episode4(ⅱ)

「眠いなら寝ていいですよ」

「いいや大丈夫だ全然眠くねぇし」

「目、充血してますが」


 事務所の二階にある彼等の部屋も窓が少なく、そこから差し込む日の光にヒュウが目を瞬かせる。その向かい、シュリが溜息を吐きながら紅茶を差し出していた。


 昨晩は長く話し込んでしまったため、睡眠時間がいつもより短くなった。それにより今朝からヒュウは電池切れなのである。

 もとより蝙蝠の人外である彼は、蝙蝠と同じ生態をしている。明るい場所を好まず、暗い時間帯に行動することが多いのだ。


「僕が寝ている間に事件が起こったらどうすんだ! すぐに駆け付けられないだろ!」

「普段は全くないプロ意識ですね。処置中に睡魔が襲って手元が狂っても知りませんよ」


 助手の辛辣な返しに、ぐうの音も出せなくなったヒュウはそのままテーブルに突っ伏した。睡眠欲求も限界らしく不貞寝のようだ。

 シュリは折角用意した紅茶を見つめる。


 ふと、外から誰かを呼ぶ声が微かに聴こえた。


 ドアを開けると階段下に人影を感じた。一旦踊り場まで降り、そこから身を乗り出す。

 一階の事務所の入口にいたのは人影――親子に声を掛けた。


 彼の存在に気が付いた母親が、顔を上げて言う。


「なっ、中に入れて下さいっ! お医者様はいらっしゃいますか!」


 彼女に抱えられた少女は、全身が泥で汚れており左足から出血していた。痛みを必死で堪えようと、少女は声を抑え涙をボロボロと零している。


「医者はおりませんが私が処置致します、お待ちをっ」


 階段を駆け下り、シュリは事務所へと案内した。明かりを点け、手早く多量の水を用意する。


 少女をソファに座らせると、彼女の負傷した方の足を空のバケツに突っ込ませ、怪我を負った箇所に用意した水をかけた。少女は傷口に水が沁みて痛いようで思わず声をあげる。


 土や泥が付着した状態で止血をすれば、それらに含まれている細菌が体内に侵入し破傷風を引き起こす。だからまずは傷口を清潔にしなくてはならない。


 ある程度汚れが落ちると彼はガーゼを負傷部分に当て、その上からきつく包帯で固定した。


「圧迫止血により一時的に血を止めています。あとは身体が自然に血液を固めて傷口を塞ぎますので、安静にしておいて下さい」

「あぁ良かった、ありがとうございます……!」


 心底安心したらしく彼女は少女を後ろから抱きしめ、感謝の言葉を口にした。

 その様子を見たシュリの唇は無意識に緩んだが、すぐさま目付きを普段通りに戻す。


 ふっと母親が安堵の表情を消した。

 何かを確認するかのように窓の外を一瞥すると、彼女は自身の胸元に手を当てて少年に懇願する。


 、と。


 予想外の言葉にシュリが聞き返すと、彼女は苦しそうに理由を述べた。


「処刑人に、この子は人外だと言われて怪我を負わされたんです」


 それを耳にした途端、背に得体の知れない何かがぞっと這ってきた気がした。


 処刑人とは名の通り処刑を生業とする人を指す。


 この国には二種類の処刑人が存在しており、一つは大罪を犯した人間の処刑をする者、もう一つは人外の無差別処分を実行する者である。

 人外は存在しているだけで処分対象とされ、見つけ次第殺されてしまう。そのを行い、人々の安全を守る役割を担っているのだ。


 しかし今回、彼等は普通の人間に暴力を働いたらしい。理由は不明だが、この少女を捕まえようと乱暴に扱ったそうだ。


「この子が人外だなんて酷い言いがかりです。娘は生まれつき普通の女の子で、学校にだって通わせています」


 母親は悲しみと彼等に対する怒りを漏らす。

 一方シュリは考えるように俯き、以前彼の師が言っていたことを思い出していた。


 最近、処刑人が巡回している。


