episode6

「只今よりニホン女児のオークションを行う!」


 潑溂はつらつとした商人の声が港に響き渡る。それを聞きつけた人々は寄ってたかって、オークションという名のショーを見に来た。

 この国での人身売買は出品される者が異国出身なら許可される。理由は単純、異国の者にこの王国が定めるは該当しないからだ。


 汚れた木の台に立つのは、か細い線をした身体の少女――ではない。出品されていた少女の服を着たシュリだ。

 彼はほつれた大きな布を頭から被り、俯きつつも視線は目下の観客らに向けている。


(先生発案の入れ替わり作戦……あの子の代わりに危険な役を私がやるという手筈になっているけど……)


 乱された髪の隙間から改めて向こうを覗く。

 観衆たちは、興味津々な様子で壇上の人間に視線を注いでいた。今回の購入希望者は約三十人。政治権力者や婦人など、老若男女が揃っている。

 あれがニホンの女か、随分垢抜けないな、顔が見えないぞ。

 彼等は身勝手な感想を吐き散らしながらも、珍しがってその場を去ることはなかった。

 やがて競りが始まった。

 商人の掛け声と共に、番号札を持った彼等は次々と数字を言い合う。低かった金額が徐々に上がっていった。


 すると、野太い声が倍ほどの数字を叫んだ。


 聞き慣れぬ金額に、思わず壇上に立つシュリまでも顔を上げそうになる。冷や汗が背を伝い、自然と腰に隠したピストルに触れた。

 暫く値を上げる声が聞こえなくなり、商人が確認するような言葉を言う。商人の彼は強欲らしく、もう一声を強請ねだった。

 その間シュリは師の姿を探していた。

 詳しい作戦内容はおろか、姿さえも見せないで彼は一体どうするつもりなのだろうと、少しばかり焦っている。

 最終確認で商人が声を張り上げた。

 ふと、ざわめきの中から声が響く。


「すいませーん、その倍お願いしまぁす」


 弾かれたようにシュリの体が反応する。その涼やかな声音は師のものだった。

 案の定騒ぎ出す購入希望者と観衆らは、誰だ誰だと声のあるじを詮索し始める。しかし一向には姿を現さない。

 呆けたような商人の声が響く。これ以上の値段で、この小汚い異国の娘を買う者がいるかと。

 先程の野太い声の持ち主は、狼狽えながら少々盛った数字を口にする。それに呼応するように、飄々とした声がそれより上の値段を言った。意地からなのか、野太い声も投げやりになって数字を重ねる。

 それを幾度と繰り返したのち、涼やかな声は沈黙した。これ以上の値段は無理なようだ。

 このままでは買われてしまう。流石にまずいと感じたシュリの瞳に、何か鋭利なものが真っ直ぐに飛び込んで来る。小さな光だ。

 彼は落札の声が耳に入っていないかのように、その光の元へと視線を向ける。遠いが、それは明らかに自分へと注がれていると分かった。

 常人では霞んで見えてしまう時計台。

 その屋根から小さな光が揺れている。

 はっとしてシュリは辺りに視線を焚べた。周囲の人々は落札額にどよめき、当の商品には目を向けていない。

 再び顔を上げる。

 あの光は、シュリの大切にしているループタイの留め具が太陽の光を反射させているものだ。僅かにぼやけているが、確かにそれである。


『此処に帰ってこい』


 実際に言われた訳では無い。しかし、少年は確信した。

 シュリは被っていた布を一層深く被り、きつく胸元で握る。沈むようにしゃがむと、鋭い眼光で目的地を見据えた。

 その刹那、鈍くも大きな蹴る音が民衆の鼓膜を殴る。何事かと面を上げる頃には、一つの影が彼等の上を過ぎていった。


「な、なんだあの脚力は!」

「誰か娘を捕まえろッ!」


 とは言え、群衆の最後列で着地する娘に手を出す者は居らず、むしろ気味悪がって身を引いた。奥から他の商人らが追いかけて来る。

 シュリは騒ぐ彼等に一瞥さえせずに、再度強く地を蹴った。子供の影は街に消える。


(動きにくい……ニホン人は常にこんな不便な服を……)


