第2話 別に好きではないけれど、きっといつかの幸せを。

「航」

「んー?」

「そういえばさあ」

「うん」

「私に惚れたの、高二とか?」

「……なに、いきなり」

 夫になる人、藤代航。妻になる人、高科葉月。

 同じ故郷で育った私たちは、どういう因果か大学も同じで。何をとち狂ったのか、航は私に好きだと言って。私も私で、それを受け入れて、付き合って。大学卒業と同時に同棲を始めて。そして今私たちは婚姻届の空欄に、二人で名前を書いている。

「私から問題集借りようとしたのって、今思えばそういうことだったのかなあ。って」

「よくそんな事覚えてるな……」

「そんな事じゃないよ。ヘタレな航が勇気を出して私にアプローチしてくれた大切な日じゃん」

「煽ってんの?」

「見違えたなあってこと」

 告白してくれたのは航。プロポーズしてくれたのも航。まあ、手繋ぐだけなのにぎこちなかったり、名前で呼び合うのに時間を要求してきたり。私の下着姿を見て緊張しちゃったからリードしてあげたりとかもあったけど、一応やる時はやってくれる男だなあとは思っている。一応ね。

 にしても。

「好きな子に告白する勇気がないからわざわざ進学先を探って追いかけてくるなんて、航もなかなかかわいいとこあるよね」

「うっさい」

「そういうとこだぞ?」

 笑う私に釣られたのか、彼の横顔も少し綻ぶ。付き合ってからよく見せてくれるようになった、航の笑顔。

 こうして思い返してみると、航がヘタレであることには変わりはないけど、彼を見直している私がいるのもまた事実で。だんだん頼もしくなっていく彼も、そんな彼を頼もしく思っている私も、あの時と比べると見違えたよねって思う。

「同じ大学だって知った時はすごい偶然だなって思ったし、告白された時は「え、私?」ってなったけど、今思うと私のこと追いかけてくれてたんだなあ」

 我ながら珍しく感慨深げに、彼が追いかけてくれた先にあった幸せに浸りながら呟く。

「葉月は鈍感過ぎ」

「航のヘタレさには負けるよ」

 今ではこんな軽口も言い合える仲になって……、軽口は昔から言ってなかったっけ? 実は私たち、あんまり変わってない?

 それでも、航といる事で自覚したこの想いは大切にしたいなって思う。彼曰く鈍感な私でも。 

「それにしても本当に見違えたよね。付き合ってから初めて手を繋いだ時、航が手握り返してくれないからどうしたのかなって顔見たら、顔赤くして固まってるんだもん。あんなの面白すぎるって」

