『紫煙は立ち昇り、消えることなく渦を巻いた』
「じゃあ、作造を引っ張ってくのは、どういう了見なんだ」
「作造だけはサーカスじゃなくて、武術家みたいな、見世物のような、そんなもんらしい」
食い下がる柏原に対し、堂上が施した説明は荒唐無稽だった。どこまで理解しているのか怪しい部分も多かったが、怪力の巨人はレスリングの選手に取立てられるという。手品師は、
作造は自分の名を連呼されて覚醒したようだが、章一郎の真後ろで縛られていて、様子は窺えなかった。回廊に立つ堂上からも顔は見えていないはずだ。手品師は慣れない手付きで葉巻を
「異国とは恐れ入ったが、堂上よ、お前さんは
黙って話しを聞いていた
「誘拐に監禁。おまけに人身取引と来た。それも異国にな。こそ泥とは天と地ほど違う重大犯罪で、捕まれば死罪は決まったようなもんじゃ。お前さん、逃げ切れるとでも思っとるのか」
明らかな脅迫だった。正当な脅しだ。巽は約一年前に堂上が
「耶絵子は信じなかった。口から出任せの奇術師だ。が、暫くして同じ県下で巡業した時、耶絵子は電話番号簿*を見る機会があったそうじゃ。嘘だとは思ったが、念の為に調べると、堂上という屋号の付いた造り酒屋を見付けた。住所はお前さんが言った通りの町じゃった」
手品師は顔を硬らせただろうか。窓の日差しが先程よりも濃い影を作って良く見えない。それでも、口答えせずに黙って話しを聞いているのは判った。この電話番号簿の話しは耶絵子本人のほか仲良しの
「あの子は意外と執念深いぞ。生家はもう割り出されているんじゃ。お前さんは手配されて、直ぐにも捕まって、それで死罪になる」
死罪という言葉は恐ろしい響きを伴っていた。章一郎は巽の話しを聞き、他人事ながら戦慄した。人身売買とは
「わしはもう老い先短い身じゃ。この若い連中、柏原も含めて、逃げさせてはくれんか。考えてもみろ。こんなことでお前さんが手にする金は、賞金首になって追われる今後の人生と見合うもんなのか」
堂上はそれでも何ら口答えしなかった。普段なら嫌味を言い捲り、誰彼構わず毒づく傲慢な男が沈黙した。そして、点したばかりの葉巻を捨て、足で踏み付けると、回廊の端の出口から去って行った。日頃は安い煙草を半分に切り、鼈甲柄の吸口に挿して吸う吝な男だ。明らかに動揺していた。
「
捨てられた葉巻の火が消えない内に、巽は予告もなく、語り出した。
「お前さんの苗字は深川という。深川章一郎。太夫元が実の父親じゃ」
脳天を金槌で一撃されたような強い衝撃が走った。
眼光鋭く、真剣で、巽は覚悟を決めたような表情をしていた。
<注釈>
*電話番号簿=電電公社発行の電話帳に相当する大判の冊子
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