 汚れた布がずり落ちないようにしつつ、自分を追ってくる者らを撒く。その小柄な体を利用し、狭い路地を走っていった。

 普段から凶暴化した人外と戦っているのだ。軍人でもない人間相手に逃亡することなど、少年にとって造作もない事である。

 人気ひとけのない時計台へと辿り着く。一旦身を返すが追ってくる人影は見当たらない。彼は一つ息をいて、螺旋階段を駆け登った。


 ・・・・・・


「想像の斜め上を行く作戦ですね、先生。まさか走らせるとは」

「マジで買う訳ないだろ」


 飄々とした涼やかな声の持ち主は、悪びれる様子もなく言う。彼は掲げていた少年のループタイを眺めながら笑ってみせた。

 時計台の屋根の上で、小さい二つの人影が揺れる。

 ヒュウは背から生える黒い翼を伸ばすと「疲れたぁ」と間延びした声で呟いた。それに対してシュリは溜息混じりで返す。


「疲れたって、逃げる場所を指定しただけではありませんか」

「む。超音波ですぐに落札させないようにしたじゃん」

「あの競りの声、超音波だったんですか。どおりで姿が見つからない訳です」

「使い方違うけどな」


 眼下で蠢く人々に目を遣る。騒動は収まったらしい、街の喧騒が戻ってきた。

 あのニホンの少女は先に事務所で待たせてあるとヒュウが言う。急いで戻った方が良いと思い、師は蝙蝠の翼を広げ、手をシュリに差し伸べる。

 まるでダンスの誘いをするかのような雰囲気にシュリは目を細めた。

 少年が手を重ねるとすぐ、青年は時計台の屋根から飛び降りる。シュリも後を追う形で落下すると、とんっと師の胸に飛び込んだ。


「っは、相変わらず君は軽いな」


 少年は青年に抱き上げられ、大人しく流れる景色を見た。

 蝙蝠の人外であるヒュウは自身の翼を羽ばたかせ、ゆっくりと降下していく。ここはあまり人が出入りしないから、本来の姿でいても大丈夫だと彼は説明した。

 細めた瑠璃色の瞳に、日の傾いた町並みが映る。

 半丸瓦テラコッタの屋根や、レンガ造りの家の小窓に灯りが並んでいる。夕食の準備の為か、あちこちで火が使われているようで窓から湯気が立ち上っていた。その向こう、山の間からは開通したばかりの列車の仄かな黒煙が立ち込めている。視界の隅に、民家の何十倍もある白い城壁の王宮が建っているのが見えた。


