『愛しき狼の為の小さなサーカス団』

 不幸は連続した。深川は妻と死別し、所属する有名なサーカス団も事業拡大に失敗して解散となった。章一郎が二歳になる時分だった。幼いせがれを抱え、路頭に迷うという憂き目に遭ったのだ。


「それでもやっこさんはくじけなかった。人望もあったし、良い仲間にも恵まれた。わしのことじゃがな」


 たつみは深刻な昔話に笑いどころを織り交ぜたが、一同はくすりともしなかった。福助までもが真面目に聞き入っている。また巽は、全身が毛で覆われた子が生まれたことは決して不幸の内には入らない、と繰り返し言った。


 紆余曲折はあったものの、深川は自分の曲芸団の旗揚げに漕ぎ着けた。創設時の座員で現在まで残っているのは、巽のほかは道具方の塚本だけだという。消息不明の棟梁のことだ。


「わしみたいな畸型の芸人が最初に居て、偶々たまたま風変わりな一座が組み上がったのではないのじゃ。計算ずくで、この曲芸団は築かれた」


 多少の憶測が混じると断った上で、長老は語った。深川は生まれて来た我が子を憐れみ、辛い目に遭わせないよう心掛けた。学校へ通わせれば、揶揄われ、疎まれ、辛辣な悪口を浴びせられる。例外はあるにせよ、畸型の子は傷付き、屈折し、やがて世間を恨むようになる。昔の旅芸人ような、根城を持たない流浪の一座になった理由はそこにあったと話す。  


 更に深川は相次いで侏儒しゅじゅの芸人を招聘した。ちょうど見世物小屋の規制が厳しくなった頃で、直ぐに幾人か集まった。別当べっとう青年のような悪どい身売りではなく、身柄を引き受ける恰好だったと巽は付け加えた。


「わしにはよく判らんが、前に太夫元か塚本か、純粋培養とか言っておった」


 畸型の座員に囲まれて、多毛症の子供は自分だけが変な身体だと深く悩みもせず、屈託なく育った。ここで巽は章一郎に実際のところを尋ねた。半分正解だった。


「世間に出るのは怖いし、嫌だし、悩みもないと言ったら嘘になる。でも、まあ、曲芸団の身内と一緒の時は、別段、身体のことは気にもせず、揶揄われた覚えもない」


 急に質問されても困る。実の父親を明かされて、頭も心も整理が付かない。純粋培養の意味は分からないが、言われてみれば、町で石を投げられたり、不審者扱いで捕まったり、体毛の件で悩み始めたのは思春期を迎えてからだった。それ以前の情操が育まれる少年期に、章一郎が深く悩むことはなかった。


「我が子に危険な芸を仕込むのを避けた。それは自分が大怪我して引退に追い込まれた経験と無関係じゃなかろう。代わりに、歌を教えた。思い通りの一座が出来上がったかどうかは知らんが、深川曲芸団はひと言で言うなら、章一郎、お前さんの為のささやかなサーカス団じゃ」


 むせび泣く声が聞こえた。真後ろで、作造が嗚咽おえつしていた。身上話が哀れで、可哀想で仕方がないと言う。稀なことがあるものだ。親は、太夫元の深川は、さぞ辛いこともあったろうと言って咽ぶ。そして、深く詫びた。 


「そのっちゃなサーカス団を俺が壊しちまった。堂上の野郎を信じて章一郎を誘って、懲りずにさ、副島を信じてこの有り様だ。一緒に辞めようとも言ったし。恩義があるのにさ、太夫元を裏切って、俺が壊しちまった」


 想いは同じだった。章一郎の胸に言葉が突き刺さる。あの峠で、あの温泉街で、恩を仇で返すように悪態をつき、副島になびいて、曲芸団を抜ける算段もした。一番の裏切り者は自分だ。注がれた愛情の量を知りもせず、背いて踏み躙った。悔やんでも悔やみきれない。


 太夫元と過ごした歳月が走馬燈のように脳裡に甦る。嫌な思い出なんて少しもなかった。何時いつだって暢気で、微笑んでいた。もし時間を巻き戻せるなら、ひと月前に遡って、全部やり直したい。もし再び逢えるなら、手を握って心から謝りい。その時にどんな顔をすれば良いのか分からないけれども、謝って許しを乞いたい…

 

 縛られて束になって、五人は口数も減った。福助が時折、空腹を訴えるだけで、柏原も巽も多くを語らなかった。不思議にも章一郎は涙を零さなかったが、作造は啜り泣ているようで、度々鼻を鳴らした。


 通り雨の後、倉庫の窓が茜色に染まっても動きはなかった。外に物音はなく、堂上が再び姿を現すこともない。夜も更けて、このまま忘れ去られたのかと思い始めた頃、倉庫の扉がゆっくりと開いた。


「ボンソワール」


 ふざけた野郎が、そこに居た。

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