回顧録 紫焔


 空洞になった眼窩の激痛に、顔を歪めた。

 残った視界で、目の前に立つ男を見た。

 それは刹那のできごとで。理解するのも一瞬で。

 彼は、特に表情はなくて。それでも何処か物憂げに。

 えぐりとったそれを、指先でもてあそぶ。

 蜘蛛の糸のように指先に絡みつく、赤。

 視線を、俺に移して……薄く、微笑んでから。

 それを握り潰した――


 ◇


 最初は、たぶん尊敬だった。

 たいてい自分より上の能力を見ると。

 いくつかの反応がある。

 敬うか、努力をするか、妬むか。

 はじめは、尊敬だったと思う。

 技術的には同じ程度なのに。

 彼が作る人形は、すばらしかったから。

 生き生きとしていて、まるで人間のよう。

 素材が悪くとも、できあがるものは一級品。

 それとは正反対に。

 俺が作るものは、ただのヒトガタでしかなく。

 まったく同一の手法を用いても、それは同じで。

 その度に、羨ましいような……悔しいような。

 そんな感情が、くすぶった。


 きっかけは、体の弱い幼馴染から。

 面白い人がいるのよ、と耳にしたことだった。

 同じ道を志し、同じ学び舎に通っていた。

 出席したり欠席したりを繰り返していた彼女が。

 いつの間にやら知り合っていたのだった。

 とても綺麗な人形を作るのよ、と瞳を輝かせていた姿を、未だ鮮明に覚えている。

 彼女が差し出した、一枚の人形の写真は本当によくできていて。

 始まりは、綺麗な感情だったのに。


 やがて彼女は、通学が難しくなり退学してしまった。

 それでもなお、あいつとやりとりを続けていたようで。

 たまに様子を見に行くと、楽しそうに色んな話をしてきた。

 それは臥せりがちで、みるみる弱っていくさなかでも変わらなかった。

 もう、残りの時間は少なくなったのだろう。

 会いにいっても、ドア越しの会話だけの日がいくつか過ぎて。

 あっけなく彼女は、この世を去ってしまった。

 最後に思い出せるのは、しあわせなのよ、と微笑む赤い姿。

 やせ細り、咳をして、苦しそうな呼吸でもなお変わらない瞳の輝き。


 喪失感に苛まれながらも、学校の課題に取り組んでいたときだった。

 彼はあるとき、学校の課題で人形を作っていた。

 完成したならば、俺が知る限りの、彼の。

 最高傑作になるであろう、一体。

 あぁ、出来がよいだけならば構わなかったのに。

 その赤い瞳も、赤色の髪も、赤色の歯車も彼女の色を写し取ったようで。

 課題に使われる歯車は、色無しのハズだ。

 有色の歯車の塗料は、人体の一部が使われているから。

 未熟な学生のあいだは、使用することは許可されていない。

 だというのに、あの赤色は――いったい何処から持ち出した?

 一瞬で、激情の炎が燃え上がった。

 彼がいつも使っている、作業部屋へと突き進む。

 荒々しく扉を開け放っても、彼は 茫洋とした表情のまま。

 室内の工具を引っ掴んで、完成間近の人形へと振り下ろした。

 頭部を砕いて。腕を壊して。

 胸部の歯車も破壊しようと狙いを定めたけれど。

 手元がぶれて 歯車は砕けずに飛び出して、外へと転がっただけで。

 床に転がる赤い硝子球にぶつかっただけ。傷ひとつない。

 感情が収まらなくて。

 工具を投げ捨てて、さきほどから静かにこちらを見つめる彼の胸ぐらを掴んで。

「……あの歯車は、どうやって調達した!? 答えろ!」

 有色の歯車なんて、誰からでも作れるじゃないか。

「この間までは、別の外見だったろう、何故作り変えた!」

 気が変わったんだよ。それじゃダメかい?