 人間にとっては暮らしやすい国。しかし、同じ国を棲家とする人外らは迫害され、差別され、挙げ句命を奪われる。

 シュリは青年に体を預けながら問うた。


「――先生、この国に救いはありますか」


 それに答えるは、低くも鈴の音に近しい声。


「あってもなくても僕が救うよ」


 迷いのない返答に、少年は自分しか分からないほど小さく微笑んだ。


 ・・・・・・


 事務所に戻ると、例の子供は大人しくソファに座っていた。だが表情は険しくずっと怯えている。

 ヒュウは彼女より目線を低くし、見上げるようにして尋ねた。


「大丈夫だよ。自分の名前は言えるかな」

「……」


 やはりこちらの言語が通じていない。だからと言って日本の言葉を話せる者がいる訳でもない為、どうしたものかと青年は唸った。

 せめて名だけでも知りたいのだが、それも叶わない。彼は諦めて、子の身なりを整えようと立ち上がった。


「身体検査と同時にやる。服を貸してやってくれ」


 そう指示されたシュリは、クローゼットから何着か服を出して少女に差し出す。子は首を傾げさせ、服の端を摘まんだ。どうやら着方も分からないらしい。

 取り敢えず、清潔なシーツを身に纏わせ検査を開始した。


「痣だの外傷痕だの……酷いな」


 少女は此処らの人々と違って、肌が黄みがかっていてくすんでいた。その上を覆うような青紫や赤の数に、ヒュウは思わず顔を顰める。

 傷もそうだが、彼女の腕は異様に細かった。木の枝と言っても過言ではない。


「食事もあまり摂っていないのでしょうか」

「みたいだな、お手本のような栄養失調だ」


 乱された水分のない髪は、無駄に長く伸ばされて品がなかった。前髪も長く、その隙間から彼女はこちらの様子を窺っている。

 ヒュウが彼女に触れようとした、その時。


「ッ!!」


 唐突に少女が身を振るった。悲鳴を上げるでもなく無言で。あまりにも突然動くものだから、青年も少年も瞬きを繰り返す。


「君、もしかして声が出ない?」


 少女はヒュウの言葉を理解できていない。だが怖がるような表情で口を開閉させた。本来そこから発せられるであろう音は無く、空気が通っていくだけである。

 ヒュウは目を閉じて何やら集中し始めた。超音波で少女の声帯の状態を確認しているそうだ。

 数分経って、ようやく彼は顔を上げる。


「特別悪い訳でもない、普通だ。考えられる他の理由とすると精神的なものだな」

「精神的、ですか」


 シュリが口に手を当てるのを見て、ヒュウはこう補足した。

 少女の身体状況から察するに、彼女は母国で良い暮らしは出来ていなかった。大凡おおよそこの子の両親や周りにいた大人に、日常的な暴力を振るわれていた可能性が高い、と。


「私と同じ、か――」


 シュリの無感情な言葉に、師は視線を向けるだけで聴こえなかったフリをした。

 一方少女は、露骨に生気が失せた少年に手を伸ばす。初めは怯えて身を丸くしていたが、自ら彼の袖を軽く引いた。彼女なりに心配しているみたいだ。

 少女の行動にシュリは、びくっと震えたがすぐに力ない苦笑に変えた。


「同情ではないよ、気にしないで」


 言葉が通じないことを承知の上で彼は少女に言う。子はやはり何も言わなかったが、先程より明るい表情になったように見えた。

 不意にヒュウが問う。


「この子の名前どうする? 耳は聞こえてるんだし、あった方が便利だろ」


 そうですね、とシュリは気を取り直して相槌を打った。

 人の名を考えることなど滅多にないため、彼等は熟考に熟考を重ねる。女性なのだから可憐な名の方が良いだとか、本人が覚えやすくするのに短くするべきだとか、と意見を言い合った。

