episode4

 それは酷く見覚えのある光景だった。


 豪華絢爛な装飾が施された黄金色こがねいろの壁。金糸で細かく刺繍されたシルクのカーテン。天井までの高さがある大きな窓。その向こうに見える、小さく連なった家の灯り。

 あぁ、ここはかつての住処だと、ぼやける視界を凝らしながらシュリは思った。

 今自分が置かれているこの状況が「夢」だと理解できていても足が竦むのを感じられる。いつかの記憶が氷のように急激に冷え、存在感を放って仕方がないのだ。


『おい、何をしている。カエハ様がお呼びしているぞ』


 後頭部に投げ込まれた声に振り返る。

 輪郭が滲んでいて、明確に姿を捉えることはできなかった。しかし、誰なのかは既に知っているため気にはならない。

 視界が揺れる。歩き出したようだ。


(こんな昔の記憶を今更……)


 シュリは心中で大きく溜息を吐き、夢から覚めようと試みた。だが視界の明るさが増し、再び引きずり込まれる。


『遅いよハーレン、悪い奴隷には罰を下さないとね』


 きらびやかな大部屋の中心に立つ、端正で幼い顔立ちの少年が嘲笑を浮かべて言った。彼は王族が代々受け継いでいる、宝石のような瑠璃色の瞳を細める。


『その顔、本当に気に入らない。どうして私と同じ顔をしているんだろうな』


 少年が腰に携えていた西洋剣を引き抜く。目元を陰らせ、刃を振り翳した。


『お前は必要ないんだよ、失敗王子』


 はっとして意識が戻った。


 眼界に広がるは闇。それを認識するのに時間が掛かったが、深く安堵している自分がいる。やはり夢だったのかと、シュリは被っていた薄い布を握り締めた。


 明かりのない寝室に響くのは自分でないもう一つの呼吸音。隣の古いベッドに眠る彼のものだ。

 彼――ヒュウの方へ寝返りを打つと、少しばかり気が紛れた。しかし変に目が冴えてしまい、諦めたシュリは上体を起こす。


 喉が乾いた。


 彼はベッドから出ると、足音を忍ばせてキッチンへと向かう。夜目が利いていることもあり、彼の足取りは思いの外しっかりとしていた。

 頭にこびりつく悪夢の後味に苛まれつつも、シュリはキッチンの水道へと辿り着く。近くに器が無かったため、仕方なく彼は蛇口に口を近づけた。

 硬水の重い口当たりが舌を這う。生温い苦味が心地よく、彼は必死になって喉に流し込んだ。

 やっと顔を上げると、あまり息をしていなかったことに気が付く。何度か咽ると静寂の中に気配を感じた。


「……先生?」


 彼の声が虚空を掠める。すると間もなく、闇に二つの光が浮かび上がった。


「はは、やっぱりバレたか」


 聞き慣れた明るい声が響いた後に光が近づいてくる。闇に溶けていた姿が輪郭を取り戻し、ヒュウだと判別できるようになった。

 いつも羽織っている丈の短いマントはその肩になく、結わえてある長髪は解かれている。腰に手を当てているため彼の体の細いラインが際立って見えた。ヒュウは口角を上げながら言う。


「どうしたのか気になっただけ。他意はないよ」


 用が済んだなら寝なさい、と落ち着く声音でヒュウが囁いたが、シュリはそれを拒んだ。


「先生に、お聞きしたいことがあります」


 その声は微かに震えを含んでおり、何かに対して恐怖を感じているものだった。

 ヒュウは一度きょとんとしたが、息を一つ吐くと少年を優しく席へ導く。彼を座らせ、小さなテーブルにある蝋燭に火を灯した。唐突な明かりにヒュウは顔を顰めたがシュリの表情は変わらない。悲しそうな目をして一点ばかりを見つめている。

