第24話 花の散る、秘密の園でもう一度

「サリサ」

 体が浮き上がる。気が付いたときには抱き上げられていた。

 この体勢にとうとう慣れてしまった。何度も横抱きにされたから。

 懐かしいとさえ思える、一番安心できて、一番ドキドキする場所だ。

 プラチナブロンドの髪と、ターコイズブルーの瞳。

 サリサを見上げる、優しい笑顔。彼は笑顔のまま、サリサを引き寄せ瞼に口付けた。

「よかった。元気そうだ」

 そう言う彼こそ、とても元気そうだ。あっさりとサリサを抱え上げ、言葉も明瞭に発し、朗らかに笑っている。

 生きている。

「……どうして」

 顔を合わせたが、サリサは手を伸ばし、彼にしがみ付いた。消えられるといやだからだ。サリサが抱いている腕の中で、彼は幸福そうな顔をして、サリサの首に鼻を押しつけた。

「フワフワだな」

「ワン!」

 まるで主人の、感極まった感想に同意するようにシェルトが元気よく鳴いた。

「……アーサー」

 サリサは自分が抱きしめている相手の背から首、後頭部に手を巡らせた。どこにも傷はない。彼はいつもサリサの髪をフワフワだと言った。そういう彼の髪もさらさらで、少し羨ましいなど思ってしまった。

 あたたかくて、がっしりとして、安心できるけれど胸が高鳴ってしまう、彼の存在が嬉しく、愛おしい。ひなたと麦の、彼の香りも。

「会いたかった」

 涙声を漏らしたサリサを、彼は力強く引き寄せた。

「サリサ、貴女を待っていた」

 夢ではないのだ。涙がまた出てきて、サリサは大きく息を吸った。

「どうして……」

 彼はサリサと庭園を歩き東屋まできた。初めて出会った東屋だ。中に入ってサリサを横抱きにしたまま、二人は腰を落ち着けた。サリサも腕を緩め、彼の腿の上で座った状態になる。とたん、シェルトも前脚を主人の膝に乗せ、彼の顔を舐めようと飛びついてきた。

「はは、駄目だシェルト」

 彼はシェルトに待てを指示した。ベンチの上であったがきちんとお座りをしたシェルトの、首から背を何度もわしわしと撫でた。

「シェルトも元気だな。綺麗な毛並みだ。サリサ。シェルトの世話をしてくれてありがとう」

「……シェルトが、私の世話をしてくれたの」

 彼は静かな笑みを浮かべ、サリサの瞳を覗き込んだ。

「シェルトは、沢山散歩をする必要があるから、一緒に散歩をするには、私も食べないとだめだった」

「その通りだ」

「だから、あ、アーサー」

 泣けてしまい、サリサはまたしがみ付いた。

「生きていたのね。夢でなくて、あなたはここにいるのね」

「そうだ。サリサ」

 肩を寄せ、彼はサリサの頬に唇を寄せた。宥めのようで、そして少し熱の入ったそれを受け、サリサは目を閉じた。

 ぱたぱたとシェルトの振る尾の音を聞きながら、二人は視線を合わせる。

「どうしてあなたが死んだなんて、みんな嘘を言ったの」

 聞かれた男は微笑を浮かべた。謝罪と、わずか寂寥を抱いた表情を示したのち、瞼を伏せた。

「嘘ではない。アーサー・レファローヤは亡くなった」

 アーサーだった青年は、サリサの頬の涙を拭う。

「でも」

「サリサ。全てを貴女に話そう。アーサー・レファローヤは私の隠れ蓑だった。私の本当の名はロレンツ」

「……ロレンツ?」

「暗殺されかけ、療養のため雲隠れしていると言われている、この国の皇太子だ」

 サリサはまずぽかんと口を開け、それからまじまじと男の顔を見た。

 プラチナブロンドの髪は、レファローヤだけの特性ではない。何より、このターコイズブルーの目がその証ではないか。王族が持つ最大の特徴のひとつ。独特の、宝石のような美しい光彩は。

「ロレンツ、殿下」

 王の術は圧倒的な再生能力。だから彼は鋭利な刃で背や首を何度も刺されたのに、後遺症もなくこうして過ごせる。

 そして十四年前、ここに滞在していたとき、彼が頭に包帯を巻いていた理由も理解した。

 皇子はあのとき、頭部に酷い外傷を負った。通常のヒトであれば即死だったが、彼が王の術を継いだ第一子である皇太子だった故に、死なずに済んだ。

「あのときは一命を取り留めたが、また命を狙われるとも限らない。最悪命を落としかねなかった。しかし、当時の王政廃止を訴える過激派のリーダーを捕らえるまで隠遁生活を続けるわけにはいかなかった」

