最初の恋 最後の恋
小林左右也
第1話
「先生好きです! 付き合ってください!」
「だから、無理だって」
とうとう八回目を迎えた精一杯の告白を、手嶋先生はすげない返事で撥ね退ける。
「まったく、懲りないなーお前も」
わたしの渾身の告白をすっかり聞き慣れてしまった先生は、動じるどころか呆れ返ったように溜息を吐く。
入学して以来、学期の終わりに一度ずつ告白をし続け、今は八回目――冬休みを明日から迎えようという終業式の日であった。友人たちに「また行くの?」「懲りないね」「頑張れ」と言われながら、いそいそと音楽準備室へと足を運んで今に至る。
……やっぱりダメかぁ。
勉強を頑張ったり、身だしなみにも気を付けたり、部活にも力を入れたりと、自分なりに自分自身を磨いてきたつもりだ。そりゃ、先生から見れば八歳も年下の女子高生なんて恋愛対象外なのだろう。本当はそんなことくらいわかっている。
でも、万が一という可能性があるかもしれない。そう思って、すでに八回目の告白を終えたものの……。
「だって、仕方がないじゃないですか」
万が一の可能性は無いのだろう。わかってはいるけれど、日を追うごとに先生に惹かれてしまう自分がいる。こうしてぼんやりしているうちに、彼女ができてしまったらどうしよう。結婚するなんて話が出てきたらどうしようと、不安で堪らなくなる。
「今のうちに唾付けておかないと、どこかの鳶に掻っ攫われちゃうかもしれないし」
わたしなりに必死なつもりだったけれど、先生には笑い話にしか聞こえなかったようだ。ぶっと吹き出して、数秒お腹を抱えて笑いだした。
「唾つけるとか、鳶とか。お前おばあちゃんみたいな発言だな」
薄っすら浮かんだ涙を拭いながら、先生は意地悪なことを言う。
「女の子相手におばあちゃんとは失礼ですよ」
ふて腐れて睨み付けると、くしゃりと人懐っこい笑みを浮かべる。
「ああ、悪かった」
うわ。先生の笑顔を目にした途端、心臓が跳ね上がる。
普段もけして愛想は悪くない先生は当然普段も笑ったりもしているが、普段は見られない男の子みたいな笑い方はそう滅多に見られない。
「あ、すまん。怒ったか?」
怒ってなどいない。ただ緩みそうな顔を必死に引き締めようとしているだけ。無言で首をぶんと振ると、大きく一礼する。
「わたし、帰ります」
ダメだ。やっぱり渡せそうにない。バッグに入った先生へのクリスマスプレゼントは、結局渡すタイミングを逃しまった。ついさっき告白を断られたばかりだというのに、プレゼントまで突き返されたら立ち折れなくなってしそうだ。
「よいお年を」
先生と会えるのは今年で最後なんだ。ただ「さようなら」だけでは物足りなくて、お母さんがよく言う言葉を口にする。先生はきょとんとした表情になると、今度は控え目に笑いを吹き出した。
「よいお年を。お前も受験勉強、頑張れよ」
高校一年の春、私は音楽教師である手嶋先生に恋をした。
わたしは普通科の学生で、選択授業も書道を選んだので、音楽の授業とはまったく無縁である。
始まったばかりの高校生活は戸惑うことばかりだった。まずは友達。小学校、中学校では必ず知った顔が存在していた。なのに、高校には誰一人知っている人がいない。それは仕方がないことだとわかっていたから、新しいクラスメイトと早く馴染もうと頑張っていた。
幸いクラスに溶け込めるのに苦労はなかったし、心配するような意地悪な人もいない。男の子たちも中学まで感じていた「乱暴者」の雰囲気はなく、女の子を呼び捨てにするでもなく、ちょっとだけ親切だった。
新しい生活にようやく慣れた頃。それは放課後、担任に資料の片付けを頼まれ、音楽室の前に差し掛かった時だった。
なに……?
音がする。綺麗な音。思わず足を止めた。
誰が弾いているのだろう。音楽のことはよくわからないから、今聴こえる曲が何なのかもわからない。どこか寂し気で、だけど神々しさすら感じる旋律を奏でるピアノの音は、丁寧で繊細なくせに力強くて。
ピアノを弾いている人は、どんな人だろう?
好奇心が疼いて、こっそりと覗いてみた。予想では髪が長くて綺麗で華奢な女の子。でも予想は大きく外れしまった。
繊細な音を紡ぎ出す手は、大きくてごつごつの手。華奢どころか、背が高くてがっしりとした体格の男の人だった。
音楽の手嶋先生。始業式で見た時はてっきり体育の先生だと思っていたから、後から音楽の先生と聞いて意外だった。だから余計に覚えていた。
その時は「物珍しいものを見た」くらいの感想しかなくて。でも、ちょっとだけ手嶋先生を「カッコいいかも」と思ったのも事実だった。
音楽室の校庭に面した大きな窓から、オレンジ色の西日が差し込んでいた。西日を浴びて一心にピアノを奏でる先生の姿は、普段よりも三割増しでカッコよく見えた。始業式の時に見掛けた、少し猫背気味のもっさりとした立ち姿が記憶に残っていたものだから、余計にカッコよく感じたのだろう。
それからというもの、校内で手嶋先生をちょいちょい見掛けるようになった。ううん、いつの間にか先生の姿を目で追うようになっていたのだと思う。
購買の焼きそばパンを、男子生徒と取り合いする姿とか。うっかり職員室で煙草を吸おうとして、教頭先生に怒られている姿とか。校庭で体育の時、音楽室を盗み見ると、結構真面目な顔で授業をしている姿とか。
本当はもっと色々あるけれど、上げたら数え切れないほどだ。最初はがっかりするようなカッコ悪い姿もあったりするけれど、先生を知れば知るほど、そういうカッコ悪いところも可愛く思えるようになっていたから不思議なものだ。
気づいたら、いつの間にか好きになっていた。でも、どうやったら好きになって貰えるのかな?
いくら気持ちを伝えても、足しげく音楽準備室に通っても、勉強を頑張って成績を上げても、お洒落をいくら頑張っても、先生はわたしを見てはくれない。
生徒だから? それが一番大きな要因だとは思うけれど、こればっかりはどうにもならない。二十六歳の先生からしたら、高校生なんてまるで子供で恋愛対象なんかには入らないのだろう。
卒業して、大学生になったら? 卒業してしまったら、私たちの接点は無くなってしまう。
相手にされないのをわかっていて、告白をするのは……結構辛かったりするのだから。
「無理、かあ」
ため息交じりに呟いた言葉が、凍てついた空気の中で白く染まる。
わたし……全然相手にされてないじゃない。
平気な顔で音楽室を出たけれど、全然平気じゃない。毎回「無理」と言われるたびに思う。どうして無理なの? どうしたら無理じゃなくなるの?
滲んでくる涙を堪えながら、廊下を速足で歩く。誰もいない廊下に、わたしの足音だけが響く。バッグに入ったささやかなクリスマスプレゼントも、結局渡せないままだ。
先生に贈ろうと思って買ったのは、小さなオルゴール。色々聞き比べて、いいなと思う曲を選んだ。気に入ってくれるといいなと思いながら買ったけれど、音楽に疎い自分が選んだ曲を気に入って貰えるか不安だった。
やっぱり、先生に渡したいな。
大の大人がオルゴールなんて、喜んでくれるかなんてわからない。もしかしたら迷惑かもしれない。でも。
バッグの中の小さなプレゼントを握りしめて、教職員用玄関口へと急いで踵を返した。
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