「葉月は葉月で恥じらいが無さすぎる。家にいる間はもう諦めたけど、実家に帰ったらちゃんとズボン履けよ?」

 彼に寄り添ってその温もりを感じている私に、わざわざ釘を刺すかのように彼が言う。

 今の私の服装は下着に彼シャツ、完。そしてこれが家での普段着である。

 流石に外出る時はちゃんとするけど、家では二人きりだし。快適さ重視のこの格好でいても彼の視線を感じるくらいだし問題ないかなって。

「でも航、この格好好きでしょ?」

「なに、誘ってんの?」

「誘ってるのかと聞かれると、まあそんなことはないかな」

「なら襲われる前にズボン履いてくれ」

「え? 私が航に襲われて嫌がるとでも思ってるの?」

「誘ってないんだろ?」

「拒んでもないよ?」

 私の言葉に言い返す言葉が見当たらないらしい航は無表情とも違う、ぐぬぬみたいな表情を浮かべる。かわいいなあ。

 そんな歓談で緩んだ空気を引き締め直すような声色で彼に言う。

「お母さんたち、初孫楽しみにしてるっぽい」

「……何か言われたの?」

 私の声色を察して、さっきとは違う、頼り甲斐のある言葉を返してくれる航。

「子供の予定はあるの? だって」

「これから結婚なのに、ちょっと気が早くない?」

「だよね」

 別に聞かれるのが嫌なわけではないし、子供を作る気がないわけでもないんだけど。それは私だけで決められる事ではないから。

「なんて返事したの?」

「航の理性次第だから実家帰ったら直接聞いてって言っといた」

「お前なあ……! 面倒な言い方しやがって……」

「色々聞かれるだろうなあ。がんばれー」

 私の真剣な口振りがフリだった事を悟った航の心底面倒臭そうな返事に、私は堪えきれず破顔する。

「別に私は拒む気ないから。いつでもどうぞ?」

「拒む気なくても、そういう大事なことはちゃんと考えてからじゃないとダメだろ」

「私は嬉しいよ? 航がそういうこと、ちゃんと考えてくれる人だってこと」

「……!」

 俺は騙されないぞ! みたいな表情をこっちに向けてくる航。だって、航とおしゃべりするの楽しいんだもん。ごめんて。

「もうフリとかじゃないってば。ホント! ホントの気持ち!」

「本当?」

「……?」

「おい」

「ホントのホント!」

「……まあ、そういうことにしておく」

「……ふっ。(ちょろ)」

「おい」

「わー!」

 流石にもうキリがなさそうだったので、適当に空気を変えるために彼に抱きつく。カーペットとしてはまずまずな寝心地のそれに、彼を雑に押し倒す。

 私の頭はちょうど彼の胸元辺りに落ち着いて。押しつけたほっぺたで、少し彼の鼓動が早くなったのを感じる。

 それでも航は意外と冷静で、大人しくなった私を両腕でそっと抱き返してくれる。

 穏やかで、あったかくて、ちょっと特別な至福の一時。私は目を閉じて、その幸せを堪能する。

「……葉月って、なんで俺と付き合ってくれたの?」

「なに? 急に」

「いや、葉月って俺のどこが好きなのかなと。葉月はあんまりそう言うこと真面目に言ってくれないタイプだろ?」

「うーん。そう言う航は私のどこが好きなの?」

「俺が聞いてる」

「言ってくれたら言う」

「まったく……」

 私を抱く航の腕に少し力がこもる。ゆっくりでいいよ。私は彼の緊張を一身に受け止める。

「明るいところとか、こう見えて家事全般得意なとことか、意外としっかりしてるとことか?」

「こう見えてとか意外とか、もう少し真っ直ぐ褒められないわけ? あとかわいいは?」

「嫁がかわいくないわけないだろ」

「言ってくれなきゃわかんない」

「……かわいいとこ、好きだし。好きだから、余計かわいい……」

「へへ……。でも航には負けるよー」

「はいはい」

 やばい。嬉しすぎてきもい笑い方しちゃった。

「で? 葉月は?」

「うーん。優しいとことか、かっこいいとことか、一緒にいると楽しかったり、落ち着けたり。とか?」

「当たり障りなさ過ぎない?」

「いやー、自分でも正直よくわからないというか。そもそも私って、航のこと好きなのかなって」

「俺たちって結婚するんじゃなかったっけ?」

「結婚はするよ! 当たり前じゃん! 今更やっぱなしなんて言われたら私泣くよ?」

「意外と俺のことめっちゃ好き?」

「まあ、そうなんだけど……、なんか。私にとって航って最早居るのが普通というか。好きだから付き合ったっていうより、嫌いじゃないから付き合ったっていうか……」

「今のって俺悲しむとこ?」

「ちーがーうー! 喜ぶとこ!」

 私は、航に私の気持ちをわかって欲しくて。私の中にある気持ちを精一杯言葉にする。

「私さ、あの日の朝、思ったことがあってね。航が勇気を出してくれた高二の冬の日。あの時はちょうど上京を決意した直後くらいで。朝、家を出た時。見飽きた景色を目にした時。それは私にとってなんでもない景色だったはずなのに、その時の私にはとても大切な景色に見えて。ああ、私、生まれ育ったこの町が好きだったんだなあって。大切だったんだなって。この町を離れるんだって自覚して初めて、そう思ったの」

 航は静かに私の気持ちを聞いてくれて、同時に言葉を促してくれる。

「だから航が告白してくれた時、航との思い出を思い出して。別に好きではないけれど、それでも私の心がこの人はきっと大切な人だ! って、言った気がして。それは好きとは少し違うのかもしれないけど、それでも私は航と一緒にいたいって思えたから、航と付き合うことを選んだの」

