『血染めの包帯を握って美女は号泣した』
「ごめんなすって」
美女を先頭にした一団が洋館に乱入した。湘南地方の別荘地に建つ副島の邸宅、少女歌劇団の本拠地。門と玄関の鍵は閉ざされていたが、
「はーい。あ、ひぃ…」
突然の侵入者を見て驚きの声を上げた。奥から出て来たのは、あの短い髪の美少女だった。
「どうやら当たりのようね。さあ、わたしたちの仲間を引き渡して頂きましょうか」
耶絵子の隣には、霊交術の真の主役である太田、背後には角刈りの勇ましい男が二人控えている。この男たちは、太田が浅草界隈で偶然再会したという昔の馴染みで、いわゆる
「はい。こちらに昨日まで居たんですけど、もう今は居ないんです」
「昨日まで…ですって。いえいえ、そんなの騙されないわ」
今度は角刈りの男たちを先頭に館の奥に押し入る。騒ぎを聞き付け、二階から降りて来た二人の若い娘が胡乱な侵入者と鉢合わせし、奇声を発した。任侠の徒は、着流しに
「誰も居ないわね。このお屋敷、女の子しか居ないのかしら」
一階には食堂や水廻りのほか、外観に不似合いな薄汚い小部屋もあった。鍵が掛かっている部屋は二室。いずれも太田が針金状の小道具を使って手際よく開けた。
「ここも違うようね。あっ、これって」
無人の部屋を出ようとした際、耶絵子は屑籠に捨てられた紙巻き煙草の空箱に目を止めた。見覚えがある安い銘柄のものだった。いま一度室内を
「
耶絵子が娘たちに人相を尋ねると、背格好も身なりも手品師と合致した。この館で暮らし始めた日付も、概ね辻褄が合う。温泉街を出発した日、曲芸団一行が帝都の真ん中で路頭に迷った頃だ。ここに来て、その後どこに消えたのか。娘の一人は昨晩に姿を見掛けたと話す。
「今日は出掛けてるってことなの。でも、必ず戻ってくるわ。このカード、擦り切れてるように見えるけど、イカサマで使う仕掛けなのよ」
耶絵子が得意気に擦り傷の説明をしていると、強い雨が降り始めた。その中、上の階を探索していた護衛役が戻って来た。怪しい箇所はなく、娘以外に人も居ないという。
「男衆が誰も居ないってのも妙ね。
堂上の特製カードを握り潰して、耶絵子は悔しがった。副島のヤサが割れたのは一昨日のことだった。情報をもたらした立役者は、見番の
官憲に頼らず自力で捜索し、救い出す。そうした声が上がったのは、曲芸団一行が都下の
唯一の生還者は、章一郎らほかの芸人は別のバスに乗り組んだと証言した。行き先は皆目判らないが、太夫元は、彼らが歌劇団に随行している可能性が高いと主張した。曲芸団に残された者たちの一致した見方でもあった。堂上を含む六人は歌劇団のアジトに居る。耶絵子と太田は救出に向けて突入すべきとの強硬論を唱え、それが結論となった。
「あのう、男の人たちが居たのはここじゃなくって、庭先の離れです」
巻き毛の美少女が、指を差した。章一郎らが囚われていた土蔵だ。恐怖に震えるほかの二人とは違って、彼女だけは深刻な面持ちで一団の家宅捜索を見守り、協力的な姿勢を示した。豪雨の中、再び耶絵子を先頭に一団が土蔵に向かう。辺りが光り、激しい雷鳴が轟いた。
「壊れてるのかしら」
土蔵正面の大扉に太い鎖が垂れ下がり、附近には放り捨てられた巨大な南京錠があった。それらは、当日の未明に起きた連行劇の慌ただしさを物語るものだった。太田が扉の
「うわ、変な匂い。何なの、ここ。やだ、鼠の巣なんじゃないの」
土蔵の奥で小さな物音がした。空は暗雲に覆われ、内側は暗い。奥方には誰も注意を払わなかった。侵入した耶絵子は、構わず大扉周辺を探索し、汚れたベッドの脇に置かれた荷物を見付けた。一寸法師が愛用するずた袋だ。
「これ、福坊のだ。こんなとこに閉じ込められてたの…」
ずた袋には演目の皿回しで使う小道具一式が納められていた。更に、
「証拠の品として押収しておく。でも、何か嫌ね。これが形見になっちゃうような、そんな予感がするわ」
ずた袋を肩に掛け、耶絵子は再び洋館に押し入った。証拠品を洗い
諦めざるを得なかった。家宅捜索の成果は僅かにあったが、仲間の救出作戦は失敗だった。悄然として館を後にした時、例の美少女が駆け寄って来て、手にした物を耶絵子に差し出した。
「髭もじゃの人が大怪我をした」
二日前に取り替えた血染めの包帯だった。見付からないように始末すると言って、花壇の隅に埋めてあったものである。慌てて素手で掘り出したのか、少女の両手は泥塗れだった。
「章ちゃんよね、それって」
包帯は泥をかぶって酷く汚れていたが、土とは異なる染みがある。固り、黒ずんだ血痕だ。耶絵子は包帯を受け取ると、もう一度強く歯軋りし、そして大粒の涙を零した。
「これも形見になっちゃうのかなあ」
通り雨は止み、西の空には綺麗な夕焼けが広がっていた。
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