第23話 事件の終幕
ミランがアーサーの訃報を知らせにきてくれた日から二日後、アーサーの葬儀が執り行われた。
しかしサリサは、アーサーの葬儀に出席できなかった。まだ論文の審査確定が済んでおらず、サリサの身に危険が及ぶ恐れがあるため、外出が禁じられていた。サリサの身柄は王宮に移され、生活には支障がないもののほぼ軟禁状態であった。ハロルズ以外、誰とも面会を許されなかった。唯一の慰めは、同伴を許されたアーサーの愛犬、シェルトの存在だった。
シェルトはボーダー・コリーという犬種で、連日、長めの散歩と運動が必要になる。サリサは広い王宮の庭で、警護付きであったがシェルトの運動と散歩に付き合っていた。
フリスは国家機密漏洩と誘拐補助の罪で捕らえられ、すでに留探士の身分は剥奪されている。将来、彼が罪を償い改心し、多大な努力を重ねれば再取得も可能だが、遠く険しい道となるだろう。彼がそれを望むのか、サリサには分からない。
ハロルズは、審査の進捗を伝える
「彼も君と似たような境遇だった」
彼も八卿の派生でありながら、術を使えなかったそうだ。ただし、サリサがケストリア家に縁のない養女であったのに対し、フリスはシシロアの血を引いている。劣等感を拭い去るように、努力を重ね研究院に入ることができたが、彼はそこでも負の感情から抜け出せなかった。
術士でないにも関わらず研究院に属することができたのだと、己を誇ることができなかった。
術士でないゆえに、術士ばかりの集団の中で益々の劣等感を育てていった。
「せめて、一目置かれたいと、私の講座を希望したのだろう」
ハロルズ教授は弟子を取らないという噂があった。フリスはハロルズの講座を熱望した。『誰も弟子を取らない教授に唯一許された弟子』という特別席が欲しかったのだろう。ハロルズはそれを見抜き、最初はフリスの配属を断った。それが余計にフリスの虚栄心を煽ってしまったのだ。最後にはハロルズは根負けし、フリスの配属を許可した。
そして、ハロルズはその後、サリサを自分の講座に配属させた。
『弟子を取らないはずの教授が、是非にと取った、術士でない留探士』という身分は、フリスが一番欲したものだったろう。
そしてさらに、サリサはこれまで誰もなしえなかった高みに昇ろうとしている。
フリスは、サリサの存在が許せなかったのだろうか。
アーサーを切りつけていたときのフリスの目──サリサだけに向けられていた憎悪の目を忘れることができない。
サリサの構築した術式は、制御可能になるまで一旦完全凍結されることになりそうである。術式の存在が外部に漏洩したことが大きい。
ハロルズは、対面で弱いため息をついたサリサに呼びかけた。
「ケストリア留探士、君のせいではない。とはいえ、自分を責めるなと私が言ったところで納得などできないだろう。こういうことは時に縋るしかない。今は考えられないだろうが、いつか、君が再び王立研究院の留探士として、私の後を継いでくれると信じて待つ。君の構築した術式を、制御できるように君自身がすべきだ」
「先生」
「自分を責めるなと、おそらく私が言うまでもなかったはずだ」
ハロルズの言う通りだった。ミランも同じことを言った。そしてアレック中尉も。彼はサリサが自分を責めることを、アーサーは望んでないとも言った。
アレック中尉は、アーサーの両親からのサリサへの伝言も伝えにやってきた。
「ご自身を責めないでください。私の願いであり、レファローヤ少尉の願いであり、そして彼のご両親の願いである。疑ってほしくないのは、アーサーのご両親は、あなたのこと決して恨んでいないことだ。それだけはどうか信じてほしい」
ミラン、アレック、ハロルズ、そしてアーサーのご両親の気持ちは嬉しい。
だがサリサは、まだ自分のことを許せない。
ハロルズが退出したあとも、サリサはじっと座っていた。
「ワン」
足下でシェルトが、サリサの膝を鼻でつついた。それからサリサの手を舐めてくる。散歩の催促なのだということを最近知った。
「お散歩に行こうか」
「ワン」
その三日後、サリサの術式は凍結された。
二度と表に出ないということではない。悪用されないよう制御できるようになれば、少しずつでも世に出すことができる。
それをするのは自分であり、または後生の誰かであるかもしれない。
ただ、今は何も考えたくなかった。
王宮を出たとき、エリックとローザが迎えに来てくれた。彼らはサリサとシェルトを連れ家に戻った。
そして数日後、サリサはリーリスにある両親の別荘にいた。