 ロレンツも将来、国を背負うために学ばねばならないこともある。

「そのときアーサー・レファローヤが病死した。元々長くは生きられないと言われていたそうだ。だが父王はマルコス・レファローヤ氏、アーサーの父に、アーサーの死を公開せず、私をアーサーとして育ててほしいと依頼した」

 目を見開いたサリサの前で、アーサーはシェルトの首を撫でていた。

「国の存続のためとはいえ、息子の死を公に慎む機会を奪われ、やるせない思いだったろう。私が死ねば【共喰いの竜】の封印が解け、この国はまた荒れることになる。だがそうであっても、あの二人には本当に申し訳ないことをしたと思っている」

 シェルトが、止まってしまったロレンツの手を舐めた。催促にロレンツは苦笑してシェルトへの撫でを再開した。

「私の最初の忠犬となってくれたボーダー・コリーのシェルトも、元はアーサー少年のものだった。初代のシェルトは、アーサーへの忠義を私にも惜しみなく与えてくれた優しい犬だった」

「ずっと、シェルトなんですね」

「ああ。アーサー少年が付けたそうだ」

 病弱だった少年の、唯一の友だったのだろう。その話の一部を先日教えてくれた、サリサの頭に友人の姿が浮かんだ。

「ミランは、ロレンツ様のことを知っているんですか?」

「いや。ミランも、彼女の家族も知らないはずだ。このことは私の両親と、八卿の各当主。アーサーのご両親と、彼らが私によこしてくれた執事のキリウ、上官だったアレック中尉、そして貴女の育てのご両親、ケストリア夫妻の以上だ。私には実の弟と妹がいるが、二人とも私がアーサー・レファローヤとして憲兵隊に所属していたことを知らない」

 そこまで隠されていたのに、では何故、八卿の派生でしかないケストリアが、王家の秘密を知ることとなったのか。

「アーサーとなる前は、私はここで療養することとなった。理由はいくつかある。エリック・ケストリア氏が八卿であるケスト家の縁であり、かつ信頼できる人物であったこと。彼が所有しているこの別荘が、人の少ない田舎でかつ警護のしやすい立地であったこと。そしてあなたがいることで、ケストリア家がしばらくここに滞在する理由が作れたことだ」

「わたし……」

「ああ」

 そんな理由があったのだ。

「私、あのとき、両親が亡くなって塞いでて、それでケストリアの両親がここに連れてきてくれたんです。あのときも、同じ季節で、マロニエがあんなふうに咲いていたんです」

「そうだったんだな」

 そうだ。アーサー、ではなくロレンツは、あのとき顔を包帯で覆われていた。

「この顎の傷も、大けがを負った名残なんですね」

 サリサがロレンツの顔の、顎の傷痕を指で撫でると、ロレンツはするりとそこに唇を寄せた。

「アー、いや、ロレンツ殿下」

「どうした」

「いやあの、……」

 さっきから彼は隙あらばサリサの体にキスをしてくる。嫌なのではないが、どうしても照れてしまう。

「ここの傷」

 サリサは指で彼の顎をつついた。

「そうだ。この傷が残ってしまったこともいい隠れ蓑になった。王家の人間は治癒能力も高い。本来は怪我をしても傷痕が残ることもない」

 ロレンツはサリサの手を取り、指をからめた。

「貴女にも真実を話せなくて申し訳ないことをした」

「そこはまあ、お互い様ですので……あの、ハロルズ教授の審査中の論文については」

「もう知っている。貴女の術式が凍結されたことも。せっかくの研究だったのに済まないことをした」

「そんなことはないです。制御できないままで世に出すわけにはいきません。しかもあれは、陛下や殿下の地位を脅かすものです。自分の研究が軽率なものだとは言いませんが、今のままでは不十分なのです。いつか必ず、人の役に立てるようにしたい」

