episode5

「怪我の具合を聞いてもいいかい? 処刑人さま方」


 人外のヒュウは、そう言って笑ってみせた。


 シュリは頭から血の気が下がるのを感じ、つい声を上げる。しかしヒュウは悪びれる様子もなく、にこやかに返した。

 一方、処刑人らは怪訝そうな顔をして、見下ろしてくる青年に銃口を向ける。


「ほう。貴様が噂の救命士とやらか、ロッド」

「え、ナニナニ僕ってウワサされてんの? 有名人じゃーんすごーい」


 ヒュウは両頬に手を添え、何故か嬉しそうに言った。先程の緊迫した空気が彼の所為で嘘のように無くなる。シュリの心にも余裕が生まれ、視界が一気に広がった。

 しかし安心はできない。ヒュウが人外であるという事実が晒されるのも時間の問題だ。なるべく戦わず、迅速に事態を収束させたい。


「んで、なんの用だい。怪我をしているようには見えないけど」


 笑っている仮面を付けたような青年が尋ねると、一人の処刑人が今一度すべてを説明した。人外の少女がここへ逃げた、と。

 それを聞くなりヒュウは「そうなのか⁉」とシュリに聞き返す。思わず少年は大きな溜息を吐いて、師を当てにすべきでないと判断した。だが彼の頭には何か妙案が浮かんでいるらしく、視線をしきりにこちらへ向けてくる。


 目下の処刑人らの気を引くのに、ヒュウはどうでも良い話を何度も彼等に振った。最近の人外の被害に関すること、王妃の病態、国際情勢など気難しい話をマシンガンのように絶え間なく尋ねる。


 話している最中、ふとヒュウは自身の腰元を一瞬だけ指さした。

 これは自分への合図だとシュリは感じ、彼も腰に手を伸ばす。そこにあるのは愛用しているピストル、そして――


 シュリがその存在に気が付き、目を丸くしてヒュウを見た。彼は途切れさせることなく話をし続けながら、小さく口角を持ち上げる。

 処刑人の一人が痺れを切らしたらしく、棘のある口調で言った。


「ロッド、話が通じないのか。さっさと中に……」


 しかし、その言葉はそれ以上紡がれなかった。

 突然黙り込んでしまった同僚を気にして、他の処刑人らが猟銃の構えを解く。顔をそちらに向ける頃には、既に彼等の視界も暗くなっていた。


 物騒な処刑人らは深い眠りに落ち、その場に倒れ込んだのである。

 ごろごろと地面に転がった大人を前に、シュリは片手に握ったの針を眺めた。そこに滴るは半透明の液体、以前ストーカーを行った人外の捕獲にも使用しただ。

 彼は少し不安げに、笑みを消したヒュウを見上げる。


「先生、これ対人外用の麻酔なんですが……人体に影響は」

「まぁ多少はあるだろうな。丸々一本使ってないから死にやしないとは思うけど、記憶障害は負うんじゃね?」

「疑問形なのやめて下さい」


 ヒュウは踊り場から飛び降りると、地べたにへばり付いて眠る彼等の手首に指を添えた。脈を測っているらしい。数分後に顔を上げると、彼は満面の笑みで「問題なし!」と言って立ち上がる。


 その後はヒュウが手際よく処理してくれた。

 処刑人らを束ねる、国の守護団体に「あんたのところに所属している輩が倒れている」と連絡を入れる。流石に子供が麻酔で眠らせた、というのは聞こえが悪いため黙っていることにした。