 雲を掴むように、言葉が通り抜けていく。

 蒼色の瞳はこちらを向いているというのに、手応えがない。

 ばしり、と掴む手がはたき落とされた。

「何をそんなに怒っているんだい。姿が、似ているだけだろう?」

 唇が、わなわなと震える。

 似ているなんてものじゃない、まるで生き写しの人形だ。

「僕はね。もう一度、彼女にチャンスをあげたいんだ」

 今度こそ、ちゃんとしあわせになって欲しいんだよと彼は言った。

 その願いは、とうに叶っているというのに。そう、彼女は言っていたのに。

「お前の方が理解しているだろう!? 何故踏みにじる!」

 大事なものを、横からかっさらっていった癖に。

「僕は認めないよ、あんな結末。元気だったなら、もっと長生きできたろう?」

 だからほら、こうしてこしらえたんじゃないか。頑丈な身体を。

「似せた所で、こんなモノは彼女じゃない!」

 失われたものは、どんなに切望しても戻ってはこないというのに。

「一欠片でも混ざっていれば、それは継続していることにはならないかな」

 本物にはなれなくても、彼女の代わりくらいにはなるだろう?

 うっすらと微笑みながら、言葉だけが漂う。

 色味を似せるのも大変だったんだよ。写真と見比べてさ。

 今までの人生で、一番上手に作れたんだよ、もう少し。

「彼女は――あと少しで生まれてこれたのに」

 額に大げさに手を当てて、彼は嘆いた。

「僕は、何もしてあげられなかった。できなかった!

