もしかして、師走ですか?私です。初めまして、あなたは。
尾八原ジュージ
コンビニ前にて
「もしかして、師走ですか?」
コンビニの入口で、突然そう呼びかけられてそちらを振り向くと、犬の幽霊がこちらを見ていた。
今年の夏あたりに、このあたりに流れ着いた幽霊犬である。黒い柴犬を大きくしたような見た目で、いつもコンビニの前に座り、人待ち顔をして通りを眺めている。
「おしゃべり、上手ですね」
驚きながらも褒めると、幽霊犬は鼻をつんと上げて「最近ようやくできるようになりました」と誇らしげに応えた。
「とおくから旅してきたので、とちゅうで人の話をよく聞くようにしたのです。それでおじょうさん、いまは師走ですか?」
きらきらした瞳で改めて尋ねられ、私はようやく相手の質問に答えていなかったことを思い出した。
「師走ですよ。今は十二月だから」
そう答えると、犬はとても嬉しそうにぱたぱたと尻尾を振った。
「ではお父さんが帰ってきますね!」
おや、と思った。これは安易にうんと答えてはいけない気がする。無責任に答えるには大切すぎる質問だ。犬の幽霊と話すのもなかなか難しいものだと考えながら、私は言葉を選んで話し始める。
「ええと、お父さんは十二月に帰ってくるって言ったんですか?」
「はい、そうです。ただそのころはまだ人間の言葉がよくわかっていなかったので、もしかしたらまちがっているかもしれません」
犬は丁寧に答え、それからちょっとうつむいた。横顔がとても悲しそうに見えた。
私はダメ元で、「寒そうなので、うちで待ちませんか?」と誘ってみた。
「ご親切にありがとう。でもお父さんを見つけないといけないので、ここで待ちます」
案の定ふられてしまった。気がかりだけど仕方ない。私は犬を置いてひとりで帰宅した。
こんなことがあって、私と幽霊犬は時々おしゃべりをするようになった。
師走というだけあって、十二月は駆け足で過ぎていく。あっという間に新年が始まり、近年には珍しいくらいの雪が降って、それでも犬はへこたれない。なにせ幽霊だから、お腹が空いたり凍えたりといったことがないのだ。
「それに、待てをするのは得意なのです」
犬はちょっと自慢げにそう言った。
桜が咲いて散り、蝉が鳴き始め、その声が鈴虫に変わって暑かった日差しが嘘のように大人しくなって、また冬が――師走がやってくる。幽霊犬は今年もまた私を捕まえて、
「師走ですか?」
と尋ねる。
「師走ですよ」
「ではお父さんが帰ってくるかもしれませんね!」
幽霊犬はとても健気だ。本当にお父さんのことが好きらしい。
実は、私は幽霊犬に対してひとつ秘密を持っていた。密かにこの土地のことを調べておいたのだ。なんでもコンビニができる前は、民家が建っていたという。もう十年以上も前のことだそうだ。
「ご主人が旅先で亡くなったもんで、遺族が家を潰して土地を売ったのよ」
昔からこの辺りに住んでいるというクリーニング屋のおばさんが、そう教えてくれた。
「そのひと、犬を飼ってませんでしたか?」
「そういえば飼ってたわねぇ。大きい柴犬みたいな子。たしか、親戚のおうちに引き取られたんじゃなかったかしら」
さすがのおばさんも、その親戚の人の連絡先まではわからないという。
とにかく、お父さんという人はすでに亡くなっているらしい。もしかしたら飼い犬と同様幽霊になっているかもしれないけれど、そうではないかもしれない。もしも幽霊になっているなら、同じくこの辺に流れてきたっておかしくはない。でも、それらしい幽霊は一度も見かけたことがない。
私はその調査結果について、幽霊犬に何も言わなかった。犬が悲しむかと思うと、教える勇気が出なかったのだ。
去年と同じく駆け足で十二月は過ぎ去り、また新年がやってきて、春になり、夏になり、秋になり、冬がやってきた。
あるとき私は、家の近所をうろうろしている幽霊を見つけた。
もう死後十年以上は経っているだろう。姿はぼやけてしまっているが、どうやら男性らしいということはなんとなくわかった。何かを探してこの辺りに流れ着いたのか、時々「どこかなぁ」などと呟いている。
ピンとくるものがあった。ひょっとしたらという期待をもって幽霊に近づいた私は、
「もしかしてご自宅と、犬をお探しですか?」
と尋ねてみた。
その途端、幽霊のかたちがぼんやりと固まって、年配の男性の姿に見えるようになった。
「ええ、そうなんです。昔この辺りでこれくらいの黒い犬を飼っていたのですが、すっかり変わってしまって、どこがわたしの家だったやら。あいつ待ってるだろうなぁ、毎年長旅になるけど今年はすぐに帰るって、約束したのになぁ。今年はすぐに帰るって約束したのになぁ」
幽霊は、壊れた機械のように同じ言葉を繰り返し始めた。それを聞いているうち、私はふとあることに気づいた。
今年はすぐに帰るって。
ことしはすぐにかえるって。
「あー!」
突然大声を出した私に、幽霊は驚いたようだった。ぶつぶつ呟くのをやめ、遠慮がちに「お嬢さん、どうかなさいましたか?」と声をかけてきた。
「いいえ、すみません。あの」
ついつい興奮してしまって、言葉が上手く出てこない。そうか、そういえば昔のあの子は、人間の言葉がよくわかってなかったんだっけ。そうか。
「あの、お嬢さん? もしかしてわたしのことをご存知なのですか?」
幽霊に恭しく尋ねられて、なぜかますます慌ててしまった私は、
「ええと、私です。じゃなくて、はじめまして。その、私は――いや、私のことはいいんです。もしかしてあなたが『お父さん』では?」
と、めちゃくちゃになりながらようやく肝心なことを尋ねた。幽霊はきょとんとしていた。そうかそうか。このひと、自分の犬に「お父さん」と呼ばれていたことを知らないのか。ええい、もどかしい。
もう論より証拠だ。私は幽霊を急かしてコンビニの駐車場に向かった。
幽霊犬は相変わらず置物みたいにコンビニの前にぴたりと座っていた。私たちを目ざとく見つけると、ぱっと弾かれたように立ち上がり、「お父さん! お父さん!」と叫びながらこちらに走ってきた。
今はもう、コンビニの前に幽霊犬はいない。
お父さんとどこかに行ったらしい。これでよかったと思うけれど、私はずいぶん寂しくなった。
もしかして、師走ですか?私です。初めまして、あなたは。 尾八原ジュージ @zi-yon
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