6-4


「ニィナ、やっぱりあなたも着いてくるの?」

 日曜の早朝、礼拝室で集会の準備をしているアナが、背後に立つニィナに問いかけた。

「ええ、日曜の集会に顔を出したことが無かったので、見てみたくて」

「まあ、別にいいけれど。それじゃあ、最後にウェインのお菓子を配るのを手伝ってちょうだいね」

「勿論、それくらいお安い御用ですよ」

 にこやかに承ると、アナは不思議がりながらも了承して、準備に戻った。

 アナが正面に向き直ると、ニィナは笑みを消して、胸中で呟いた。

(まあ、考え過ぎなのかもしれないけど、一応ね)

 聖堂が開かれる時間になると、村人が続々とやってきて、その中には、村長のドゥルジと妻子も居た。

 礼拝室の壁際に立っていたニィナは、ドゥルジの顔を見るなり、強烈な違和感を覚えた。

(あれ、前はアナ様に対する強い敵意を感じたんだけど、今はすっかり毒気が抜けているような……?)

 不思議そうに首を傾げて、ドゥルジの表情をじっと観察した。

 あの時のドゥルジに見た、剥き出しの怒りと憎しみを気のせいだとは決して思えなかったが、今日の穏やかな笑みを見てしまうと、自身の確信が揺らぐような気がした。

(やっぱりあれはただの気のせいだって言うの? でも、それにしては、笑顔が綺麗すぎるような……まるで、他人に無害だと思わせたいような、わざとらしさを感じるのも、気のせいなの?)

 証拠が自身の勘のみで、それにすら絶対の自信が持てないのなら、アナに報告してもきっと聞き入れられないだろう。

 確証が得られない以上、静かにアナを見守ることしか出来ないのには、歯痒さがあった。

(勿論、考え過ぎで終わるのが一番だけどね)

 続々と礼拝室の席に着く村人の中、笑みを浮かべながら家族と談笑するドゥルジに目をやる。

 先程見た時は、とても穏やかに見えたが、今度は妙に口角が上がった不自然な笑顔に見えて、それにうすら寒い違和感を覚えながら、ニィナは監視を続けた。

 

 ドゥルジは、ずっと夢を見ているような気分だった。

 自分の目で見て、自分で家族と話して、自分の手足を動かしているはずなのに、まるで魂の置き場を間違えたように、他人事として世界を見ていた。

(……あれ、俺は何をしていたんだっけ。──ああそうだ、集会に来たんだ。毎週日曜は妻と娘と一緒に集会に来て、聖呪を唱えて、これからありがたいお話を聞くんだ……)

 ふと顔を上げると、いつの間にか聖呪は唱え終わっていたようで、目の前の講壇に聖女が立ち、民に話をしていた。

 アナの有り難い話を聞いていると、ドゥルジは自然と笑顔を浮かべた。

(ああ、この方のお話を聞いていると、心が洗われるようだ。真面目な聖女に来てもらえて、本当に良かった。村人たちもきっと安心しているだろう。……そう、最初はそう思っていた)

 胸中で呟いて、ドゥルジはハッと我に返った。

(……何が〝最初は〟なんだ? 今でもそう思っているだろう?)

 自分が何故そう思ったのか理解できず、ドゥルジは首を傾げた。

 程なくするとアナの話も終わり、村人達は、最後に配られるお菓子を片手に、ぞろぞろと聖堂を後にしていった。

「お父さん、早く帰ろう?」

 席に座ったままのドゥルジに、娘のハンナが声を掛けた。アナと年頃の似た娘は利発な子で、自分の自慢の娘であった。

 ドゥルジは娘の方を見ると、霧がかった頭の中でぼんやりと考えた。

(ああ、そうだ。早く帰らないと。集会が終わったら、ソフィアの買い物に付き合う約束だったんだ)

 朝、妻に言われたことを思い出して、ドゥルジは立ち上がると、口を開いた。

「お父さん、ちょっと聖女さまとお話があるから、先に帰っていなさい」

 口から出たのは、思っていたのと全く違う言葉で、ドゥルジは脳内で困惑する。だが、表情はそのまま、笑顔を作っていた。

(……なんだ、今俺が言おうとしたのは、そんな事じゃないぞ。どうなっている?)

「あ、そうなの? じゃあお母さんに言っておくね」

「ああ、頼んだ」

 それからも、ドゥルジの口は意思と反する言葉を言い続け、娘と別れると、入口で村人を見送っているアナの元へと、身体が向かっていった。

「聖女さま、少し、お時間いただいてもよろしいですか?」

「ドゥルジ村長。勿論構いませんよ」

 アナは、ドゥルジを何の疑う事も無く、頷いた。

(俺は一体何をしているんだ。確か……いや……そうだ、俺は聖女さまに用があって、それで……)

 何か胸に引っ掛かり、それが何なのかずっと考えていたが、考えれば考えるほど、自分の言動に対する疑問が薄らいでいき、何の迷いも無く、にこやかな笑みをアナに向けた。

「少し長くなってしまうので、どこか別の場所でお話してもいいですか?」

「ああ、そうですね。では、応接間に向かいましょうか」

 そういって、隣でお菓子を配っていたニィナに声を掛けると、廊下に出る扉を開けて、執務室に向かった。

「そういえば、聖堂内でお話するのは初めてかもしれませんね。村長が良ければ、ご用件以外にも、色々とお話をお聞きしたいです」

 アナは、ドゥルジに背を向けたまま執務室の扉を開けると、中に入った。

 執務室に立つアナの背中が目に入った瞬間、ドゥルジは何かから解き放たれたような解放感が、全身に走った。

(なんだ、これは……ああ、喉が渇く。胸が熱くて堪らない……!)