 向き合うように座ると、少年は顔を上げて切り出した。


「私は本当に生きていて良い存在なのでしょうか」


 子の問いが静寂に溶ける。はっきりとした普段と変わらない口調なのに、弱々しい感情が滲んでいた。ヒュウはテーブルに右肘を付き、笑みを消してそれに答える。


「それを決めるのは僕じゃないよ」

「では私が、生きていては駄目だと決めてしまえば死んで良いのですか」

「別に構わないさ。あんたの人生はあんたのモノなんだから」

「先生は私が死んでも構わないんですか」

「端的に言うとそうだね」

「何にも思いませんか、思うつもりはないんですか」

「逆に聞くけど、あんたはどう思われたいんだ」


 沈黙。

 シュリは彼と絡んでいた視線を解いた。長い睫毛を伏せさせ、返答に困ってしまっている。

 その様子を見ていた彼の師は、片肘を付いたまま反対の手を少年の頭に乗せた。彼はびくりと反応したが反抗する素振りはなかったため、そのまま撫でられる。するとシュリがすすり泣き始めた。


「私は、先生に必要とされたいです、役に立ちたいです」


 どんな理由でも良いから貴方の傍に居させてほしい。きっと後悔はさせないと約束する。だから私を見捨てないで、傍から離れないで。


 それはずっと言えなかった弱音であり本音。ひとつ零せば壊れた蛇口のように止めどなく流れ出る。しゃくり上げつつもなんとか言葉を吐き出し、必死で伝えた。


 珍しく弱っている弟子を前にして、ヒュウは小さく微笑んだ。彼の頭に乗せていた手を滑らし頬に触れると「泣くな」と言って顔を上げさせる。

 改めて見つめた瞳は、サファイアのように透き通っており不純物が全く含まれていない。気を抜いたら吸い込まれそうな程に魅力的だ。

 青年は潤む瞳に語り掛けた。


「十分に役立ってもらってるよ。それにシュリが居ないと、僕は安心して救命活動に専念できない。いつだって必要としてる。でもあんたは僕に依存しすぎだ、僕はそんな大した奴じゃない」


 少年が時折見せる、彼の虚しそうな表情。そして望む、自己犠牲。


 青年が望むなら、役に立てるならとシュリは数々の苦行を自ら欲した。人外の駆除もその一つである。

 ヒュウの言葉を聞いたシュリは首を左右に振り、否定の言葉を口にした。


「貴方が居なければ私はあの時死んでいました。ですから先生は私の全てなんです」

「全てって、言い過ぎだよ」


 これ以上何かを否定すれば彼が壊れると感じたヒュウは、口を噤んで手を離した。それと同時に思う、シュリはもう既に壊れているのかもしれないと。それは自分の所為なのか、彼の幼少期の影響なのかは分からない。


 シュリの抱く自分への憧れは一種、信仰だとヒュウは思った。

 自分を保つための安定剤のようなもので、それが無くなっては自己が崩壊する。本心から尊敬していることは間違いないのだろうが、その尊敬の形が余りにも歪んでしまっている。

 しかし形を矯正してしまえば、それこそシュリの自己が崩壊しかねない。だからヒュウは、いけない事だと分かっていて少年の価値観を放置していた。


「……前にも言ったけど、僕はあんたを守ることも早急に処置を施すこともできない。見捨てた、なんて勝手なこと言うんじゃないぞ」

「承知しています。先生が負傷者を優先することは当たり前であると、よく分かっていますから」


 涙を拭い、シュリはしっかりとした口調で返す。それがまた青年の胸を苦しくさせた。


 一体自分は、まだ幼い子供に何をさせているのかと後ろめたくなる。それでも一度汚してしまった手は二度と綺麗にはならない。自分は殺ししかできないと、この少年に植え付けたのは紛れもなくヒュウ自分であり、これから彼を救うのも自分である。責任は取ると言えば良いのだろうが、もはやその言葉さえも「無責任」に感じられた。


(僕には到底、親代わりにはなれそうにないよ……父さん)


