6-5

〈クソ……従者に邪魔されなければ、あの聖女を縊り殺せたと言うのに……!〉

 なんとか結界の外に脱出した魔獣は、狐に似た細長い身体を引きずって、恨み言を呟いた。

 少しでも結界の気に晒されたからか、それとも聖女にドゥルジとの繋がりを無理やり断ち切られたからか、消耗が激しく、身体を思うように動かすことが出来ない。

〈次はもっとうまくやる……次はあの女の顔を歪ませて、死ぬよりもつらい目に遭わせてやるんだ……!〉

 引きつった笑みを浮かべて、ぶつぶつと呟いていると、近くから足音が聞こえてきて、魔獣はびくりと身体を振るわせると、振り向いた。

「簡単に繋がりが切れたから、そうかと思ったけど、やはり低級ね。でも、言葉をしゃべれるのは驚きだわ」

〈せ、聖女……!〉

 魔獣の背後には厳しい顔をしたアナが立っていて、その後ろには、冷徹な眼差しを向けるニィナが居た。

〈どうしてここが……!〉

「魔獣は瘴気によって作られているから、微かに残滓が残る。それを追ってきたまでよ」

 そういって、アナは手を伸ばした。

〈や、やめ……!〉

 魔獣は、怯えながら首を振り、なんとか身体を引きずって逃げようとしたが、それよりも先に、アナが浄化の呪文を唱えた。

〈グギャアアアッ‼〉

 魔獣の身体に風が纏わりついていくと、やがて、弾けるようにして消え失せた。

「戻りましょう。村長の容態が心配だわ」

「……アナ様。このような低級では、結界越しな上、お守りを付けている人間を、自身の意思に関係なく身体を操るなんて出来ませんよね」

「そうね。意思を利用するのがせいぜいだと思うわ」

「ということは、村長は元々、アナ様に敵意があったことになります。このこと、聖導院にどう報告するんですか?」

「……それはまたあとで話しましょう。ひとまず様子を見に行かないと」

 質問に答えなかったアナは、そそくさと聖堂に戻っていった。


 執務室に戻ると、村人たちは気絶しているドゥルジを横向きで寝かせて、様子を見守っていた。

「あっ、聖女さま! お戻りになられましたか!」

「只今戻りました。村長の様子はどうですか?」

「いや、まだ気絶していて……あっ、目を覚ましました!」

 村人が声を上げるので、アナが目を向けると、ドゥルジは瞬きをしていて、強張った表情で首を持ち上げた。

「……お、俺は……せ、聖女さま……」

 恐る恐るアナの方に目をやり、身体がぶるぶると震えている。どうやら自分がやった事は覚えているようで、母親にきつく叱られた子供のように、ひどく怯えていた。

「聖女さま、一体何が……?」

 ドゥルジの尋常でない様子に、村人はますます不可解な表情を浮かべて、アナを見た。

 アナは、ドゥルジの目をじっと見つめると、彼の元に跪いて、優しく微笑んだ。

「実は、先ほど聖堂内に魔獣が忍び込んでいて、私が襲われそうになった所を、ドゥルジ村長が助けてくださったんです」

「え……⁉」

「は……⁉」

「なんと!」

 アナの口から出たのは完全にでまかせで、ドゥルジとニィナは驚愕の表情を浮かべる。

 真実を知らない村人たちも驚いていたが、聖女の言葉を疑いもせずに、尊敬の眼差しでドゥルジを見た。

「村長、そうなんですか! その身を盾にして、聖女さまを守ったのですか!」

「い……いや、俺は……」

「村長は、私を助けた時に頭を打って気絶してしまったので、記憶があいまいなのも無理ないでしょう。村長、助けて下さって本当にありがとうございます」

 言いたげなドゥルジの言葉を遮ると、話を合わせて、と言いたげにじっと見つめながら、アナは村人たちに言った。

「村長を少し休ませたいので、皆さんはお帰りください。お騒がせしてしまい、申し訳ありません」

「わかりました。村長、お手柄でしたな!」

 そういって村人を執務室から帰すと、その場に残った三人は、三者三様の表情を浮かべた。

「……申し訳ありません、聖女さま! 俺は……俺は、なんという事を……本当に、申し訳ありません!」

 ドゥルジは泣きそうな顔を伏せ、震える声で謝りながら、深々と頭を下げた。

 ニィナは不満げな顔をしていたが、微笑んでいるアナを見て、何も言わずに事態を見守っていた。

「顔を上げてください。あなたが私に負の感情を抱いているのは、十分わかりました」

「そ、それは……!」

「いいのです、取り繕う必要はありません。それに、私も、聖女としての責務を全うしなければと考えるあまり、村を乗っ取られてしまうのではないかと、不必要な不安を抱かせてしまったことは、反省しなければなりません」

「何を言うのです! これは、全部俺がみみっちい嫉妬をしただけで……!」

「そうですよ。未遂とはいえ、聖女さまを襲おうとした罪は、きちんと償わせないと」

 ニィナが横槍を入れると、アナは首を横に振った。

「それは駄目よ。この村には、ドゥルジ村長が必要だもの。彼は一度道を違えただけ。それを正しき道へと導くのが、聖女の責務だもの」

「え……」

 聖導院に引き渡されてしまうと覚悟していたドゥルジは、アナの言葉に面食らった。アナは微笑むと、諭すように言った。

「あなたは、嫉妬で身を焦がしたのかもしれませんが、私もまだまだ未熟者で、間違いを犯したことは何度もありますし、迷うことだって沢山あります。村に来たばかりの頃、あなたたちとどう馴染んだらよいか分からずに苦しんで、泣いて夜を過ごすような、情けない聖女なんですから。

 そんな未熟者の私には、あなたのような経験豊富な方が傍に居てもらわないと、とても困るのです。ですから、一度何もかも無かったことにして、新しく、この村の聖女と村長として、二人で協力してこの村を支えていきませんか?」

 手を差し伸べると、ドゥルジは困惑したように、アナの顔と手を交互に見た。

「聖導院に報告する準備なんていつでもできますから、アナ様の気が変わらない内に返事をした方が得策ですよ」

「ニィナ! なんてことを言うの!」

「私は事実を述べたまでです。アナ様が甘すぎなんですよ」

「そ、それはそうかもしれないけど。だって、これから何年と付き合っていくんだもの。それだったら、長年この村を見て来た人と共に支えていきたいし、それに、聖導院は許しを請う人に、いつだって耳を傾けるのよ」

「……全く。私はちゃんと見ていますよ、村長」

 ニィナに厳しい眼差しを向ける。ドゥルジは、全てを許したアナの顔をじっと見つめると、情けない表情を浮かべて、そっと手を握った。

「……ありがとうございます」

 声にならない声で言うと、ドゥルジはようやく、アナにはどうやったって敵わないのだと分かり、深く頭を下げた。

  

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田舎聖女物語 遠野めぐる @tonomeguru

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