 癒やすことも、守ることも。ただ失われるのを見ていただけだ――」


『だから、もう一度、やり直させてくれないか』


 硝子球には、ひびが入って使えないから。

「それ相応のもの、くれるよね?」

 ぽつりとした言葉が床に転がるよりも速く。

 彼はそういって……俺の片目をえぐった。

 与えられた激痛に、顔を歪めた。

 残った視界で、目の前に立つ男を見た。

 それは刹那のできごとで。理解するのも一瞬で。

 無表情に限りなく近く。それでも何処か物憂げに。

 えぐりとったそれを、指先でもてあそぶ。

 蜘蛛の糸のように指先に絡みつく、赤。

 こんなときなのに、それを美しいと思った。

 つまらなさそうに、こちらを見てから。

 見せ付けるように薄く、微笑んでから。

「でも、これじゃあ使い物にならないね」

 謡うように囁いてから。

 それを握り潰した――

 その音は、今でも残響のように時折響く。

 騒ぎを聞きつけた教官に、取り押さえられた。

 遠ざかっていく意識の片隅に、蒼色が焼き付いた。


 彼女の墓が荒らされていたと知ったのは。

 あいつが退学してから随分と経ってからだった。


 この感情は、執着は、言い表せない。

 蛇のようにとぐろを巻き、焔のように揺らめく。

 ほんの、ほんの刹那でも思ってしまったのだ。

 彼が作るヒトガタならば、そんな未来もありえるかもしれないと――

 それが大切だった人の尊厳を、踏み荒らすものであるとわかっていても。

 機械人形に、泡沫の夢を見た。


 ならば。

 ならば俺は、完璧なヒトガタを作らなければならない。

 人のように振る舞うけれども、決してその一線を超えることはできないものを。

 やり直しなどきかない、ただ一度きりの舞台で踊る人形を。

 技術が足りない。知識が足りない。材料も、色無しでは役に立たない。


 先の一件で、彼は学校をでていった。自主退学だったが、ほぼ強制的なもの。

 見失ってしまっては、次はいつ会えるものか。その一心で、俺は学校を退学した。

 数人の講師には、惜しまれもしたが。

 それらの賛辞などはなんの意味もない。

 必要な技術はどこからでも身に着けられる。

 材料が足りないのならば、拾い集めればいい。

 各地を旅しながら、人形を作り続けた。

 そうしているうちに、やがて戦争は始まり……

 ますます仕事は増えて、人形は飛ぶように売れていった。

 使い捨ての、俺が作るヒトガタ。

 それは駒として最適だったのだろう。

 自然と増えた、有り余る資金で、素材を集めた。

 質のよい物、悪いもの。さまざまなマテリアル。

 それでもできる人形は、いつもどおりで。

 終戦後も、争いの跡地へいき、歯車を集めた。

 意思のある人形が多く争ったのだろう。

 材料集めとしては、最適だった。


 転々とし続けていると。風の噂を耳にした。

 それをきっかけに、彼のアトリエを知ることができた。

 腕のいい、人形師がいるらしいという……噂。

 戦争には加担していなさそうだが。

 腕がいいと、勝手に流れるものなのだろうか。

 さっそく、俺はそこに向かってみたものの。

 作りかけの人形があるばかりで。彼には会えず。

 その際に、ひとつ歯車を失敬したが。

 知っているのか、知らないのか。どうでもいいのか。

 今となっては、知るすべはない。

 繰り返し、何度か通ってようやく。運よく、彼を見つけた。

 接触はしていない。覗き見ていただけだ。

 彼は、気づいていたのか、ほおっておいたのか。

 どちらでも気にしなさそうだが……

 ストーカーじみた自分に反吐が出る。


 彼は、作りかけの人形を、完成させていった。

 俺はそれをずっと見ていた。

 いつか、俺が壊した人形に、それは似ていた。

 ただその機械人形は……彼らしいとは、思えなかった。

 たとえるなら、俺が作る人形。

 型にはまりきった、ただの人形。その時は、そう見えた。

 今では、彼らしい唯一の人形だと理解した。

 彼はようやっと、作り終えたかと思うと。

 何処かへいってしまった。

 手を尽くしては見たものの、居場所は知れず。


 その後俺は、一体の機械人形を作った。

 今までのものに比べれば。

 人間には近かった。

 彼のには、遠く及ばずながらも。

 それには名前を与えた。

 どうでもいい話だが。

 アリスという名前の、ラテン語形からとったもので。

 深い意味はないのだが。

 目覚めてから、舞台という名の穴に落ちていけばいい。

 結末は知れない。案内役などいない。

 ただ決められた枠の中で、踊ればいい。

 そうして作った人形を連れて、旅を続ける。

 何年か、繰り返した頃。

 たまたま寄ったフェルシオンの街で。

 いつかの機械人形を見かけて。

 こっそりと後を追い、彼を見つけた。

 そのときの、感情はなんだろうか。動悸にも似た、眩暈の奔流。

 冷たい激情が逆流して、溢れていくような。


 それからは、人形を通わせて。

 まぁ、それ自身が望んだというのもあったが。

 誰に似たのか。妙に働きたがるところがあった。

 賭けは、ささいな考えだった。

 多少は復讐もしたいし、面倒事をさせてみたい。

 あれだ……悪がきの、悪戯のようなものだと思っていた。

 本当をいうと、結果などどうでもよかった。

 俺が殺されたのなら。そこまでの人間だったということだ。

 盗んだものを使っても、ろくな人形が作れない。

 あまつさえ、似ているのは彼に、ときたから始末が悪い。

 彼が負けたのなら。憂さ晴らしができる、というくらいで。

 何せ、弔いを向ける相手はとうに存在していないのだから。

 …………本当は、ただ勝ちたかった。お前の見た夢など、幻にすぎないのだと。

 彼女の心など、何処にも存在していないのだと証明したかった。

 舞台は彼らの物語。俺はただの役者。

 そう、選択を間違えた、滑稽な道化。

 すべてを忘れて、生きることも選べただろうに。

 その選択を良しとできなかった。選べなかった。

 