「その意気だ」

 サリサはロレンツの膝の上で小さく頭を下げた。

「本当のことを言えなくてごめんなさい」

 ロレンツは至極真面目な顔をしてうなずいた。

「貴女やハロルズ教授の危惧も理解できる。……まあしかし、貴女が正式の論文責任者だと最初から言うべきだったろうなとは思う」

「大丈夫だと思ったんです。実際、どなたも疑わなかったので」

 ロレンツは苦笑していた。

「我々の力不足ということか」

「あ、いや、そういうことでは」

 ロレンツは笑いながらサリサを引き寄せ、彼女のこめかみにちょいとキスをした。サリサは照れて固まってしまう。

 ロレンツは顔を離して、サリサの髪を指でつついた。

「三年前、王政廃止過激派が一斉摘発され、彼らの活動がかなり下火になった。私も成人していて、いつアーサーの身分を返上するか、時期を待っていた。貴女には申し訳ないと思ったが、この機会を利用させてもらうことにした」

 ロレンツはサリサの手を持ち上げ、彼女の指に口付ける。

「貴女のお陰で、アーサーの両親とも時間をかけて話をすることができた。二人とも、私に感謝していると、アーサーは騎士として生きることができたと言ってくれたが、……私の罪悪感を和らげるために言ってくれたのではないかと、彼らの言葉を心から信じることができない。これはもう、私は一生背負って生きるしかない。せめて、今後もアーサーの両親にも恥じぬ生き方をすることで返す」

「あのとき」

 アーサーだった彼は、どのような選択をしても納得はできないと言っていた。彼らしい、不器用でも誠実な思いがある。

「そうだ。貴女もご両親と会っていたあの日だ……そうだ。忘れるところだった」

 ロレンツは胸のポケットに手を入れ、チョーカーを取り出した。

「あ、それ、ロレンツ殿下が持って下さっていたんですね」

 サリサが誘拐されてしまったあの日、屋根の上から誰かがこのチョーカーを揺らしていた。あれが誰であって、そしてあのチョーカーがどこへいってしまったか、サリサは探したが誰も知らないと言っていた。

 ロレンツはサリサの首にチョーカーを着けた。首の後ろに彼の指がふれくすぐったい。サリサははにかんで笑ってしまう。

「とても似合う」

 酔ったような目で彼に眺められたあと、頬を取られ、ロレンツの唇がサリサの頬を掠めた。

「で、でんか」

 サリサはロレンツの袖を掴んだ。

「さっきから触りすぎでは」

「触っているのではない。貴女が愛おしいと示しているんだよ。サリサ」

 ロレンツは真っ赤になっているサリサの耳たぶに触れた。

「貴女が先に、私に示してくれた」

 何のことを言っているのか思い至り、サリサは顔を伏せた。

「こどものときのあれは、忘れて下さい……」

「あれだけではない。貴女は二度も、私の唇を奪っただろう」

 サリサは顔を上げた。

「は……に、にど……?」

 ロレンツは珍しく、意地悪い笑みを浮かべた。

「貴女を私の住まいに連れて帰ったあの日、貴女はほぼ気絶するように眠ってしまった。客室の準備をリノンにさせているあいだ、一旦貴女を私の寝室に寝かせていたんだ。準備が終え、貴女を抱き上げようとしたとき、貴女はおそらく半覚醒だったのだろう。泣いていた」

 ロレンツは苦笑し、サリサの髪を指で払った。

「小さくうずくまって泣いていたのが哀れで、私もつい、貴女の頬を抱えて泣くなと言った。そのとき、貴女は私の頬を取って」

「ギャーーーーーーーー!!!!!!」

 サリサが逃げるようとする前に、ロレンツは声を上げ笑いながらサリサを抱き、逃亡を未然に防いだ。

「逃げるな」

「いいいいつもの夢だとおもってたのに!」

「……そうか。貴女は、あれをいつも夢に見ていたのか」

「ッーーーーーああああああ」

 ロレンツは笑いすぎて肩を揺らしていた。それでもサリサを離さず、抱え直して顔を覗き込む。

「サリサ。私にも下らない矜持があってだな」

「ひゃい」

「好きな相手に二度も、先に口づけをされた。そろそろ私も主導権を握りたいのだよ」

「……殿下」

 サリサは眉根を寄せた。

「私のことは、ロレンツと呼びなさい」

 サリサは縋るようにシェルトを目で探した。

「あ」

「シェルトは賢いからな。私の思いを理解してくれる」

 シェルトはとっくにベンチから降り、ロレンツの足下で寝そべっていた。

 ロレンツの思惑通り、シェルトは主人たちの邪魔をしなかった。



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大型犬属性騎士さま以外、おさわりは厳禁です! 前原よし @yoshi_maebara

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