暑いほどの日差しの中、花が一面に咲いていた。
ここに来たのは十四年ぶりだ。あのときと同じ季節だった。サリサはシェルトと共に庭を歩いた。庭を全て囲うように、白に近い桃色の花が咲いている。
マロニエの花だったのだ。サリサが見上げている前で、花は見事に咲き誇っていた。
エリックとローザは、心の癒しになると言っていた。辛いだけだと思っていたのに、いざここに立つと両親の言っていたことが正しいと気が付いた。
花の盛りを眺めているうちに、夏の繁った葉を背に、東屋で座っていた小さなアーサーの姿が脳裏に蘇った。忘れていた光景がサリサのなかに浮かんでいく。
サリサはあのとき、産みの親の二人を突然に亡くし、寂しくてふさいでいた。見かねた今の両親がサリサをここに連れてきてくれたのだ。
お父さん、お母さんと呼びながらとぼとぼ歩いていたとき、「誰」と掠れた声が聞こえ、サリサは声のする方に向かったのだ。
そこにいた人物は、最初は陰しか見えなかった。外の強い光を背に受け、光と影の対比でサリサの目がまだ慣れていなかった。
相手は手を差し出してきた。サリサはそこまで歩いてその手を握った。
「お父さんとお母さんを探しているの?」
ガサガサに掠れた声だったが、サリサには聞き取れた。
周りに人がいたのかどうか、サリサは覚えていない。だが誰もいないはずはないだろう。何も見えないこどもを一人置き去りにしていたなどあり得ない。当時サリサは誰にも知られていないと思っていたが、今になって、ここにいた全員がサリサの行動を見ないふりしていてくれたことに思い至った。
アーサーはどうして、あのとき、顔を怪我していたのだろう。
今更も甚だしい疑問である。もう答は分からない。だが知っても仕方がない。
そこから、短い時間だけだったが、王都で彼と一緒に過ごした記憶が蘇った。
いつも守ってくれていた。躓かないように注意を払ってくれ、怖がっているサリサに犬の話をしてくれた。
小さなときも、大きくなっても、悲しんでいるサリサを慰めようと、楽しませようとしてくれた。
サリサの髪を払う、手が動かされる向こうで、アーサーはサリサを見つめていた。微笑を浮かべ、とても愛おしい存在が目の前にいるのだと言いたげな目で。ターコイズブルーの海に、砂金を浮かべたような瞳だった。
髪を払われるのが大好きだった。
彼が望むのなら、一生、そうしてもらいたかった。
花の輪郭が歪む。涙が零れた。
「アーサー」
ようやく泣けた。泣いてしまいたかったのに、どうしても泣けなかった。泣く手順を忘れたように、サリサの心は渇ききっていた。
あのときも、アーサーは泣いてもいいよと言ってくれた。私も泣きたいけれど、今は泣けないのだよと言っていた。だから君が代わりに泣いてくれと。
サリサは、産みの両親が存命だったころ、二人によく言われていたのだ。ご主人様にご迷惑をかけてはいけませんと。エリックとローザはサリサの両親、セシルとケイトの縁結びをしたこともあり、二人と、二人のこどもであるサリサに対しても主従以上の愛情を注いでくれていた。それでよけいに、産みの両親は弁えねばならないと考えていたのだろう。
セシルとケイトが亡くなったあと、サリサは泣いてはいけないのだと思い込んでいた。エリックとローザに迷惑がかかってしまうと。
そうしているうちに泣くきっかけを失い、塞いで過ごしていた。
そして、アーサーが呪縛を解いてくれた。
お父さん、お母さんとわんわん泣くサリサの頭を撫でたかったのか、アーサーは手を挙げ
あの手はもうないけれど、それでもあなたは私を解放してくれる。
ぱたぱたと涙が落ちたとき、風が吹いた。
シェルトの耳がぴんと立った。鼻を忙しく動かす。
「ワン!」
シェルトは風上の方へ突然走り出した。
「シェルト……?」
サリサは、泣き顔のままであったが、急なことに涙がひっこみ慌ててシェルトの後を追った。
シェルトは垣根の下を器用に通り、向こう側に行ってしまった。サリサはさすがにその小さな穴を通れない。走って垣根を回り込み、中庭の入り口を目指した。長いスカートが邪魔だ。手で裾を上げたとき、声が聞こえた。
忠犬を呼ぶ声だ。
「シェルト!」
まさかそんな、
サリサは目を見開いた。
大好きな声がする。そんなはずがない。サリサは全身を緊張させながら入り口を通り、角を曲がったところでつまずいた。
転ぶ前に逞しい体にぶつかった。
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