 ふと何か浮かんだのか、シュリは手を真っ直ぐ上げる。


「セレスタイトという宝石はご存知ですか」

「ん? あー天青石か、知ってるぞ。何か理由でもあるのか?」


 尋ねられると、彼は少々照れくさそうに説明した。


「セレスタイトの石言葉は『清浄』『博愛』そして『心の解放』です。過去この傷に囚われず、心の儘に生きてほしく思いまして」


 シュリの案に師は大きく頷きながら、にっこりと笑って見せた。良い名だと褒めると、弟子ははにかんで感謝の言葉を口にする。

 しかし、このままでは名として長く感じる為、名の上部分を取った。


「セ、レ、ス。君の新しい名前だ、気に入ってくれるか?」


 ヒュウは少女にそう尋ねる。彼女は何度か小さく、セレスと口を動かした。自分の名前であるという認識があるか不安だったが、少女はなんとなく理解してくれたらしい。

 彼等へ視線を順に送ると、子――セレスは優しく笑った。気に入ってくれたようだ。

 彼女の反応に二人は安堵し、胸を撫で下ろす。

 次に話すのは少女の行き先だ。彼女を助ける前にヒュウが言ったが、ここでもう一人が住むのは難しいのである。


「ここに居ると色々危ないからなー。流石に現場に連れて行けないし、留守番って言っても数日帰って来ない時もあるし」


 こればかりは妥協できないとヒュウは言い、シュリは申し訳なさそうな表情で俯く。

 すると控えめなノックが鼓膜を撫でた。

 シュリは慌てて返事をしドアの前に駆ける。開けるとそこには、柔和な笑みを浮かべた老婆――此処の大家であるミストが立っていた。


「あらシュリくん、昼間はどうもねぇ。家賃を回収しに来たんだけど、大丈夫かしら?」

「大丈夫ですよ。すみません、いつも滞納させてしまって」


 彼女は席に導かれると、見慣れない人影に細い目を瞠った。接客中だったかとヒュウに訊くと、彼はいつもの通りの笑顔で首を振った。


「あらその子、ニホン人じゃない。どうしたのぉ」


 ミストは背の低い少女の頭を撫でて微笑みかけた。初対面の相手に固まってしまったセレスだが、老婆の温かな人柄を察したらしく大人しくしている。

 ヒュウが虚偽の過去を説明している間、シュリは紐で封された分厚い茶封筒を持ってきた。


「うちに置いておけるなら良いんだけどなー」

「そうねぇ、女の子だものねぇ」


 ミストはまるで子猫のようにセレスを愛で、それに対して少女はすっかり懐いている。その様子を見ていた少年は声を上げた。


「ミストさん、私からお願いなのですが……その子、セレスを預かって頂けませんか」


 弟子の突拍子もない言葉に、ヒュウは驚きをそのまま声にした。


「おいおい。勝手に拾った奴を他人に任せるなんて、無責任にも程があるだろ」

「ずっとではなく、私たちの仕事がある時間のみです」


 突然な上に随分とおかしなお願いをされるものだから、老婆は呆けた顔で逡巡した。短く唸ったのち、彼女は膝元にいる少女を一瞥して言う。


「私は長い間独り身だったから、一緒に暮らせることはとても嬉しいわぁ。私で良ければ良いかしら」


 快い返答にシュリは安心に近い表情で笑った。一方師は「まじか」と呟き苦笑する。

 原則として、仕事のある時の昼間や夜間にミストに預かってもらうこととなった。彼女の家はここのすぐ近くであるので、移動の心配はない。

 ヒュウが少女について老婆に説明している間、少年は大きめの本を抱いてセレスに近づいた。


「貴女には先ず覚えてほしいんだけれど」


 彼が本を広げると、そこには見開きページ一杯に描かれた絵が現れた。セレスは興味津々な様子で身を乗り出す。

 それは、人間を襲う人外の姿だった。

 化物という言葉が似合う禍々しい外見で、小さく描かれた人間を次々と口に放り込んでいる。血飛沫が地を染め、人々は我先にと逃げ出していた。

 シュリはそれらを指差しながら、ゆっくりとした口調で話す。


「人外は人を食べる。しかし頻度は低い。彼等は私たち人間と同じように知性や感情があり、普段は人に紛れて生活しているんだ」


 言語が理解できなくとも、根気強く彼は身振り手振りで教える。少女も彼の懸命さを感じたようで、分かったら頷き、分からなかったら首を傾げるようになった。

 シュリは優しく微笑んで話を続ける。


 少しして、セレスがミストに連れられて帰る時間になった。


「セレス、言うこと聞くんだぞ。んじゃあ宜しくな」

「はぁい、任せて頂戴ねぇ」


 日がすっかり沈み、街頭無しでは道が見えにくくなっている。

 老婆は借りたランプを掲げ、少女を連れて歩き出そうとした。しかし二、三歩進んだ所でセレスは足を止め、踵を返してヒュウたちの元へと駆け戻る。

 彼女の行動に一同拍子抜けしてしまったがセレスはお構いなしだ。彼女は何を思ったのか、並んで立っていたシュリとヒュウの手を取り、一つにぎゅっとした。

 つまり、少年と青年の手を繋がせたのだ。


「  」


 何故か満足そうに笑った後、セレスは何事も無かったようにミストの元へ戻った。

 彼女らの背を見送りながら、手を繋がされたヒュウとシュリは顔を見合わせる。


「あんた変な事でも吹き込んだのか」

「違いますよ。私はただ――」


 不満そうに頬を膨らせたシュリが答える。


「人外と人間は仲良くすべきだと教えただけです」

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