 幸い、この騒ぎは住宅街だというのに、誰にも聞かれなかったらしい。様子を見に来る人や野次馬はおらず、最短で事が収束に向かった。


 ヒュウが処刑人らの相手をしている間に、シュリはキッチンへと駆ける。そこには顔面蒼白の母親と震える少女が蹲っていた。


「もう大丈夫ですよ、楽にして下さい」


 微笑みかける彼に、親子は揃って安堵の息を吐いた。


 ふと外から複数の蹄の地面を蹴る音が聞こえてくる。早くも守護団体がやってきたようだ。

 師一人に任せても良いが、なんだか胸騒ぎがして仕方なかったためシュリも表へと出た。


 馬に乗った十人ほどの大人が、ヒュウを見下ろす形で対峙している。おさと思われる一人が、睨みつけるような眼差しでこちらを見つめていた。


「同胞が失礼をしたようだな、謝罪しよう」


 そう言うと彼は、後ろに控えていた部下たちに片手を上げて何やら指示をした。彼等は横たわる処刑人らを担ぎ上げ、馬の背に乗せるとその場を後にする。

 長はそれを見送ることなく、視線を変わらず青年に向けていた。


「俺は処刑人らを統率する者、グレウという。彼等に代わって詫びをさせてくれ」

「詫びはいりません。ですが私の質問にお答え下さい」


 間髪入れずにシュリが言う。高い身分の者を相手に助手は何を言うのかと、隣に立つヒュウは開きかけた口を噤んだ。

 長――グレウは小柄な少年に視線を向け、彼の言葉を催促する。


「あなた方処刑人は、人間と人外を見分けられるというのは事実ですか」

「当然だろう」

「では何もしていない人間に手を出すことなどありえませんよね」

「……少年、その問いはあの同胞らのことを言っているのか」


 睨みに近い眼光のままシュリは頷く。彼の返答に長は暫く黙り、何か思案するように遠くを見た。


「わかった、彼等にはしかるべき処置を施そう。濡れ衣を被った人間にも謝罪する」


 そう言い残し、グレウは手綱を開いた。馬は身を返しその場を去っていく。

 影が見えなくなった瞬間、ヒュウは少年に向かって低い声で呟いた。


「あのリーダー、僕が人外だって気付いてたな」


 師の台詞を聞くなりシュリは勢いよく顔を上げた。不安そうな表情は酷く取り乱しており、そんな、を小声で何度も言う。

 彼は今すぐ殺しに行くと言って腰に手を伸ばすと、ヒュウに叱られてしまった。


「何考えてんだ馬鹿。殺されずに済んだんだ、別に始末しなくていい」


 銃に伸ばされた手を握り、ヒュウは少年の小さな体を引き寄せる。


「しかし先生……っ」

「大丈夫だから。それより今は親子の方」


 彼の言葉にシュリは事務所の玄関に目を向ける。開けたままの扉の向こうから、母親と娘が安心したように笑い合う様子が見えた。

 本来の目的を思い出した彼は脱力し、か弱い声音で謝罪を口にする。ヒュウはきつく掴んでいた手を放し、一つ頷いて玄関へ歩き出した。


 その後親子はシュリの護衛付きで自宅へと帰って行った。多少の処刑人に対する愚痴を零しながら。


 一方、事務所に独り残ったヒュウは、助手の彼が今朝用意してくれた紅茶を口に含んでいる。すっかり冷めて香りも薄くなっているが、それ以上に気になって仕方ないものが胸を満たしていた。


(処刑人が民間人に手を出した……これ食欲発作と関係が?)


 人間と人外の間に掘られた深い溝。その原因となっている食欲発作による事件には、ある謎があった。


 それは「発作を起こした人外の血の変異」。

 つまり通常の人外の血と、食欲発作を発症した人外の血の一部が変わっているということだ。


 そもそも発作は人外自ら発症させることはできない。人間でいう発熱と同じようなもので、血自体が別物に変わることなどない筈だ。


(となると、やっぱり第三者が故意に発症するように仕向けていることになるな)


