『隠された五徳ナイフの夜』

 窓の汚れた部分に「正」の字が完成した。日数を把握する為、屋根裏部屋に幽閉された晩から章一郎が書き記しているものだ。計算が正しければ、土蔵の日々と合わせ、既に十日以上も監禁が続く。


「見世物小屋に送られるにしちゃ、少々不自然だ」


 かつて柏原が言っていたことを思い起こす。見世物小屋に売るとしたら、副島は逸早いちはやく人身売買の悪どい仲介人に引き渡す。依頼を受けたか、高く売る宛てがあって勾引かどわかしたのだ。監禁が長引けば、その分だけ犯罪が露見する可能性も高まる。拘束する側は、速やかに売り捌きたいはずで、いつまでも閉じ込めている状況はおかしい。別当べっとう青年に至っては、一箇月余りも収容されたままだ。


 たつみらは、先方に何らかの問題が発生して引き渡しが遅れているだけだと主張し、深く考えることはなかった。見世物小屋以外に畸型を高く売る相手があるのだろうか。大きな病院に悪い奴が居て、研究用の人体実験に使う…章一郎はそんな思い付きを披露したが、小人楽団のリーダーは、冒険小説の読み過ぎだと言って、一笑に付した。


 昼前、部屋奥の階段を覆う蓋が鳴った。誰かが押し開けようとしてるのか。次いで、錠前をいじる音が聞こえる。 


「だめだ。びくともしない」


 白夜びゃくやだった。声を潜めて話し掛けてきた。この時間帯は下働きの男が市場に行っていて居ない。副島も朝から出掛けたままで、戻って来る様子はない。歌劇団のほかの女の子は一階で雑用をしている。ほんの少しだけ、隙が出来たのだと話す。


「小さな南京錠なんだけど、わたしの力じゃ、無理だよね。鍵は見当たらなかった」


 白夜は昨夜、下働きの男の部屋に侵入して鍵を探したと明かした。下働きの男とは、土蔵の者たちが下男もしくは番人と呼ぶ大柄で知恵の遅れた者のことである。そんな輩と鉢合う危険を顧みず、彼女は鍵の入手に取り組んでくれたのだ。救けたいと語ったその言葉は本物だった。だが、棚にも引き出しの中にもなかった。ここの合鍵も玄関の鍵と一緒に、下男が腰に下げているに違いないと言う。


「そんな無茶までしてくれて、有り難う。土蔵の鍵も同じなのかな。それと土蔵の扉にはぶっとい鎖が掛かっていて、壊すのに道具が必要なんだ」


 誓い合ったわけではないが、脱出は六人揃ってだ。例え自分だけが屋根裏部屋から抜け出せたとしても、土蔵を開放する作業は難しい。下男、あの番人と格闘して鍵を奪い、斧か大槌で叩き壊さなければならない。章一郎に乱闘で優勢を勝ち取る自信はなかった。騒ぎとなれば、堂上どうがみも加勢して間もなく取り押さえられてしまうだろう。


「ふーん、あの男、堂上って言うんだ。妹から聞いたんだけど、支配人に叱られたみたいだよ。章一郎兄さん、あなたの大怪我のことで」


 にいさんなどと小っ恥ずかしくなる呼び方をする。こちらはどう呼んだら良いのかと章一郎は悩み、奮発して「白夜ちゃん」と呼び掛けたら、子供っぽくて嫌いで呼び捨てのほうが百倍くらい良い、と返された。やっぱり変わった女の子だ。


 それよりも、妹の極夜きょくやがもたらした情報は興味深いものだった。土蔵で掴み合いの騒ぎがあった後、副島は激しく怒って、堂上を叱り飛ばしたという。収容者の腕を挟んで痛めただけではなく、火を放って燃やした。一方的に危害を加えたとして怒られた模様だ。


 章一郎は当日の出来事を思い返す。懲罰房に連行すると言って再び現れた時、手品師は怯えたような、悄気しょげた表情をしていた。


「あんまり時間がないかも知れない。章一郎兄さん、怪我しているほうの手を出して」


 部屋の奥にある引き戸を静かに開けて、白夜が顔を出した。本当に異国のお人形さんのようだ。姉妹の違いはまったく分からないが、演芸場で会ったのが、この子だった。福助が白雪姫と呼ぶのも、決して大袈裟な形容ではない。童話とは逆に、白雪姫が小人たちを救けようとしている。


「大きな瘡蓋かさぶただ。これ、無理に動かすと破けちゃうかも知れない。ひどい傷だ」


 腕を覆い尽くす体毛については、何も語らない。演芸場には完璧な変装で行った記憶がある。帽子に黒眼鏡。軍手は着けていただろうか。何度も会った妹は素顔を知っている。敢えて口にはしないが、きっと姉妹はそうした情報も共有しているに違いない。


 白夜は軟膏を塗りたくり、下手なりにも丁寧に新しい包帯を巻いてくれた。血の染み付いた古いものは見付からないように捨てるという。これも発覚したら不味い危険な作業だ。


「また隙を盗んで来るから」


 そう言い残して、白夜は去った。午後の間中、窓の下や引き戸の向こうに彼女が現れるのを待ったが、音沙汰はなく、翌日も同様だった。密会がばれたのか、単純に人目を嫌っただけなのか。章一郎は焦燥感に駆られた。耳を澄ましても、階下から響く物音はない。洋館は誰も居なくなったかのように静まり返っていた。


 再訪を待ち侘びている間に、きたいことが次々と章一郎の頭に浮かんだ。消えた棟梁とうりょうや漫才夫婦の安否。旅館の駐車場で彼らは歌劇団の別の車両に乗り組んだはずだった。堂上はこの館で発見されたが、三人は消息を絶ち、行方知れずのままである。

 

 深川曲芸団は帝都へ行って、その後、どうなったのか。歌劇団との共演は有り得ない。すべて出鱈目だ。みんなが大広間で回し見した白黒の宣伝チラシ。あれを目にした時、嘘に気付くべきだったと章一郎は悔やむ。福助の宝物になった派手な色遣いのチラシとは大差があった。騙す為にこしらえたものだ。一座の行方について、白夜が知り得た情報はないものだろうか。



「何だ、これは」


 晩に配達された食事に異物が混入していた。それは冷めた汁の底にあった。汁塗れの異物を取り出し、服の袖で拭く。軍隊で使われる五徳ナイフだった。鉄製で、小さい割に重い。


 渦巻きのコルク抜きに瓶の栓抜き。螺子ねじ回しも付いている。これを使えば出窓のは外せそうだ。布団を切り刻んでロープを作れば、窓から脱出できるかも知れない。だが、屋根裏部屋には紐の端を固く結び付ける適当な箇所がない。また目方めかたの軽い一寸法師のようには行かず、途中で切れてしまう恐れもある。


 これを汁物の底に沈めたのは、恐らく白夜だ。確証はないが、確信は持てる。そして、最も重要な役割を担う部品は、刃物だろう。道具ではなく、兇器になる。自らの非力さを補うには充分だ。番人との格闘で、戦いを有利に運べる。しかし、あの優しそうな白夜が、刃傷沙汰を想定して兇器をこっそり渡してくれたとも思えない。


 階段を塞ぐ蓋はどうか。章一郎は試しに五徳ナイフで蓋の縁を削ってみた。胴体に錆が浮いているのに切れ味は鋭かった。少し力を込めれば、木製の蓋は削れる。錠前がある辺りを削ぎ、全体重を掛けて蹴り付ければ、壊れるはずだ。


 どのくらいの時間、幾日を要するか判らないが、やれることはやってみよう…そう決意して狼男はナイフを突き立てた。

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