 青年は悲し気に口角を上げた。


 ・・・・・・


「眠いなら寝ていいですよ」

「いいや大丈夫だ全然眠くねぇし」

「目、充血してますが」


 事務所の二階にある彼等の部屋も窓が少なく、そこから差し込む日の光にヒュウが目を瞬かせる。その向かい、シュリが溜息を吐きながら紅茶を差し出していた。


 昨晩は長く話し込んでしまったため、睡眠時間がいつもより短くなった。それにより今朝からヒュウは電池切れなのである。

 もとより蝙蝠の人外である彼は、蝙蝠と同じ生態をしている。明るい場所を好まず、暗い時間帯に行動することが多いのだ。


「僕が寝ている間に事件が起こったらどうすんだ! すぐに駆け付けられないだろ!」

「普段は全くないプロ意識ですね。処置中に睡魔が襲って手元が狂っても知りませんよ」


 助手の辛辣な返しに、ぐうの音も出せなくなったヒュウはそのままテーブルに突っ伏した。睡眠欲求も限界らしく不貞寝のようだ。

 シュリは折角用意した紅茶を見つめている。ふと、外から誰かを呼ぶ声が微かに聴こえた。

 駆け足で玄関へ向かい、ドアを開けると階段下に人影を感じた。一旦踊り場まで降り、そこから身を乗り出して一階の事務所の入口にいた人影――親子に声を掛ける。

 彼の存在に気が付いた母親が、顔を上げて言った。


「あのっ、中に入れて下さいっ! お医者様はいらっしゃいますか!」


 彼女に抱えられた少女は、全身が泥で汚れており左足から出血していた。痛みを必死で堪えようと、少女は声を抑え涙をボロボロと零している。


「医者はいませんが私が処置致します、お待ちをっ」


 階段を駆け下り、シュリは事務所へと案内した。明かりを点け、手早く多量の水を用意する。

 少女をソファに座らせると、彼女の負傷した方の足を空のバケツに突っ込ませ、怪我を負った箇所に用意した水をかけた。少女は傷口に水が沁みて痛いようで思わず声をあげる。


 土や泥が付着した状態で止血をすれば、それらに含まれている細菌が体内に侵入し感染症を引き起こす。だからまずは傷口を清潔にしなくてはならない。


 ある程度汚れが落ちると彼はガーゼを負傷部分に当て、その上からきつく包帯で固定した。シュリは立ち上がると、少女の後ろに立っていた母親に説明を始める。


「圧迫止血により一時的に血を止めています。あとは身体が自然に血液を固めて傷口を塞ぎますので、安静にしておいて下さい」

「あぁ良かった、ありがとうございます……!」


 心底安心したらしく彼女は少女を後ろから抱きしめ、感謝の言葉を口にした。その様子を見たシュリの唇は無意識に緩んだが、すぐさま目付きを普段通りに戻す。

 ふっと母親が安堵の表情を消した。何かを確認するかのように窓の外を一瞥すると、彼女は自身の胸元に手を当てて少年に懇願する。


 、と。


 予想外の言葉にシュリが聞き返すと、彼女は苦しそうに理由を述べた。


「処刑人に、この子は人外だと言われて怪我を負わせたんです」


 それを耳にした途端、背に得体の知れない何かがぞっと這ってきた気がした。


 処刑人とは名の通り処刑を生業とする人を指す。

 この国には二種類の処刑人が存在しており、一つは大罪を犯した人間の処刑をする者、もう一つは人外の無差別処分をする者である。人外は存在しているだけで処分対象とされ、見つけ次第殺されてしまう。そのを行い、人々の安全を守る役割を担っているのだ。

 しかし今回、彼等は普通の人間に暴力を働いたらしい。理由は不明だが、この少女を捕まえようと乱暴に扱ったそうだ。


「この子が人外だなんて、酷い言いがかりです。娘は生まれつき普通の女の子で、学校にだって通わせています」


 母親は悲しみと彼等に対する怒りを漏らす。一方シュリは考えるように俯き、以前彼の師が言っていたことを思い出していた。


 最近、処刑人が巡回している。


 近頃の人外の暴走件数は増えているが、人外の数自体は減少傾向にあるというヒュウの言葉が頭をよぎった。ではそこまで気を張って見回らなくても良い筈だ。一般国民に暴力を振るうなどプロ意識に欠けている。