 誰が何の為に、どのような手口で行っているのかはまだ分からない。しかしこの仮説は正しいと考えられる。


 その「誰か」がもし、処刑人と関係を持っており民間人に危害を加えるよう吹き込んでいたら。

 人外と人間の溝を完全なる崖にしようと企んでいたら。


 尽きない不安にヒュウは首を振り、ティーカップをテーブルに置く。立ち上がって、意味もなく辺りを見回した。


 あの少年が来て、一年が過ぎた。


 殺風景だったこの部屋に、もう一人分の生活用品が増え、何気ない会話も聞こえるようになった。彼には今でも頭を悩ますことがあるが、孤独より遥かに良い。かつてまだ彼が一匹の人外であった頃、このような未来は想像もしていなかっただろう。

 人間を恨みつつも、人間の命を繋ぎ留める仕事を始めたあの頃は、ただ感情を殺して手当てをしていた。自分の父親を見習って、わかり合うためにと表面上の綺麗な理由を携えて生きてきた。しかし今は、人間のことを信じても良いような気がしている。


 人外じぶんを信じて、付いて来てくれた人間がいるのだから。


 ・・・・・・


「二ホン? なんだそれ」

「あらぁヒュウ君は知らないの? 極東にある国のことよぉ」


 夕食の買い出しのため外に出ていた師弟は、市場に向かう途中で大家のミストと立ち話をしていた。


「それで、二ホンがどうしたのですか?」


 シュリの問いに老婆は、いつも通りの穏やかな表情で答える。


 二ホン――日本という国から大型の船がやって来たそうだ。百人余りの奴隷と多量の綿花を差し出し、交易の権利を求めに来たらしい。それに対しヴィンリル王国は国の名産物である鉄や小麦を渡す予定で、貿易をするかどうかは検討中だという。

 また送られてきた奴隷は、人外との戦闘の際に囮、または餌として利用するらしい。


「二ホンの方には悪いけれど、これで暫く民間人私たちは安泰ねぇ」


 ミストは細い目の目尻に皺を寄せて微笑む。シュリは「そうですね」と相槌を打ちつつ、自身の背に回した右手をきつく握っていた。あまりの力強さに手は小刻みに震えている。

 その隣、ヒュウはいつも通り笑顔の仮面を張り付けながら、老婆に別れの挨拶を口にした。


 ミストが去った後、耐えられずシュリは低い声で呟く。


「この国は命を何だと思っているんだ……ッ」

「落ち着け。ここは外、の文句は慎め」


 師の囁き声を耳にすると、シュリは幾分か心が落ち着いた。しかし彼の胸の中で猛る憎悪の炎は勢いを止めず、体内を焦がすばかりである。

 重い空気をまといながら二人は市場へと再び足を向けた。


 活気に溢れる、にぎやかな人々の声が飛び交う。大人や子供らが笑い声をあげながら歩き回る中、シュリは浮かない顔でいた。商人と楽し気に話すヒュウをぼうっと眺め、心中に滲み出てきた言葉を反芻させる。


 先生は人外であってこの国では害悪の権化、でもこうして人間と会話している。


 人間は馬鹿であると感じた。

 事実に気が付かなければ、どんな恐怖が傍に居ようと平然と生きる。そして気が付いた時に、いかにも自分が被害者だと言い張り周りに同情してもらう。自分は今の今まで気づいていなかったくせに。


(……人間は嫌いだ)


 いつだって人間は自己中心的に物事を考える。

 例えば、急激に加速する技術革新で森林は伐採、線路をそこに敷き、蒸気機関車だとかいう煙をばら撒きながら走る鉄の塊を作り出した。言わずもがなその自然に生きる動物らは追い出され、害獣だと言われ、狩られた。