 ◇


 フェルシオン郊外にある、小さな丘。

 そこは、墓場としても利用されている。

 少し歩いて、すぐにたどり着く場所。

 俺はそこへと足を運んでいた。

 彼の死後、一ヶ月が経っていた――


「自殺だなんて、らしくないな」

 簡素な、墓へと語りかける。

 名前は刻まれているものの……中身は空だ。

 死体を処理したのは、俺だから。

 哀れんだ誰かが、墓を作ってやったんだろう。

 そんなに慕われていたのかとも、考えられる。

 俺の炎は、くすぶりつづけたままで。

 目指すものがいなければ、永遠に超えられはしない。

「やってくれるよ」

 してやられて――そんな気分でも合った。

 これ以上ない最高の形で、意趣返しをされたような。

 自業自得だと、いわれているようで。

 俺は、自嘲気味に笑う。

 憎たらしいくらい、爽やかな風が吹く中で。

 彼が死んだのは、俺のせいでもあるだろう。

 俺がこなければそのまま暮らしていただろう。

 人一人の幸せを奪ったとは、思わない。

 ただ、何かを失くしたような……そんな感覚で。

「お前が、俺の前から永遠に消えてどうする」

 そう賭けたのは、彼の方だったというのに。

 けじめを果たして後、何故死に急いだ?

 仕事を共にしたいというのは……嘘ではなかったんだが。

 どうにも、信用など欠片もなかったようで。

 最後まで、ロクに相手をしてもらえなかった。

 そんなに――嫌われてたか。

 一人ごちる。何にもなければ、俺はそうでもなかったんだが、な。

「人形がいなくなれば、話ができると思ったんだが」

 結局は、空回りのようだ、と語りかける。

 余計な手出しをしたばっかりの、結末なのだから。


「返すものがある」

 俺はそう話しかけてから……

 壊れた赤と橙色の歯車。

 それを懐から取り出して、墓石の上に置いた。

「俺には不要なもので、お前のものだからな」

 もともとは、どちらも彼のもの。

 くすねたのは、あつかましい俺だ。

 ぐるりと回って、戻ってきたというところか。

 彼の命の歯車は止まったが、俺のはまだ廻り続けている。

「これも、不必要になったから、置いていく」

 片目を覆い隠していた眼帯を外す。

 うっかりすると、風になびいていきそうになるそれも。

 歯車の側に置いた。

 そうしてから、そっと右目に触れる。

 空洞に納まっているのは、冷えた蒼色の義眼。

「返して、もらったからな」

 影を映すくらいにしかならないが。

 硝子球だとでも、思えばいいだろう。

 

 墓に背を向けて、歩き出す。

 彼らの物語は、終わりを迎えた。

 俺の結末は――何処へ行く?

 一度軋んだ歯車は、歪みながら回るか、止まるしかない。

 俺はただの道化。

 自ら幕を引くなんて、そんな潔いことは、できない。

 あの時に。

 彼に殺してもらえたなら……どんなに楽だったろうか。

 間違っても、自殺などはしたくない。

 嘘吐きなだけではく、度胸も備えてはいない。

 そんな選択をするくらいなら。

 みっともなく、這いずるように生き続けることを選ぶ。

 ひとつ選ぶのに、手放すものが多すぎる。

 俺の中で今も揺らめく、焔のような想い。

「燃え尽きたなら――」

 楽になれるのか。

 その術はもうない。自ら手放してしまった。

 くすぶり、広がることはあっても、消えることはない。

 いつか、終わりがくるまで。

 人生という舞台であがき続けよう。

 残された俺はそうすることしか、知らないのだから。

 一歩一歩、前へとただ進む。

 思いをひきずって、焔を纏わりつかせながら。

 俺は誰にも、物語らない。

 ただ奥深くに沈みこめるだけ。

 ヒトガタじみて、滑稽なまま――

 俺は、まだ生きていく。



 月は地に墜ち 蒼は赤に染まる


 橙は還りて後 残り香は紫に漂う


 物語の可能性は 彼方の中に

  


 Fin




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マリオネットの輪舞曲 finale 紫宮月音 @violaceus

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