 今まで感じたことの無い渇きと、アナへの強い憎悪が噴き出していき、胸を掻き回す。今まで抑えられていた感情が、堰を切ったかのように溢れ出し、心臓がバクバクと高鳴った。

〈ほうら、ドゥルジ。お前の大嫌いな聖女が、無防備に背中を向けているぞ。今すぐにでも首を捻ってしまえ!〉

 耳元で、魔獣が甘美な言葉を囁いた。瞬間、全身に血が滾るような感覚を覚えて、気づけば、アナの白く細い首に、手を伸ばしていた。

「……お前さえ居なければ」

「え?」

 低い声で呟くと、アナは振り向いた。その時に見た、ドゥルジの目は血走り、怒りに顔を赤らめて息を荒げていて、そのあまりの異様さで、アナは表情を消して息を呑んだ。

「お前さえ居なければ、俺の地位を奪われることは無かったんだッ‼」

「きゃあっ!」

 耳をつんざくような怒鳴り声と共に、ドゥルジは、アナの首を掴みながら押し倒した。

 アナは思い切り尻もちを突いて、その時ドゥルジも一緒に体勢を崩し、首を掴んでいた手が一度外れたが、再度首を掴もうと、ドゥルジは腕を伸ばした。

「お前さえっ、お前さえ居なければ……ぐあっ!」

 興奮しながらそう繰り返して、あと少しで首に手がかかるという所で、ドゥルジは頭に強い衝撃を受け、横に転げた。

「ふー、間一髪!」

「ニィナ!」

 助けに来たのはニィナで、アナに襲い掛かろうとしていたドゥルジの頭を、薙ぎ払うように蹴飛ばしたらしく、持ち上げていた脚をゆっくりと下ろすと、スカートを手で直した。

「何か怪しいと思って、見に来て正解でしたよ。こいつ、やっぱりアナ様に危害を加えようとしていたんじゃないですか」

「う……うぅ……せ、いじょ……め……」

「ありゃ、気絶してないのか。加減はしていないはずだけど、ていうかまだ近づいてくるの? 執念深すぎでしょ」

 転がされたドゥルジは、尚もアナに近づこうと這いずっていて、ニィナは呆れた様子で間に入った。

「……ちょっと待って、何かおかしいわ」

 突然の事に呆けていたが、アナは何かに気づいて、ゆっくりとドゥルジに近づいた。

「あっ、ちょっと! 近づいたら危ないですよ!」

「ニィナ、村長の事を押さえていて。多分、彼は魔獣に取り憑かれているわ」

「えっ?」

 驚いてニィナが振り返ると、ドゥルジもびくりと肩を揺らした。

「早く押さえて! 魔獣が繋がりを断ち切ってしまう前に!」

「わ、分かりました!」

 ニィナは言われるがままに後ろから抑え込むと、ドゥルジは一変して焦った顔になり、ばたばたと身体を動かして、激しく抵抗した。

「やめろ、近づくなっ!」

 アナはドゥルジに近づくと、両手で顔を押さえて、額を合わせて目を瞑った。

「……暗闇に浸る夢に終わりが訪れ、光に瞼を震わせんことを。目覚めなさい、始祖の愛しき我が仔よ」

 静かに唱えると、ドゥルジは途端に抵抗を止めて、だらんと身体を弛緩させた。

 落ち着いたのを確認すると、アナは首に提げていたお守りを外して、手首に提げると、ドゥルジの首の後ろに手を伸ばして、何かを断ち切るようにして、素早く手を下ろした。

〈ギャアッ!〉

 その瞬間、どこからともなく獣のような声が聞こえて、ドゥルジの首から細長い影が飛び出すと、執務室の窓が一人でに開いて、外に逃げて行ってしまった。

「これで、魔獣との縁は切れたはずだから、大丈夫なはずよ。ニィナ、もう押さえておかなくていいわ」

「分かりました。いやぁ、物凄い力だった……」

 くたびれた様子のニィナは溜息を吐くと、気絶しているドゥルジを、ゆっくりと床に寝かせた。

「今の声は何事ですか!」

 扉が勢いよく開かれ、血相を抱えた村人たちが、何事かと執務室に雪崩れ込んでくる。床に倒れているドゥルジと、その場に座り込むアナとニィナを見て、村人は更に驚いていた。

 アナは立ち上がると、あくまで平静を装い、村人たちに言った。

「すみません、今から魔獣を退治しに行くので、村長を見ていてくれますか?」

「は、はい……村長、どうしちまったんだ?」

 何故ここで村長が倒れているか分からない様子で、首を傾げている村人を他所に、アナはニィナに目配せをすると、聖堂を離れて近くの森に向かった。

  

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