 今まで有耶無耶にしてきた航への気持ちに、少し力が入ってしまう。航はそれを、私がしてあげたように、ただただ優しく受け止めてくれて。

「だから、私は、航が言ってくれたみたいに、こういうところが好きとかは上手く言葉にできないけど。それでも大切に思ってるってことは、わかって欲しい」

「うん、大丈夫。ちゃんと伝わってるよ。葉月の気持ち」

「でももしかしたら、それが葉月の“好き”なんじゃない? 少なくとも俺は、そういう気持ちで好きって言われても、ちゃんと嬉しいなって思うよ」

「えへへ、ありがと」

「ということで。折角だしちゃんと言って欲しいなあと思うんだけど」

「えー、恥ずかしいんだけど」

「それはそれで良い」

「もしかして変態?」

「葉月も似たようなとこあるだろ」

「そうかも」

 覚悟を決めた私は笑顔で返す。

 彼の胸に体を預け、目を閉じる。体いっぱいで感じる幸せを、精一杯の言葉にして航に届ける。

「航……。す、好き……」

「俺今、目を見て言ってもらわないと理解できない病に罹ってまして」

「殴られたいの?」

「暴力は良くない」

「毎晩私のこと蹂躙してるくせに」

「それは俺たちの愛情表現でしょ?」

「じゃあ私も愛情表現するね?」

「このままはまずくない?」

「航が我慢すれば大丈夫だよ」

「できると思う?」

「絶対に無理だし、絶対にさせない」

 航への気持ちに支配された私は体を起こそうとして、航の腕の中に引き戻される。

「葉月。俺たちに子供ができたら、それは初めての子育てになる。きっとそれは思っているよりも大変なことだから、結婚の報告と同時に、俺たちの両親にその相談をするために今度帰省する。そうでしょ?」

「……うん」

 彼の言葉になんとか理性を取り戻して、流石に軽率だったと反省する。

「こんな私に、お母さんなんてできるのかな……」

「葉月がお母さんになる時は俺も一緒にお父さんになる。それにちゃんと話をすれば俺たちの両親だって手伝ってくれる。葉月は自分を育ててくれたお母さんのこと、ちゃんとお母さんだなって思うでしょ?」

「思う」

「ならきっと大丈夫。今はまだ一人前のお母さんにはなれないかもしれないけど、子育てしながらゆっくりお母さんになっていけばいい。葉月は一人じゃないんだから」

「うん。航となら、できる気がする」

 私のことを支えてくれて、これからも支えてもらえる事を感じて。私は胸の高さを彼に合わせる。 

「目、見ながらだっけ……」

 その気になれば簡単に繋がれる。そんな距離で私は航と見つめ合う。

 少し早くなる私の鼓動。決して小さくはない私の胸越しでもこのドキドキは気づかれてしまいそうで。ううん、このドキドキも伝わってたら嬉しいな。 

「航、大好き」

「俺も大好きだよ」

 ついに口にした言葉に、航が返してくれた言葉に。私は想像以上の幸せを抱きしめる。

「なんか、本当に好きかも……」

「お、ようやく自覚してきた?」

 私とは対照的に余裕そうな航の声に触発されて、溢れる気持ちを言葉にする。

「好き、好き!」

「わー、安売りは良くないと思うぞ?」

「こんなあまあまな私、きっと今日だけだから、今のうちに堪能しておいた方がいいと思うよ?」

「今日だけ⁉︎ 定期的にきて欲しいなあ」

「気が向いたらね?」

「日頃の行いに命かけとく」

「殊勝な心掛けだー」

「ということで今晩は激レアあまあまタイムということで。覚悟しておいてね?」

「葉月もね?」

「うん!」




 私たちは思い出を辿る。

 駅。私たちが降り立った駅は、駅とは言っても駅舎なんてものはなく、一本の線路とそれに寄り添うコンクリートの塊。そこに柵やら線やら駅名標やらでそれっぽくしただけの簡単な設備。

 あの日から意外と変わらない景色。あの日まだ一人と一人だった私たちは、今では二人となって故郷を歩き始める。大切な温もりを、その手に感じて。

「葉月、本当に手繋いで行くの? 恥ずかしいんだけど」

「何言ってんの、こんな田舎が地元なんだよ? 「あらまあ葉月ちゃんと航くん? 大きくなったねえ。なに? もしかして二人って……」みたいな会話を何万回もやるより、結婚凱旋アピールした方がわかりやすいでしょ? いちいち説明してたら年明けちゃうよ?」