 青ざめた顔の母親は「今も追われている」とシュリに助けを乞うた。彼は即座に応えることが出来ず、言葉を詰まらせる。


 無責任に匿えば自分の命を危険に晒しかねない。その上、この事務所には彼等の獲物であるがいる。下手な行動をとれば処刑されることも有り得るだろう。しかし、だからと言ってこの親子を見捨てる訳にもいかない。


(下手に外へ出ても見つかる可能性がある……どうすれば)


 少年が逡巡していたその時、玄関のドアを激しく叩く音が耳朶を打った。


 木製の薄いドアは壊れてしまいそうな程にしなり、錆び付いた不快な音が響く。シュリが反応する頃には、乱暴に扉が許可なく開いた。


「おい、ここにガキの人外が逃げ込まなかったか?」


 背に携えた猟銃、黒に統一されたローブ、白い不気味な仮面――見間違うことなどない、処刑人がそこに立っていた。それも四人。


 咄嗟の判断でシュリは親子を壁に囲まれたキッチンの方へ逃がし、自身は玄関に立ち塞がるように立つ。年相応の小さな身体を前に出し、彼は目前に並ぶ処刑人たちを見回した。子供相手ならすぐに引き返すだろうと考え、シュリは努めて幼い口調で相手する。


「しょけいにんさまではありませんか、どうかしましたか? ここにはだれも」

「そんな媚を売るような話し方はやめろ、グレイツァ。貴様のことはよく知っている、ガキの処刑人とな」


 声を両断するように返され、シュリはつい眼光を鋭くした。


「嘘を吐けば貴様も、ここに逃げてきた人外も共々殺す。それでも匿うか」


 後ろに立つ他の処刑人らが猟銃を構える。どうやらこの事務所に逃げ込んだことは分かっているらしい。

 シュリは彼等を思い切り睨みつけ、彼の言葉に答えた。


「確かにここへ親子がやって来ましたが、普通の人間でした。人外では決してありません」

「何、人間が人外を守ろうとしているのか? それはこの国の法に障るぞ」

「法は存じています、何を根拠に彼女を人でないと判断したのかお聞きしたい」

「我々がそう判断したからだ、それ以外に理由はない」

「答えになっていません、質問に答えてください」

「ガキに何が分かる」

「人外の見分け方くらいは分かっているつもりですが」


 頭の回転が速いシュリは、大人相手だろうと全く臆せずに言葉を突きつける。間髪の入れない受け答えに、処刑人らから苛立ちが見えてきた。

 しかし内心、彼はどうしようかと焦って仕方なかった。キッチンには小窓があるが、それは処刑人らが立つ表の道に出てしまうものだ。彼等がここを諦めるまで、否、少しでも視線を逸らすまで辛抱せねばならない。

 彼等に銃口を向けることも考えたが、この閑静な街中で戦闘となると被害者を出してしまうだろう。もし戦ったとしても勝つつもりでいるが、今回は守らなくてはいけない対象が三人もいる。


「貴様が何を言おうと、ここに居ることくらい知っている。中に入れさせろ」


 ドスの効いた声に一瞬体内がひやりとした。しかしここで引くわけにもいかない。

 処刑人らが一つの小さい扉へを迫ってくる。

 巨体はまるで壁のようで突破は不可能だ。

 シュリは反射的に腰元のピストルに手を伸ばす。


 ここは腹を括って親子と師を守らなくては――


「こりゃまた面倒な奴が来たな」


 頭上からの声に、そこに居た者らが顔を上げる。

 視線の先、二階に繋がる外階段の踊り場にが立っていた。


「怪我の具合を聞いてもいいかい? 処刑人さま方」


 人外のヒュウは、そう言って笑ってみせた。

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