第十二章
『艀を曳く異邦人と三基の棺』
「初めての船旅が密航とはな」
「あんな粗末な船で太平洋を渡るのか。こりゃ、相当いかれてるのう」
「もう一隻は
柏原によると、平たい船は艀と呼ばれる動力源のない船で、貿易港特有のものだという。この波止場がある場所もおよそ見当が付いたと語る。外国の大型船が発着する国際港に近い。夜陰に乗じて沖合いに停泊する貨物船に積み込まれる…奴隷さながらの荷物扱いだ。
「長い間、土蔵に押し込められていた理由も判った。密輸をこなす外国の貨物船を待っていたんだろう。今時分、こんな悪どいことに手を染める奴は滅多に居ない」
艀を岸壁の防波堤の隅に押し込みたいようだが、上手く行かないのか、手間取っている。副島は、右だ左だと声を上げる。二隻は波に揉まれ、近付いたり離れたりと慌ただしい。見張り役だった男が防波堤に立ち、横幅のある長い板を艀に渡そうとするが、それも失敗を繰り返す。
「おい畜生野郎、副島。こんなことして
再び作造が絶叫する。もしこの場に部外者が居たなら、大声が届いたに違いない。凶悪な事件は瀬戸際で露見したかも知れない。しかし夜も更け、波止場は静まり返っていて、行き交う船もなかった。
大男を載せた台車が前に押し出された。岸壁の淵ぎりぎりだ。そこで暴れたら、車が滑って海に墜落しかねない。残りの四人も順に淵まで移動させられ、正座を命じられた。まるで打ち首のようだ、と章一郎は観念した。
「ここから艀に蹴落とすつもりらしいな」
小人楽団のリーダーだけが冷静に事態を観察していた。艀の上には大きな木箱が三つ並んでいる。蓋はない。どうやら艀をぴったり寄せて、突き落とす魂胆のようだ。大男を運び込む方法について、章一郎は思案を巡らせていたが、答えは実に単純明快だった。ただし、岸壁に寄せる操舵も、板を渡す作業も難儀し、見張り役に加え、あの番人も防波堤の上で右往左往している。
振り返ると、背後には副島ら三人が居た。手品師が作造を指差し、剣呑な目付きで副島に囁く。この期に及んで何の話し合いか。福助も一緒に後ろを見たが、悲しげな表情に拍車が掛かっている。憧れのが少女が直ぐ側に居るのに、投げ掛ける言葉も微笑み掛ける瞳もない。辛く、切ない夜だ。出会わなければ、幸せだった。
彼女が先導して板を渡る。ゆっくりと、慎重を期した足取りだ。艀は揺れ、番人らが懸命に押さえても板は小刻みに震えている。もはや縁のない娘とは言え、章一郎は肝を冷やした。そして、副島が足を滑らすことを願ったが、無難に渡り切った。
艀の上で二人を待ち構えていた人物は、異邦人と見受けられた。
岸壁の淵で、船上の光景がよく見えた。副島が帽子の異邦人と話している。文句は聞き取れないが、外国語だろうか。異国の船員が流暢な日本語を話せるとは思えいない。副島は異邦人が抱え持つ箱型の鞄、その中身を掴んで何か言っている。怒っているようにも、笑っているようにも見えた。照明係の美少女は
「わしらは流罪で、お前さんは死罪じゃ」
間際になっても、巽は毒づくことを忘れない。
最後が章一郎の番だった。ご丁寧に一度荒縄を解いて、締め直す。足の次は手だ。背中に回された両腕を持ち上げ、強引に交叉させる。縄が左手の傷跡に当たって、痛い。わざとやっているに違いない。何処までも陰険な男である。
「これで全員、検分した。用意は万端だ」
捨て台詞も最悪だった。早晩、死罪になるが良い…そう呪った瞬間、章一郎は締め直された腕に違和感を覚えた。交叉した両腕の間に異物が挟まっている。荒縄だ。縛り上げた位置も妙だった。手首ではなく、やや肘に近い。
「この変な結び方を知っている…」
閃いた。唐突に思い出した。遠い記憶だが、それは確かである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます