episode9(ⅱ)

「あの方を家族呼ばわりだなんて、冗談でも烏滸おこがましい」


 男は、あぁそうだったと思い出す。

 この子供は狂っていると。この子供のへの信仰は病に匹敵する程のものだと。


 数秒、呆気にとられたグレウは僅かに開いていた唇を噤む。暫く胸に詰まっていた疑問が、その口を衝いた。


「何故そこまで彼に心を許している」


 もしこの少年が、人外の青年に騙され利用されているとしたら今すぐにでも正気に戻さねばならない。

 いくら人の心を真似て作り出したところで、結局は人類の捕食者。隙を見て喰うに違いないと処刑人の男は勘繰ったのだ。

 しかし彼の勘は外れる。シュリは恩人だからだと簡潔に、それでいて淡白な様子で答えた。


 一際、凍えるような風が横切る。

 肌を引っ掻く冷たさにシュリはハッとして顔を上げた。


「す、すみません。つい敬語を……」

「いいや気にするな。むしろが本性なのだろう? 無理に使わなくていい、敬称も必要ない」


 切れ長の、落ち着きのある濃い緑の瞳が細められる。

 グレウの計らいに少年は苦笑した。


「じゃあ遠慮なく。貴方とはまた共闘するかもしれないからね」


 自身でも聞き慣れない、敬語でない口調にくすぐったさを覚えた。

 一方、彼が無駄な気を抜いてくれた事、ヒュウに利用されている訳ではない事を確認できたグレウは安心し、そっと微笑を零す。顔の大半を占める大きな傷跡が歪んだ。


 人の行き来が絶えない通りを凝視するのも、徐々に疲れてきた。そこでシュリは上目遣いで男に訊く。


「家族と言えば、グレウの家族は?」


 傾き始めた太陽が街並みを朱色に染めていった。瞬間、グレウは密かに表情を固める。


 元より処刑人は、賤しい身分の者が強制的にさせられていた職業だった。


 罪人の処刑、そして身寄りのない遺体を処分することが主な仕事の内容。当時の死というものは最大の穢れであり、貴族らは取り分け死を嫌悪していた。

 しかし、いつの時代でも人は必ず死ぬ。それの処理を国から押し付けられ行っていたのが階層最底辺、と呼ばれていた彼等だった。


 日々貶され、蔑まれ、道具のような扱いを受け続けた彼等だったが、ある時脚光を浴びることになる。その発端が「暴徒化した人外」の登場だった。


 大昔から人外の出現は死を意味している。

 人々は、数年に一度現れる凶暴な人に非ざる者たちに喰われることを恐れるようになっていた。


 とある日、人間を喰いに来た人外が街中に現れた。

 逃げ惑う民たちを助けたのが、かつて軽蔑の的にされていた処刑人らだった。身体能力の高い彼等は苦戦しつつも人外を負かし、多くの命を救ってみせたのだ。

 その功績を讃えられ、彼等は正式に「処刑人」として認められた。


 過去の地獄が嘘のように、一度に地位や名誉を手に入れ繁栄する。途中で人間専門の処刑人と、人外専門の処刑人に分かれたが現在に至るまで特段、諍いは見当たらない。


 グレウは人外の処刑に特化した方であり、代々長の座を受け継いできた家系の一人だ。本人曰く大した一族ではないらしい。


 彼は視線を惑わせた後、少年の問いに答えた。


「妻と息子が一人いる。君は息子と後々会う筈だな」

「御子息に? どうして?」

「君たちには軍人が一人付くだろう。次の担当が俺の嫡男になったという訳だ」


 シュリが所属する救命組織、氷輪の救急箱は非政府組織であるため人外の発作時に記録・監視役として軍人が置かれている。その次期担当がグレウの嫡男だそうだ。

 少年は目を瞠って言った。


「処刑人ではなく軍人なんだ、頭領は継がないの?」


 グレウは困ったように笑い、わざとらしく肩を竦めてみせる。何か理由があるようだ。

 だが踏み込む前に、聞き慣れた声が鼓膜を揺すった。


 ふわりと両肩から落ち着く匂いが風に乗る。

 咄嗟に顔を向けると、自分のものではない艷やかな長髪が頬を撫でた。


「あれ、勧誘はだめだって前に言ったよね」


 その一言でシュリは、声の主が酷く警戒していることに気付く。

 眼前に立つ男は浮かべていた笑みを薄くした。


「ロッドか。何、他愛ない世間話だ。気にする必要はない」

「あんたに呼ばれると虫唾が走るなぁ」


 途端にヒュウは雰囲気を崩す。警戒は解いていないが笑顔は本物のようだ。


 とはいえ両者の間には険悪が漂っている。

 居た堪れなくなったシュリは、両腕をぶんぶん振り上げ二人の視線をこちらへ向けさせようとした。取り敢えず上げた中性的な声は焦りを滲ませている。


「先生っ、用が済みましたら本日はもう帰りましょう? グレウも仕事があるんだし」

「いつの間にタメ口使うような仲になってんだい、聞き捨てならないんだけど」


 間髪入れずに師は弟子の変化を指摘する。しまったとシュリは半歩身を引いた。

 その様子を見ていたグレウは高らかに笑い声を上げる。驚く師弟に優しげな瞳を向けた。


「悪いな少年、詳細は後で説明してやってくれ。俺は仕事に戻る……あぁ、そうだ」


 男はそう言いながら背を向けたが、すぐに視線をこちらに遣った。何事かと二人が首を傾げていると彼は再び口を開く。


「嫡男の名は『リグ・エンカー』。君たちの新しい担当だ、冷淡に思える奴だが役には立つ。宜しくやってくれ」


 グレウは言い残すと返事を聞かずに人混みへと姿を消した。

 彼の言葉は瞬く間に雑踏に紛れてしまったが、ヒュウたちの脳内では余韻を引き摺る。


 リグという名前を何度か呟くシュリの隣、青年は滅多に見せない険しい表情をしていた。師の変わりように少年は思わず問う。青年はマントの高い襟に顔を埋め、唸りながら言った。


「まずいな〜、あいつエンカーだったか……」


 名ではなく苗字の方を言うヒュウに、更に少年は不思議そうにしている。答えを催促すると彼は顔を出した。


「あの家系は王族直属の処刑人だ。人外についての知識や経験は王国一、人外ぼくらの最大の天敵だよ」


 眉根に皺を寄せつつ彼は八重歯を覗かせる。師の返答を耳にしたシュリは、背筋が一瞬で凍えた。


「その嫡男が私達の担当、ということは」


 辿り着いた真実に少年は血の気が引く思いをした。


「僕ら、完全に目を付けられたね」

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