 己の発展のためならば、他の命は命と見なさない。人間というものはそういうものだ。


 その時微かに、幼い声が鼓膜をくすぐった。


「ねぇ、かあさん。よその人がお船にのって、たくさん来たんでしょ。ぼく見てみたいなぁ」

「そうね、港が近いから様子を見てみても良いわね」


 何故か妙に親子の会話が聞き取れた。

 シュリは俯かせていた顔を上げ、港があるであろう方向を向く。緩い潮の匂いが鼻孔を漂い、なにかを誘っているように感じられた。


 彼は会計を済ませ歩きだそうとするヒュウを引き留め、港に行きたいと懇願する。弟子の突拍子のない願いに首を傾げつつも、ヒュウは少しだけならと言って体の向きを変えた。


 港に近づくにつれ人の数が増えていく。人々は口々に「異国の人」「生贄」と言って笑っていた。

 人の流れに押され、船着き場付近に漂着すると大きな木製の船が視界に押し寄せる。そのすぐ側、小さな影が蹲っていた。

 周りに人はおらず目もないため、シュリはヒュウの呼び止める声を振り切って蹲る影に駆け寄った。


「あの、君はもしかして」

「っ……ッ!」


 影――それは黒い布を被っており、ここらでは見慣れないボロボロの服を身に着けている。

 日本の少女だった。

 年はシュリより幼く見える。裸足や頬には血が滲んでおり、すっかり衰弱しているようだ。おまけに、彼女の両手首は背中で拘束されて自由が利かなくなっている。

 こちらの言語が理解できないらしく、少女は只々困った顔をしているばかりだった。


「そいつ商品だな、値札タグが付いてる」


 追ってきたヒュウは呟き、少女を縛る縄に付けられた紙切れを指さす。それにはこの国の言語で「二ホンの女児・状態 悪」と記されおり、値段が書かれるであろう箇所は空欄になっていた。


 シュリはさっと血が引いたのを感じた。この少女はこの後、オークションにかけられるのだと気が付いたのだ。

 ヒュウはしゃがみ込んで少女と同じ目線になって言った。


「人外の餌にもなれないから、愛玩人形にされるか殺されるかなんだろうな」

「どうにか助けられませんか。人身売買なんて非人道的すぎます」


 弟子の願いを聞くと、青年はそれを却下した。


「そうだな、でも無理だ。これはもう商品で、僕らがこの子を助けたら盗んだことになる。即刻お縄だ」

「ですが見捨てるなんてこと」

「じゃあ助けたとして、その後はどうする。一緒に住むのか? そんな金はないよ」


 彼の冷たい返答に、シュリは反論する言葉を詰まらせる。口喧嘩ではヒュウに勝てた覚えはない、だがこのままでは少女が売られてしまう。


「僕だってできれば助けてやりたい。けど、こんな境遇の子供なんて腐るほどいる」


 そう言いながら彼は立ち上がった。すでに諦めているようだ。

 シュリはどうすれば良いのか分からず、ひたすら怯える少女を見つめた。彼女は命や身を守る為なのか睨んでいるばかりで、こちらに助けを求めようともしていない。むしろ敵視するような眼差しだ。

 彼女以外に売られるような人はいないが、もしかしたら既に売り飛ばされてしまったのかもしれない。この少女だけでも救ってやりたいと、シュリの中にある拙い正義感が鳴く。


「……お願いです先生」


 少年は深々と頭を下げ、長い一筋の前髪が重力で垂れる。子の必死さを見てヒュウは難しい顔をし、胸の内でせめぎ合う声に耳を塞ぎたく思った。


 シュリは優しいのではない、正義感が強いだけだ。


 青年は何度も心中で呟く。弟子の持つ天秤では、この少女を助けることが正義であるらしい。それに則るべきか否か、長い時間は考えていられない。

 少し唸った後、ヒュウは大きな溜息を吐いて言った。


「後で相応の対価を体で払ってもらうからな」


 すると青年は少女に近づき、彼女の手首を縛る縄を易々と解いてみせた。

 彼の素早い行動にシュリは呆然とする。思考がやっと巡ったのか、彼は慌てて感謝の言葉を口にした。一方彼女は喚くでもなく抵抗するでもなく、黙っている。


 ふっと彼は弟子を見て何か案が浮かんだらしい。彼は「面白いこと思い付いちゃった」と、にいっと笑って言う。


「よし身代わり作戦だ。シュリ、服を脱げっ」


 始め自分の師の言葉が分からず、シュリは間抜けな声を漏らしたのだった。

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