「何万回も説明するほど人いないだろ」

「ラブラブアピールしたいの!」

 なんだかんだで手を繋いでくれる航に笑顔を返して、航もそれに返してくれて。  

 私はもう片方の手で、まだ大きくなっていないお腹をさする。

「まだできてないだろ」

「気分はもうお母さんだから」

「葉月、なんだかんだであれからずっと甘々だよな」

「は? きも」

「楽しそうでなによりです」

 二人で笑い合う。そんな事を言い合っても、繋いだ温もりは放さない。

 そして思い出の町を噛み締めるように、私たちは進む。

「なんかちょっと寂れたかもね、この町」

「こればっかりは仕方ないな」

 まだ子供はできていないけど、一つだけ二人で決めたことがある。

 この町には戻らない。

 田舎には仕事の選択肢が少ない、都会の方が仕事がしやすい。家庭を築くには経済面の安定性は譲れなくて。それは両親から「孫の面倒はみる」と提案を受けても変わらなかった。

「次はいつ来れるかな」

「子供が小さいうちは厳しいかもな。産まれる前だと一、二回くらいか」

「初孫に合わせてあげられるのは結構遠そうだね」

「オンラインでならやりようはあるから、暫くはそれで我慢してもらおう」

「そうだね」

 駅前の市街地を抜け、集落を抜け、田畑を抜けて、また集落へ。

「着いたー」

「葉月の家も久しぶりだな」

「こんなに駅から遠かったっけ?」

「都会の便利さに染まっちまったな」

 そんな事を言い合いながら、私は振り向く。

「見て?」

 彼も、私の視線の先に目を向ける。

 そこには見飽きた、いつかの景色。

「これがあの朝、私におはようって言ってくれた景色だよ」

「この町はこの町で、やっぱりいいとこだよな」

「うん」

 その景色は、今日は「お帰り」って言ってくれてる気がして。私はちょっぴり嬉しくなって。あの日みたいに私は大きく息を吸って。

「ただいまぁぁあああ!」

「うるさっ! 絶対ご両親にも聞こえてるぞ」

「ご両親だなんて、航もノリノリだねー」

「はいはい。今日はこの後、俺ん家にも挨拶に行くんだから遊んでる時間はないぞ」

「わかってるってー」


 私は私に問いかける。それは特別じゃなくて、きっと特別なもの。

 良い町かって? どうだろう。

 いつまでもここに居たいかって? そんなことはないかな。

 この町が好きかって? 別に嫌いではないよ。

 それでも私は、この町が大好きだって思える。


 私は私に問いかける。それは特別ではなかったかもしれないけど、今はきっと特別な人。

 良い人かって? 良い人だよ。

 いつまでも一緒にいたいかって? そんなの当たり前じゃん。

 この人が好きかって? えー? まあ、そんな言葉じゃ足りないくらいには?

 それなら私は、ちょっと気合入れてみようかなって思える。


「航」

「ん?」

「大好きぃぃいいい!」

「うるせぇぇえええ!」

 なにかがなにかおかしくて、私たちは一緒に笑う。

「航は返してくれないの?」

 恥じらう航を楽しんでやろうと、にやにやしながら催促する。

「……これで勘弁してくれ」

 そう言った航は。私たちは、お互いの温もりと愛情を一瞬だけ交換し合う。

「ーーんっ。……いいよ。勘弁してあげる」

 たった一瞬なのに鳴いてしまったから、私は彼に大人しくさせられる。幸せ。私ちょっと変態かも。

「ほら行くぞ。これ以上ツッコミどころが増える前に」

「うん!」

 一歩先を進む彼に追いついて、大好きな温もりをぎゅっと握る。

 航は呆れ混じりでも、私の大好きな笑顔を向けてくれる。

 これはもう説明するまでもないんじゃないかな? だってこんなの、誰でも見ればわかるでしょ?


 別に好きではないけれど、その町は実は大好きな町で。

 別に好きではないけれど、その人は実は大好きな人で。大切な人で。

 なんでもない日常には沢山の幸せが隠れている事を、今の私は知っている。

 それがとても幸せな事だという事を、私はみんなに伝えたい。彼にも、この町にも、私たちの両親にも。もちろん私自身にも。そして、いつか産まれてきてくれる、私たちの大切な子供たちにも。ちゃんとそれに気づけるように。


 別に好きではないけれど、きっといつかの幸せを。

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別に好きではないけれど @mahiro-rui

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