第十四章(最終章)

『薄暗い天幕の中、ぬっと出る』

「さっきも言った通り、お姫さんが生き返ったりするのは物語の中だけだ。現実には起こらない。けれど、森の小人は実在するんだよ」


 童話『白雪姫』の話しから柏原の熱弁が始まったようだ。正面の双子が興味深そうな表情で聞き入る。隣の福助は、憧れの汽車に乗り込んだ直後こそ、喜びを爆発させて車内を走り回ったが、今や車窓の風景にも関心がない様子で、その眼は真向かいの二人に釘付けだ。


侏儒症しゅじゅしょうってのは、三歳とか四歳とか小さい頃は親も気付かない。だがね…」


 汽車に乗る手続きは極夜きょくやが率先して行い、滞りもなかった。まず軍港から延びる路線に乗車し、僅かひと駅で乗り換える。帝都と温泉街のある駅が一本で結ばれているのは本当で、しかも数時間と揺られるわけでもなかった。章一郎の想像よりも遥かに近い。


「成長して、我が子が小人だと気付く。すると親はこっそり捨てに行くんだ。遠くの森にな。そんな不都合もないんだが、身体が小ちゃいと働き手になれねえってことなのかもな。可哀相に」


 話半分に聞いているのか、福助は意味もなく、座席で飛び跳ねる真似をした。席は布張りで、座り心地も申し分ない。これが二等客車なのか、三等か。汽車賃は巽がまとめて八人分を支払った。さも自分の金のように懐ろから出したが、それは章一郎と作造が稼いだものだ。運賃を差し引いても残りは潤沢で、安い宿屋なら連泊出来るという。


「でも、侏儒の子供たちは強くて、仲間を作って生き延びたんだ。それが森の小人の正体だ」


 金庫番の長老は講釈を流し聞きする気もないようで、ぼうっと景色を眺め、そして何かの拍子に切り出した。章一郎の実の母親に関する逸話だった。埠頭の倉庫で吐露した、いわゆる冥土の土産話の続編である。


「お前さんが汽車に乗るのは、これが初めてではないのじゃ」


 今乗っている汽車と同じ路線だという。章一郎が二歳の誕生日を迎える前、隣には父親の太夫元と母親が座っていた。十数年も昔の話しである。仔細は忘れた、と断って続けた。


「深川の細君、お前さんの母親は身重だった。実家で出産することになり、旦那に付き添われ、長男坊を連れて帰省したんじゃ」


 実家はあの温泉街にあったという。不幸に見舞われたのは、夫と子が曲芸団の巡業先に戻った時だった。章一郎の母は流産したうえ産後の肥立ちも悪く、命を落とした。深川の嘆き様は相当なもので、見るも辛く、旗揚げして間もない曲芸団は暫く活動中止を余儀なくされたと話す。


「お前さんの母親の最期については、よう知らんのじゃ。向こうに着いたら、女将さんに聞いてみるが良かろう」


 彩雲閣さいうんかくの女将は母の幼馴染だった。出産で実家に戻った際、夫と子は旅館に宿泊した。幼い章一郎は若い頃の女将に会っているはずだと言う。加えて、元から縁のある旅館で、たつみや深川が大サーカス団で活躍していた当時、毎年秋頃に巡業で訪れ、長逗留したと話す。母が入団した経緯もそれに関連していた。


「わしにしてみりゃ、楽しい街の楽しい思い出じゃが、太夫元にとっては悲しい記憶のある街じゃ。興行を打つなら手助けすると女将に誘われても、ずっと断り続けていたようじゃ。それが今回は急に行くと言い出した。お前さんに真実を告白しようと計っていたのやも知れん」


 長老の語りは憶測を含むものだったが、章一郎には心当たりがあった。温泉街に赴く少し前から、太夫元は様子が妙で、普段は滅多にしない長話をして将来に関わることも口にした。それは決意を固め、真実を告げる準備だったのか…


 ところが状況は暗転した。辛い思い出のある街で、瑞穂みずほが急な病いで倒れた。連想するに容易い。章一郎は何も知らず、太夫元に悪態をつき、言葉すら交わさなかった。辛い想いを重ねてしまったのだ。深く反省し、悔い改める。ただ、時間を巻き戻し、やり直すことは可能だ。


 発車のベルが鳴った。


 別当べっとう青年と作造が、間際に駆け込んで来る。皆の駅弁を買いに行ったようだ。走らされて動悸が激しくなってしまったのか、青年は胸を抑え、それでも弁当を配る。代金はどうしたのか。軍資金は長老様が一括して持っているのではないのか。訊くと、作造は全てを拠出せず、一部隠し持っていたことが判明した。


「あのう、曲芸団の支配人さんが章兄の本当のお父さんで、それなら苗字も、何だっけ、そう、深川って言うのかな」


 白夜びゃくやだった。楽団リーダーの小噺は何時の間にか終わり、四人は巽の話しを聞いていたようだ。深川章一郎。本名を知ったのは、昨日のことだ。丁度、二時十四時間前だろうか。その時は万策尽きて、何もかも諦め、奴隷船で外国へ行く心の準備をしていた。一転して今は行楽客の如く駅弁を箸で突いている。


「その名も深川曲芸団。章一郎の為に作られた曲芸団だ」


 倉庫の中で長老が語っていた文句を柏原が復唱する。大袈裟で、気恥ずかしい表現だ。決して独りの為の曲芸団ではない、と章一郎は思う。引退した者も含め、皆が必死の思いで築き上げたものである。

 

「まったく別だけど、似ている感じもする。あの歌劇団は、自分たち双子の為に作られた歌劇団でした。支配人は里親ではなく養父で、たぶん戸籍上の父親だったんです」


 極夜きょくやだった。過去形で話すところが良い。汽車に乗り込んだ瞬間から、追手に対する不安は完全に消え去った。最早、過去の人物だ。極夜が言う通り、歌劇団は二人の為に創設された。残忍な手術を受けさせ、その後、潰れ掛けの小さな歌劇団を買収した。


 似て非なるものだ。共に子の為であっても、一方は親心の善意に出発し、他方は悪意に基づいていた。


「本物の大罪人だった。あんな怖え悪党と会うなんて、あるとは思ってもみなかった。ああいった奴こそ、心の歪み切った野郎こそが、畸型って言うんじゃないのか」


 柏原が意味ありげに呟いた。格好よく決め台詞を吐いた…そんな感じのしたり顔だ。刹那の静寂しじまを破って、巽が吹き出した。


「何を言うかと思ったら、何じゃそりゃ。悪人なんて、この世の中にごまんとおる。小悪党も大悪党も。じゃがな、畸型は滅多矢鱈におらん。前触れもなくやって来て、薄暗い天幕の中で、ぬっと出る。わしらが、ほんもんの畸型じゃ。曲芸団の畸型じゃ」

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