『長閑也や春の穹 花は主人、鳥は友』
酷い話しである。旅館に着くなり柏原は玄関脇の事務所兼応接室に入り浸り、レコードの試聴に取り掛かった。
「本邦に二枚あるかどうかも疑わしい貴重な輸入盤で、この機を逃したら一生手に入らない」
価値の分からない者が捨てたり焼いたりするのを未然に防ぐ為で、保存の意味合いが強いという。言い訳がましいが、実際に希少価値が高く、入手困難な代物のようだ。収録された楽曲の種類は、
老舗の高級旅館に泊まる考えは毛頭なかった。一行は近辺の安宿で荷解きをする予定だったが、その前に、例の女将に挨拶をしに行ったところ、ここに泊まっていけと言って譲らない。現在は、二月に来た時と違い、繁忙期で一般の客室は満杯だ。
「畳も襖も古いままですが、電球だけ取り替えれば済みますので」
一行は敷地の最奥部にある旧館に案内された。秘密の温泉の近くに
「娘さん方は、二階の少し日当たり良いお部屋にでも」
章一郎が真実を告げると、女将は上品に笑い、やがて目を白黒させた。可憐な双子が色を添える斬新なサーカス団は、その実、男所帯である。ただし、何の気兼ねもないと言えば嘘になる。章一郎は、双子と布団を並べてる寝る光景が想像出来ない。心の準備とか、その辺りの問題で、不眠症になるのは福助独りでは済まないだろう。
「別の部屋なんて要らないよ。これまで、わたしたち二人と歌劇団の女の子が同じ寝室を使ってたことのほうが変だったんだよ」
お説ご
「あんまり気にせず、適当に扱ってくれれば、そのほうが自分たちにとって都合が良いんです。お互いに、少しずつ慣らして行けば、もっと気が楽になるし」
酷い話しだ。すっかり綺麗になった旧館の部屋で荷を解くと、各人の鞄から様々な見慣れない品々が出て来た。戦利品と呼ぶらしい。
「それじゃ、一杯引っ掛ける前に、行くとするかのう」
「まず、安心して聞いて下さいませ」
開口一番、女将はそう言った。最近、問い合わせたのは一昨日。先方の院長先生によると、症状は入院患者の中でも軽いほうで、胸部を撮影した写真に心配な影は見当たらなかったという。写真はレントゲンと呼ばれるもので、最も的確に診断出来るらしい。凶ではなく、吉だ。章一郎は安堵した。ちなみに、施設はサナトリウムと呼ばれ、深刻な患者が居なくもないが、陰気な病棟ではなく、保養所を想像すれば概ね合っていると話す。
「今から電話してみます。先生が忙しくなければ良いのだけど」
五日ほど前に女将はそのサナトリウムを訪れ、瑞穂に会ったという。面会が可能なのだ。感染症の患者が多く、基本的に面会は近親者に限られるが、章一郎にはその資格があるという。瑞穂の身元引受人は曲芸団の
柏原がまたレコードを取り替えた。喧しい雰囲気の曲で、太鼓の音ばかり目立つ。
「ええ、面会の者は深川と申します。はい、その点は諒解しております」
面会は明日でも明後日でも構わないと言う。章一郎は迷わず、明日と答えた。
<注釈>
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