 近頃の人外の暴走件数は増えているが、人外の数自体は減少傾向にあるというヒュウの言葉が頭をよぎった。

 ではそこまで気を張って見回らなくても良い筈だ。一般国民に暴力を振るうなどプロ意識に欠けている。


 青ざめた顔の母親は「今も追われている」とシュリに助けを乞うた。彼は即座に応えることが出来ず、言葉を詰まらせる。


 無責任に匿えば自分の命を危険に晒しかねない。その上、この事務所には彼等の獲物であるがいる。下手な行動をとれば処刑されることも有り得るだろう。

 しかし、だからと言ってこの親子を見捨てる訳にもいかない。


(下手に外へ出ても見つかる可能性がある……どうすれば)


 少年が逡巡していたその時、玄関のドアを激しく叩く音が耳朶を打った。


 木製の薄いドアは壊れてしまいそうな程にしなり、錆び付いた不快な音が響く。シュリが応答する頃には、乱暴に扉が許可なく開いた。


「おい、ここにガキの人外が逃げ込まなかったか?」


 背に携えた猟銃、黒に統一されたローブ、白い不気味な仮面――見間違うことなどない、処刑人がそこに立っていた。それも四人。


 咄嗟の判断でシュリは親子を壁に囲まれたキッチンの方へ逃がし、自身は玄関に立ち塞がるように立つ。年相応の小さな身体を前に出し、彼は目前に並ぶ処刑人たちを見回した。

 子供相手ならすぐに引き返すだろうと考え、シュリは努めて幼い口調で相手する。


「しょけいにんさまではありませんか、どうかしましたか? ここにはだれも」

「そんな媚を売るような話し方はやめろ、レイツァ。貴様のことはよく知っている、ガキの処刑人とな」


 声を両断するように返され、シュリはつい眼光を鋭くした。


「嘘を吐けば貴様も、ここに逃げてきた人外も共々殺す。それでも匿うか」


 後ろに立つ他の処刑人らが猟銃を構える。どうやらこの事務所に逃げ込んだことは分かっているらしい。


 シュリは彼等を思い切り睨みつけ、彼の言葉に答えた。


「確かにここへ親子がやって来ましたが、普通の人間でした。人外では決してありません」

「何、人間が人外を守ろうとしているのか? それはこの国の法に障るぞ」

「法は存じています、何を根拠に彼女を人でないと判断したのかお聞きしたい」

「我々がそう判断したからだ、それ以外に理由はない」

「答えになっていません、質問に答えてください」

「ガキに何が分かる」

「人外の見分け方くらいは分かっているつもりですが」


 頭の回転が速いシュリは、大人相手だろうと全く臆せずに言葉を突きつける。間髪の入れない受け答えに、処刑人らから苛立ちが見えてきた。

 しかし内心、彼はどうしようかと焦って仕方なかった。

 キッチンには小窓があるが、それは処刑人らが立つ表の道に出てしまうものだ。彼等がここを諦めるまで、否、少しでも視線を逸らすまで辛抱せねばならない。


 彼等に銃口を向けることも考えたが、この閑静な街中で戦闘となると被害者を出してしまうだろう。もし戦ったとしても勝つつもりでいるが、今回は守らなくてはいけない対象が三人もいる。


「貴様が何を言おうと、ここに居ることくらい知っている。中に入れさせろ」


 ドスの効いた声に一瞬体内がひやりとした。しかしここで引くわけにもいかない。


 処刑人らが一つの小さい扉へを迫ってくる。

 巨体はまるで壁のようで突破は不可能だ。

 シュリは反射的に腰元のピストルに手を伸ばす。


 ここは腹を括って親子と師を守らなくては――


「こりゃまた面倒な奴が来たな」


 頭上からの声に、そこに居た者らが顔を上げる。

 視線の先、二階に繋がる外階段の踊り場にが立っていた。


「怪我の具合を聞いてもいいかい? 処刑人さま方」


 人外のヒュウは、そう言って笑ってみせた。

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