『牙なき狼は呪わしき東雲に咆哮する』

 未明の急襲劇に、章一郎は対処出来なかった。寝込みを襲われたのだ。屋根裏部屋に侵入してきた男たちは、まず濡れた布を猿轡さるぐつわのように巻き付け、素早く手足を縛り上げた。暗くて良く見えなかったが、闖入者ちんにゅうしゃは三人で、牢の番人でも堂上でもない、見知らぬ者たちだった。


 引き摺られるようにして階段を降ろされ、大柄な男に担がれた。それが番人だった。もし口が利けたなら、二階の部屋の前で、白夜びゃくやに助けを求めたかも知れない。狼男は番人の肩の上で藻掻もがいたが、どうすることも出来なかった。洋館は静まり返っていた。


「おお、章一郎、生きておったか」


 敷地外の道路に停めてあったトラックに放り込まれると、そこにたつみら土蔵の面々が居た。章一郎より先に襲われ、運ばれた模様だ。一様に手足を縛り上げられているが、長老は猿轡を咬まされていなかった。大男は荷台の一番奥で倒れ込んでいる。彼も口元の覆いはない。騒ぐ恐れがなかったのだろう。正体を喪い、身を起こす気力もないといった按配だった。


 異様な姿である。作造は両足首におもりのような物をくくり付けられていた。これまでとは様相が異なり、闖入者は荒っぽく、そして手練に長ける。章一郎は、自分たちが切迫した状況に置かれていることを察知した。運命の時が来たのだ。


「突然じゃった。大扉の鎖を外す音も聞こえんかった」


 車両が走り出したのを合図に、巽は年寄りとは思えぬ咬合力こうごうりょくで、噛み千切るように狼男の猿轡を解いた。正確には、歯を食い縛って強く引っ張り、ずらしたのだ。手拭いで口元や鼻先を覆っていただけだったのが幸いした。それを真似て章一郎は侏儒二人の覆いを外す。


 呼吸が楽になり、章一郎は冷静さをやや取り戻したが、今度は酒の匂いが鼻孔に纏わり付く。発生源は巽だった。昨夜、晩飯と一緒に酒が振る舞われたのだという。


「巽さんだけじゃないぞ。作造も喜んで浴びるほど飲んで、そのまんまだ」


 福助によると、熱燗に葡萄酒が四本と豪勢だったらしい。柏原は、汁物に混ざっている異物と酒の組み合わせが最悪で、強烈な相乗効果をもたらしたと語る。作造は昏睡して、この期に及んでも朦朧としている。


「怪力対策は万全だった。してやられた感じだ」


 柏原と福助は軽く口にして早々に眠ったという。長老は久々の酒に大喜びして、ここぞとばりに熱燗も葡萄酒も煽ったが、急に目が回って寝た。作造は残りを全部飲み干したようだ。そして身体に触れる手で巽が目が覚めた時、土蔵の中に押し込んできた三人組が居た。殆ど抵抗も出来ず、全員がお縄になった。


「青年、別当べっとう青年は一緒じゃないのか」


 章一郎が荷台の人影を数えると自分を含めて五つしかなかった。別当青年は置いてけ掘りを食らった模様だ。理由は定かではない。柏原は三人組が青年の近くで問答しているのを聞いたが、急転する事態に狼狽し、耳を傾けるゆとりなどなかったと釈明する。最後に荷台に放り込まれたのが彼だと思ったが、よく見ると章一郎だったという。    


「真相は判らんが、この場合は彼だけ助かったとも言えるな」


「また、この五人になった。荷台で揺られると、曲芸団の巡業の道中を思い出すな」


 まだ酔いが覚めきっていないのか、長老が暢気なことを言う。荷台の覆いは幌ではなく板張りだが、確かに嫌な感覚の振動も騒音も、曲芸団のトラックに似ている。その板張りの隙間から、灯りが漏れ込む。真後ろに別の車両があって、館を出発した時から追走しているようだ。黒塗りの、あの副島そえじまの車かも知れない。


 何処をどう走っているのか、周りの景色は全く窺えず、皆目見当が付かない。洋館があった地域すら判っていないのだ。闇から闇への連行。行き着く先が安息の地でないことだけは確実である。


 半刻くらいが経った頃、振動が止んだ。潮の匂いがする。三人組と番人が現れて、作造を引き摺り出す。ほかの四人も順番に担がれ、降ろされた。目の前に海があった。けれども、温泉街の長閑な浜辺とは趣きが大きく異なる。波止場だ。何処かの埠頭だ。煉瓦造りの倉庫が並んでいる。


 巨大な倉庫に連れ込まれる直前、章一郎は少し離れた場所に停まる黒塗りの車を目撃した。副島が乗っているのなら奴に唾を吐き掛け、怒鳴り付けてやりたい。


 抵抗も叶わず、再び担がれた時、ポケットに五徳ナイフが入っていることに気付いた。昨晩、を削った後、敷布団の下に隠そうとして何故か止めたのだ。不幸中の幸いとも言えるが、小さな刃物一丁で、この局面を打開できるとも思えない。囚われの身は変わらず、果てしなく無力だった。


 海の向こうに見える空が白んでいた。間もなく夜明けだ。呪わしく、屈辱的な朝が来る。

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