別に好きではないけれど
@mahiro-rui
第1話 別に好きではないけれど
高科葉月。そういえばそれは、私が高校二年生の冬のことである。
「ごちそうさまでした! お母さん、あとはお願いっ!」
朝。自分で作ったお弁当をバッグに入れ玄関へ急ぐ。
ただいま朝の六時半。朝練に遅刻しないためには、走れば余裕、歩けばギリギリ。お弁当作る余裕無いかもって思ってたけど、急いだおかげでなんとかなりそう。
ハンガーラックに掛かっているコートを取って、制服の上から羽織る。時間はなくても最終チェックは怠らない。
制服おっけー! 前髪おっけー! スカートの丈は可愛さ重視!
仕上げは鏡に、にっこり笑顔の最終チェック。よしっ!
「行ってきまーす!」
ローファーを履いて、元気に行ってきますをする。下の防寒はタイツ頼みだけど、まあなんとかなるでしょ!
そして私は小走りで玄関を出た。
「さむっ……!」
冬本番というには少し早いけど、寒いものは寒い。
かわいさ重視とか強がってないでジャージ履けばよかったかなあ……。でもあれ、ダサいからなあ……。
玄関を出て狼狽える私。その目の前に広がるのは田舎町。
集落の端に位置する私の家、その眺望は開けていて。山々、田畑。そして田畑に浮かぶ集落。絵に描いたような、見飽きた田舎の風景。
それでも自然は雄大で。
赤みを帯び始めた稜線の向こう。薄く広がる冬空の雲は遙か向こうから照らされて、夕暮れとも少し違う、白昼の青みを帯び始めた朝の色彩を湛えている。
空気は目が覚めるほど澄んでいて、その全てが私に「おはよう」って言ってくれているようで。
それは見飽きたいつもの朝で。それでも、進学と上京を決意した私には、それはどこか愛おしい特別な朝で。
朝の空気はしみるほどに冷たい。それでも構わず大きく息を吸って。
「おはよぉぉおおおー!」
ほんの少しだけ心が震えた私は故郷に全身全霊でおはようを返す。
良い町かって? どうだろう。
いつまでもここに居たいかって? そんなことはないかな。
この町が好きかって? 別に嫌いではないよ。
別に特別な事を思っているわけじゃない。それでも、日常だったそれが、日常だったのにも関わらず特別を感じなかったことに、少しだけ特別を感じているのかもしれない。それが愛郷心だと言うのなら、そうかも。それを好きだと言うのなら、……そうかも?
いつもの朝に、いつもとは違う事を考える。そろそろ寒さが急かしてくるからーー。
よし、走ろう。走れば身体もあったまるし、いける!
しみる寒さがどこか心地良く感じた冬の朝。瞳に気持ちが滲んだことを、私は今でも覚えている。
「あれ? 航じゃん。おはよー」
田舎道を走って駅に着いた私は、この時間には見慣れない先客に挨拶する。
駅。とは言っても駅舎なんてものはなく、一本の線路とそれに寄り添うコンクリートの塊。そこに柵やら線やら駅名標やらでそれっぽくしただけの簡単な設備。
車社会である田舎では、こんな朝早くに電車を使うのは学生くらいのもので、この時間に人と会うのは珍しいことだった。
「おはよう」
ちょっとぶっきらぼうに挨拶を返してきたのは一応幼馴染の藤代航。なぜ一応なのかと言うと、田舎特有の家族ぐるみの付き合いで面識がある。って程度のもので正直ただの顔見知り。こうして二人で話すのも何年ぶりだろうって感じ。
「こんな朝早くに珍しいね。部活やってたっけ?」
「いつもよりも早く目が覚めたから、勉強でもするかって思って」
「そっか」
私たちは高校二年生。大学入試までは一年も残ってない。
てっきり高校生活はバイトや青春で溢れているものだと思っていたのに、蓋を開けてみれば入学直後から「大学受験はもう始まっている!」だとかで、結局は勉強がほとんど。
私は乱れた息と前髪を気持ち整える。
「お前、走ってきたの?」
「うん、そだよ」
元気だなあ、みたいな視線を航は私に向けてくる。
「そうだ」
私はせっせと納得いくまで前髪を整える。
「……どうだ?」
話が見えないらしい彼に、私は前髪を気にしながら向き直る。
「前髪大丈夫そ? 変じゃない?」
前髪を強調しつつ、顔色を窺うため前髪越しに彼の瞳を覗き込む。
でも、そんな私に彼は面倒臭そうに目を逸らす。
「ねーえー! 無視すんな!」
「スマホで確認しろよ。持ってるだろ?」
「出すのめんどい」
「お前なあ」
全然見てくれないので仕方ない。背の高い彼の視界に私の頭が入るように一歩出てアピールする。
「おーい!」
「大丈夫だよ、全然変じゃない」
