第4話 泥だらけのハッピーバースデー
今が何月の何日の何曜日の何時なのか、俺にはわからない。俺たちが掘った塹壕は、神様からは子供が地面に描いた絵のように見えるのだろうか。そんなことを考えながら、異国の空を眺める。変わり映えのない日常だ。
指揮官からの命令が下った。明日、某月某日某時刻にドイツの塹壕へ突撃するそうだ。思わず唾を飲み込んだ。その日はちょうど、自分の誕生日だからだ。
空を見上げ、子供の頃を思い出す。お母さんやお父さん、兄貴たちが一緒に俺の誕生日を祝ってくれた。いろがみで作った飾り付けが部屋を囲み、家族全員でハッピーバースデーの歌を歌い、ケーキに立てられた蝋燭の火を、肺いっぱいに吸った息で吹き消す。あの頃は毎日が楽しかった。
夜、どこからともなく泣き声が聞こえてきた。殺し切れない声が漏れ、鼻水を啜る音が塹壕の中に響いた。すると、今度は別の泣き声と鼻水を啜る音が、また今度は別の、そのまた今度は別の、という風になり、いつしか皆が泣き出した。俺も故郷と家族を思い、泣いた。
翌日、ついにその時刻が近づいてきた。突撃だ。皆の表情は憂鬱で、中にはまだ泣いているやつもいた。俺は隣のやつに今日が自分の誕生日であることを伝えた。ジョークの一つや二つ、言ってくれたら気が紛れたのだが、そいつは頷いて「そうか。」と返事をするだけだった。
ピーッという笛の音で皆は塹壕から飛び出し、砲弾で穴だらけの土地を蹴飛ばし、敵の機関銃から放たれた弾が四方八方に飛んでくる中を駆けていった。あちこちからクラッカーのような爆音が鳴り響き、ともすれば鼓膜を破ろうとしてきた。紙吹雪は鉄の破片となり、仲間の体を切り裂き、俺の顔を掠めた。火薬の匂いに鉄の匂い、泥臭さだけが鼻に入ってくる。祝声は雄叫びとなり、言葉にならない声をあげている。火は命でもなんでもを蝋燭と見立て、激しく燃え上がっている!
俺は無我夢中で走った。共に駆け出した仲間の殆どが泥中に倒れている。敵の塹壕は目の前だ。俺は雄叫びを上げた。塹壕に飛び込んで、敵の腑めがけて銃剣を突き刺した!銃床で敵の顔面を殴りつけた!敵の腕を鉛玉で吹っ飛ばした!敵の歯を何本も折ってやった。敵の目ん玉を指で押し潰してやった。敵の顔面を思い切り殴りつけてやった。
気がつくと空は暗くなっていた。夜。いや、ただ煙で曇っているだけだ。手は血と泥で塗れ、隣には殺した人間がバタバタと倒れている。まだ息のあるやつは、ママ、ママ、と小声で呟いている。腹を見ると、赤いシミがあった。穴が空いていた。きっと中は糞小便と血液と肉と臓物がぐちゃぐちゃに混ざってるんだろう。
俺は死ぬのだろう。いや、きっと死ぬ。必ず死ぬ。誕生日と命日が同じになるなんて、思いもしなかった。
ああ、こんな誕生日は嫌だなあ。
ハッピーバースデートゥーユー
ハッピーバースデートゥーユー
ハッピーバースデーディーア
ハッピーバースデートゥーユー
息を吹きかけると、蝋燭の火は消えた。
大戦の爪痕 KAGALOVE @8031MIDORI
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