒玄関まで歩いた。
靴を履き替え、三階の教室へ。普段どおりの授業。三時間目の数学の時、消しゴムがなくなっていることに気がついた。机の下も見てみるけれど、ない。こっそりあいつらの様子を伺うと、ちらちら僕を見ながらくすくすと気分の悪い笑い声を上げていた。
「おいそこ、何笑ってるんだ。ここ、なんでこうなるか説明してみろ」
「え、す、すみませーん、わからないです」
先生の小言が止んで授業が再開したら、こちらを睨んできた。僕は悪くない。
無視して、ノートを取る。消しゴムはシャーペンの上のを使った。
僕のクラス内での立場は変わらない。むしろ、スラックスを履くようになってから腫れ物扱いが加速した気もする。
シャーペンの芯が押しても出てこなくなった。新しいシャー芯を入れた。そこでチャイムが鳴って、いつものようには引き伸ばされず定刻で授業が終わった。
真っ先に来たのは、当てられたあいつ。
「なあ、お前のおかげで怒られたじゃん。責任取れよ」
しょうもな。内心、悪態をつく。
無視しようかとも思ったけれど、筆箱を持っていかれそうになったから抵抗することにした。
「返せ」
筆箱をひったくると、信じられない、という目をした。
「消しゴムも」
五人は目をつり上げて、口々に僕を責め立てた。
あまりに酷い罵詈雑言に耳を塞いだ。しばらく収まらない。とりあえず教室を出ることにした。
掴まれた腕を振り払って、立ちふさがる体を避けて、怒声には聞こえないふりをして、小走りで教室を出た。
廊下を少し進んで、四階に続く西階段の前へ。見上げた踊場に、見覚えのあるシルエットがあった。
あれは、もしかして。
階段を駆け上がって、その肩に触れようと手を伸ばした。後少しのところで、逃げた。
「逃げられる側の気持ち、味わってみる?」
楽しそうな声だった。僕も自然と口元が綻ぶ。
病室であんなに泣いていた女の子が、生意気だ。
あの子は走って四階へ、一年生がうろつく廊下の人々を躱して走る。僕は人に引っかかりながらもひたすらに追いかけた。途中で予鈴が鳴って、生徒たちは教室にぞろぞろ戻っていく。
僕も戻らなくちゃいけない?
いや、早くあの子を捕まえたい。
「ねぇ――ここからだったら、屋上に行けるんだよ」
そう言いながら笑ったあの子は、廊下の端の窓のさんに足をかけた。
「あぶな――」
「私も母親や父親とぶつかるハルくんを見てそう思った」
勢いよく蹴り上げて、窓の外に消えた。
「早くおいで」
しばらくしてから、遠く呼びかけられる。
僕も、もう鼻のことなんて気にしないで――窓のさんに足をかけた。
指は使えないから、手のひらを引っ掛けて、力をこめて、登る。少し痛い。けれど、耐えられないほどではない。治るのが遅くなっても、ちょっとくらい後遺症が残ってもいいか。腕の力に任せて、登って、登って、屋上の柵を越えた。
自殺防止の柵を、ある程度まで下ってから飛び降りる。目線を周囲に馳せると、僕と対角線の位置に、柵にもたれたアキがいた。
「もう会えないかと思った」
「でも最後だよ」
「夢でも?」
「明晰夢って疲れるんだよね。もうないかな――たぶん」
「ア――」
名前を呼ぼうとした。繋ぎ止めたかった。でも、口に指を当てられて、言い切れない。しー、と自身の口元にも指を当てる。ねえ、聞いて。と。
「ハルくんは、私の大事な人になった。――はじめてね。ありがとう」
口が動かない。言いたい言葉が頭の中を埋め尽くして、主張するものだから、整理が追いつかない。
だめだ。あまりにも一方的だ。
「明日には、引き取ってくれる親戚のところに引っ越しです。もちろん、転校。――あ、授業が始まった。このチャイムを聞くのも、最後なんだよね。うん……なんか、感慨深い」
口に触れる手を払い除けた。
一つ、聞きたかった事がある。それを聞かないと、終われない。
「どうして僕だったの?」
「――私もずっと考えてた」
そう言って、真上の太陽を仰ぎ見た。
「たぶん――本当に、ただの偶然。たまたま、問題を抱えた高校生が二人、あの電車に乗っただけ」
そう言って、すぐに顔を伏せた。
「やり返しも、お礼も。やりたいことは全部した。ハルくんは、何がしたい?」
「僕は」
風が吹く。アキから目を離して、遠い景色を眺める。
見つけた。僕たちの乗った線路――快速列車。記憶にしか存在しない、思い出の場所。
「僕も、やり返しと、お礼かな」
やり返し? と聞くアキの口を、指の代わりに、別のもので遮った。歯がぶつかって、吐息が漏れる。
「たっ」
「っごめん」
アキは生きている。不健康な薄い体に、がむしゃらに抱きついた。
「あと、わがまま」
息を吸って、ぼやけた視界を肩に埋めた。硬い。
「また会いたい」
アキの腕が、そっと絡まるのを感じた。細い。
「うん。私も」
「……ありがとう」
最後、アキは叩かれて殴られた僕の頬をそっと撫でて、どちらからとも言わず離れた。
屋上の正しい出入り口から帰っていくアキを、見送った。
僕は一人残された。撫でられた頬に、温かいものが伝う。それはすぐに、冷めてしまった。
*
「……次は、――――。――――です」
二人がけの座席が並ぶ電車の中。僕は二人がけが向かい合った席に座っている。
社会人二年目、会社から帰る電車。ワイヤレスイヤホンから流れるのは自動再生される流行りの曲。熟睡はしないが、目を瞑って休んでいた。
真後ろでドアが開いた。人が乗り降りするのを気配で感じる。
隣に人が座る気配がした。ふわりと髪からシャンプーが香る。目を薄らあけて、膝上の荷物ごともう少し奥に動いた。
ドアが閉まる。電車がゆっくりと動き出す。
「次は――――。――――」
最寄り駅なので降りようと席を立つと、隣の女性も同じ駅で降りた。改札に定期をあてて抜ける。
前で切符を入れたさっきの女性がきょろきょろ周囲を見回していた。僕と目が合うと、意を決したように、近づいてきた。なんだろう。
「あの」
「……はい」
「地元の方ですか?」
「ええ、まあ」
「ええと、変な話かもしれないのですが、ここに住んでるかもしれない『ハル』さんを探してて……わかるのは下の名前だけなんです。あ、あと、私の一つ上」
不意に飛び出した名前に心拍数が上がる。僕の驚きに気づいていないのか、まだ話す。
「あなたは見た感じ同年代の方なので、もしかして同級生や先輩、後輩の中にいらっしゃったりしませんか……?」
「…………」
無言の僕を見て、不安そうにした後、あ、と声を上げた。
「すみません、名乗らないで失礼でしたね。私は、
いそいそと新品のような名刺入れから名刺を取り出して、僕に渡す。
「アキ――――」
噛みしめるように名前を繰り返した僕を不審そうに見ていたけれど、僕はもう一つの仮説ができていた。
「僕が、ハルです。
女性は目を見開いて、唇を震わせた。
「――来てくれたんだね」
僕は、ネクタイを握って、絞り出すように声を出した。
「うん。わがまま、聞きに来た」
ずっと大人になったアキの笑顔の中に、あのとき、学校の屋上で見た最後の姿が重なった。あのときよりも伸びた髪は輝いていた。
Thank you for reading.
この快速列車は東へと進む ちょうわ @awano_u_awawa
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