これ以上の面倒ごとはごめんだと言いたげ。でも、航は一応返事をくれる。
「ほんと?」
「信用できないなら初めから聞くな」
「じゃあ渋らずに答えてくれればよかったのに」
「お前の前髪の良し悪しなんて俺にわかるわけないだろ」
「そんなん別に適当でいいって」
「ますますなんで俺に聞いたんだ……」
結局前髪どうなんだろ。なんか全然教えてくれないし。
「じゃあ質問!」
「……なに」
「今日の私、かわいい?」
「……」
「ねーえー!」
「……はいはい、かわいいんじゃね?」
なんか渋々なのが気に入らないけど。
「うーん、まあいいでしょう」
「お前なあ……」
私は少し不服ながらも、前髪問題に一応の決着をつける。
そういえばまだ電車来てないな。走ってきたから早く着き過ぎたのかも。
走ってる時は大丈夫だったけど、話してるだけだと流石に冷えてきた。電車が来るまでまだ時間ありそうだし。仕方ない、ジャージ履くかあ……。
私はバッグを下に置いてジャージを引っ張り出す。畳んであるのを広げて、ローファー脱いで、片足ずつジャージにつっこむ。踏んづけてるローファーはバランス悪いし冷たいけど、地面の方が絶対冷たいから気合いで履く。
自分で言うのもなんだけど、運動神経には自信あるのでこのくらいは全然余裕。
「なにやってるの?」
無事両脚をジャージに通し終え、太腿辺りまで上げたところで航が聞いてくる。なにって、見ればわかるくない?
「ジャージ履いてる」
「ああ、うん」
「なに?」
「いや、なんでもない」
……? 変なの。
私は太腿の高さでジャージを保持して、コートの中、腰の辺りを探り、スカートのホックを外してファスナーを下ろす。
「お前ここで着替えるの?」
「なにさっきから。めっちゃ私のこと見てるじゃん」
「いや、だって。お前、スカートの下何か履いてるの?」
「スカートの下? タイツだけど」
「いや、そうじゃなくて」
「タイツの下? ……え、なに言わせようとしてんの」
「いやいや、そうじゃなくて。こんなところで着替えたら下着とか見えるだろ……!」
「別にコート着てるんだから覗き込まない限り見えないでしょ。周りには誰もいないんだし、航がスカートの中に顔突っ込んだりしない限りは見えません!」
「お前なあ……」
「それに、スカート下ろさないでどうやってジャージ着るの。ジャージの中にスカート入れるわけにもいかないでしょ?」
「うーん、それ普通なの?」
「当たり前じゃん」
そうかあ……、と黙った彼を横目にスカートを下ろす。ジャージとスカートの高さを揃えて、一緒に上げる。ジャージを履いて、スカートをを履き直して、最後にローファーも履き直して、はいお終い。
航はバレてないと思ってるのか知らないけどずっとチラチラこっち見てたし、なんかちょっと変な空気になっちゃったじゃん。ジャージ履くだけなのに騒ぎ過ぎだってば。
私はこの空気を嫌って、別の話題をふる。
「ねえ、勉強って何の教科やるの?」
「今日は数学。試験範囲も終わったし過去問やる予定」
「はっや! 私たちまだ高二だよ? めっちゃやる気じゃん」
「お前もこの前過去問持ってなかった?」
「あれはモチベ用。第一志望の問題くらいは用意しとかないとなあ……。って」
「じゃあまだ使わないの?」
「使わなくはない、かじりはする」
私の言葉に、航は何かを考えてるようで。
「……じゃあさ、都合が良い時にその過去問貸してくんない?」
「え、やだ。自分で買え」
「えー……」
慳貪、とでも言いたそうな航。全くもう、仕方ないなあ。
私は持ち直したバッグを漁って、件の過去問を取り出す。
「いいよ。はい、貸してあげる。欲しいとこだけ写真撮って、終わったら私の机に置いといて。そのくらいだったら朝練終わる前に終わるでしょ?」
航は豆鉄砲を食らったような顔をしつつも、私から素直に過去問を受け取る。
「え、ああ。助かる」
「お礼楽しみにしてる」
「お前なあ」
そんなやりとりをしてたら、遠くに電車の音。それはもう目線をやれば見えるくらいに近づいていて、やっと来たかあ。と、ちょっと伸びをしてみる。
そして私たちはジャージを脱ぎたくなるくらいに暖かい車両に二人で乗り込んだのだった。
「そういえば、航って第一志望どこなの?」
「まだ決めてない」
「決めてないくせに過去問借りるな」
「そのうち決めるって」
私たちがまだ高校二年生だった冬、そんなやりとりをした事を、私は今でも覚えている。
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