第十三章

『其の手術䑓の猟奇犯罪に似たる事』

「十三歳とか、もう少し上かな、その年くらいになると胸が大きくなる子もいるんだよね。でも、こういった厚手の服を着ると体型が目立たなくて、みんなお揃いになる」


 双子姉妹が何時いつも着ている軍服調の上着には、女性的な個性を隠すという密かな仕掛けがあった。白夜は車から降りると上着を脱ぎ、濡れたシャツはそのままに外套を羽織った。裾は地面すれすれだ。


 作造は道路脇で停止した車を持ち上げ、引っ張った。椅子を引くのに等しい軽作業だ。振り落とされた際に怪我をした様子もない。助手席のたつみが宙に浮いたようにも見えたが、大丈夫。後部座席の三人も無事だった。


 降車して、章一郎が最初に視線を向けたのは車ではなく、白夜だった。姉や妹という表現が不適切であっても彼女は彼女だ。告白を聞いた誰もが疑ったが、直ぐに軽口や痴れ言の類いに在らずと理解した。眼差しは真摯で、そこに嘘も道化もない。


「今まで歌劇団以外の人に話したことはなかったんだけど、何て言うか、話せてすっきりしたような感じかな」


 不思議な感覚に取り憑かれる。恐らく、ほかのも同じだろう。覚悟を決めて、渾身の告白をしたのなら、普通は感極まって泣き出してしまうのではないか…章一郎は冒険小説で得た知識を引き合いに想像した。普通の女の子なら、多分そうだ。しかし、普通の女の子ではなかった。


 大男が黒塗りの車を道路まで引っ張り出し、柏原が車体の損傷度合いを調べて起動させようとしたが、音がしない。二度三度と慎重に試みる。果たせるかな、動かない。衝突の直前にはかなり速度が落ちていて、小さな凹みしか無かったが、車の心臓は鼓動しない。


 大破したのは車両ではなく、福助だった。茫然自失の雰囲気で、茹蛸ゆでだこは再び青瓢箪あおびょうたんと化した。章一郎は声を掛けようとして逡巡する。これ程までに表情を失った彼を見るのは初めてだった。一寸法師が失恋した日は改められ、相乗りして夢心地になって、そして、今の状態を何と言い表せば良いのか…矢張り、失恋した日なのか。福助は白夜が脱いだ軍服を纏って、じっと白夜を見詰めている。袖が長く、不恰好だが、気に留めてもいないようだ。


「繊細な機械だからな。ラヂオみたいに叩けば直るとか、そんな代物じゃない」


 楽団リーダーは、素人が手出し出来るものではないと診断する。専門の職人が居る作業場まで押して行ったところで、こんな夜更けに対応してくれるはずもない。白夜によれば、前に調子が悪くなって検査した時は、一週間ばかり入院したという。


「ねえ、章兄さん、線路を通り過ぎたかな」


「線路…ああ、一回だけ越えた。右に曲がって、暫くして踏切があった。結構前だったようだ気がする。もう何分も前」


 現在位置は不明だが、線路を越えたなら目的地はそう遠くないと白夜は言う。歩けない距離ではないそうだ。道路を進んで行けば、じきに案内標識が出てくると話す。この状況で六人に残された選択肢は、それしかない。黒塗りの車は目玉が飛び出る程高い値段らしいが、茂みに押し込んで捨て置く。


 擦れ違う者が居たら、腰を抜かすに違いない。奇妙奇天烈な集団だ。巨人に二人の侏儒しゅじゅ傴僂男せむしおとこに狼男。眉目秀麗な紅一点の少女にも秘密がある。放置した高級車も追手の存在も、どうでも良かった。曲芸団一同の関心はただ独りに集中した。章一郎は尋ねることを自重したが、白夜は問わず語りで話し始めた。 


「もう数年前になるのかなあ」


 切なく哀しい物語ではない。凶悪な事件、猟奇的な犯罪だった。孤児院に居た双子の少年は、資産家の里親に引き取られた。養父となった人物が副島そえじまである。変な口調だが優しく、暮らしぶりも贅沢で、不満はなかった。ところが、半年も経たない内に、恐ろしい病気が見付かったと騒ぎ出し、二人は手術を受けた。


「子供だったし、何も分からなかった。怖い病気で放っておくと命が亡くなるって言われたんだ。疑いもしなかった」


 非合法の去勢手術。十歳に満たない頃だったという。双子の兄も弟も、その手術が何を意味するのか、知りようがなかった。ただ、手術が済むと副島は、これで命が助かったと言って泣いた。幼い二人は涙を信じた。


「講談の三国志で聞いたことがある。宦官かんがんじゃったかな」


 長老が無関係な三国志の粗筋を語り始めたところで柏原が制止した。宦官は大陸の宮仕みやづかえに古くから伝わる因習だが、似通った習わしは古今東西に広く記録が残るという。一方、市井しせいの幼い男児が去勢される例は聞いたことがないと首を傾げた。


「思春期って言うらしいんだけど、十歳を過ぎて最初に身体に変化があって、同い年くらいの男の子とだんだん違って来て、次に心もおかしくなった」


 不自然な成長の過程で、精神的にも均衡を失ったようだ。双子の兄弟は、私生活では男児らしく「ぼく」という主語を使い、歌劇団では女の子を演じたという。頭が変になって混乱した、と白夜は回想する。


「歌劇団が始まって、それで女の子になりきっていたら、慣れてきたって言うか、だいぶ落ち着いたんだよね。諦めたって感じかも。どうやっても男の子に戻れないし。男性にとって大事なものを二人で合わせて四つ無くした」


 違法な手術で睾丸を奪われたという意味だろう。これも曲芸団の有識者によると宦官とは少々異なるという。残酷な手術の顛末について告白しているのに、下半身に絡む話しをすると白夜は微妙に恥ずかしいのか、照れ笑いをした。一方、同僚の娘の裸を見ても何とも思わないとも語る。


 男には戻れない男の子と女にも成れない女の子。以前は狭間で苦しんだが、その辺りの葛藤をひと先ず乗り越えたということか。章一郎には理解が及ばない。我が身に置き換えて想像することも難しい。


「そんなことが、あって良いわけないだろう」


 何時いつからこれほど涙脆い男になったのか。作造は去勢手術の話しを聞いて泣いていた。可哀相で、可哀相で、仕方がないとむせぶ。白夜が車中で告白した時、大男は屋上に張り付き、聞いていなかった。途中で会話に参加したが意味不明で、みんな気が触れたのかと本気で心配したと明かす。


「おいらの宝物で、これからも変わりはない」


 福助が腹巻の中から紙切れを取り出して、白夜に見せた。あの写真。演芸場で購入した顔写真だ。土蔵に監禁されていた時も、手足を縛られて岸壁に引き出された時も、ずっと腹巻の中に隠し持っていたのだ。腹でよじれて温められて、皺くちゃになっている。こちらも泣ける話しではないか。


「あらまあ、何か懐かしい。持っていてくれたんだね。これって、わたしだよ。二種類あるけど、全部わたしなの。撮影したのは妹…じゃなくって、弟…うーん、言い難いなあ、そう、極夜きょくやが自分の写真機カメラで撮影したの。様になってるでしょ」


 皺の寄った顔写真を見て、白夜は嬉しそうに声を上げた。可愛らしい女の子の声で、それは間違いなく嬌声だ。天真爛漫で表情豊かな外国人形が帰って来た。

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