第十章

『憑依されたる生娘に帝都震撼す』

「特にお変わりない御様子と伺っております」


 彩雲閣さいうんかくの女将は、そう電話口で言った。耶絵子は二日に一度の割合で連絡を取っていた。主な目的は瑞穂の体調に関する事柄だったが、長期療養の肺病病はいびょうやみに日毎の大きな変化は見られず、良くも悪くもなっていない。


 用件はそれに留まらず、耶絵子は正体不明の少女歌劇団に関する調べも進めていた。女将は、花街の見番に問い合わせれば何か判明するかも知れないと話す。見番は温泉街の演芸場で催される諸々の公演も仕切り、如何いかがわしい興行社が紛れ込む余地はない。伝手を辿らずとも、手掛かりが見付かるはずだと申し添えた。


 耶絵子自身も浅草界隈を巡り、副島そえじまと名乗る謎の興行師について探りを入れた。歌劇団の名を知る者はちらほら居たが、支配人とやらはまったく無名で、糸口も見付からない。そこに見番の甚之助じんのすけ親方から連絡が届いた。


「見番の台帳だと、歌劇団さんの本拠だか事業所だかは、湘南地方にある。それだけで、詳しい番地も電話の番号もない」


 残念ながら、完全な特定には至らなかった。湘南と言われても範囲は広く、漠然としている。更に親方は奇妙な話しがあると言って続けた。歌劇団が巡業で温泉街に来たのは二度目だが、名称が少し違った。備忘録によれば、前身に当たる歌劇団で主宰者も髙田某と記される。


「十年も昔のことなんだが、子供の芝居に詳しい奴がおって、そいつが言うには間違いないらしい。活動の拠点も湘南近辺で、聖少女なんて妙なかんむり付けてるのは、ほかにないってことだ」


 最盛期には列島各地に少女歌劇団が雨後の筍のように誕生し、消えて行った。殆どが児童合唱団に細工したお遊戯に近く、ごく僅かな有名どころを除いて短命だった。見番の事情通によれば、芝居小屋の所有者が変わることはそう珍しくないという。

 

 甚之助親方は別の筋からも追って調べてみると約束した。曲芸団の美女に惚れ込んで、使い走りを引き受けているのではないようだった。見番の三階で会った狼青年の安否を懸念し、自分の街が誘拐事件の舞台になったことを彼は深く恥じていた。


 章一郎だけではない。曲芸団の芸人八人が一斉に消え、道具方の棟梁まで失った。演目は足りず、天幕の設営も苦労する。事実上の崩壊に近く、寺社の縁日で催す小規模の興行さえ危ぶまれる。


 その中で唯一活路を見出したのが、霊交術だった。影の主役である太田が演芸場等に掛け合って、余興ではあるが、出演の機会を獲得した。天幕での興行と異なり、スリ紛いのペテン小芝居は封印せざるを得なかったが、その代わりに、春子が演じる「取り憑かれたる少女」が好評を博した。


 霊交術のし物が進む中、客席で急に具合が悪くなる娘が居る。客にふんした春子だ。いつもの御下げを解いて、幽霊絵のように乱れた長い黒髪を垂らす。表情も虚ろで、意味不明なことをぶつぶつ喋る不気味な少女。すかさず太田が駆け寄って舞台に案内する。


「悪い霊をここに招き寄せてしまいました。それがこの女の子に取り憑いたようです。ことはありません。今直ぐ、除霊して見せましょう」


 神妙な表情で葦澤あしざわが柏手を打つと、春子が気を失って卒倒する。迫真の演技だった。そして偽霊交術師が祝詞のりとを唱えると、俄に復活する。正気を取り戻す際の芝居も巧みで、大いに客席を沸かせた。この茶番は、旅館で起きた幽霊騒ぎを参考に春子が創案したものである。


 到着時と去り際に災いが降り掛かったものの、一座の者たちは彩雲閣での生活を懐かしんだ。飯が美味かった、風呂が広くて心地良かった、部屋が暖かくて隙間風に震えることもなかった、と思い出話に花を咲かす。


「つい先日のことなのに、遠い昔みたいだ」


 ある者が呟いた。太夫元は、我が意を得たりといった面持ちで頷く。お稲荷様の境内に居を据えてから、深川は座員と話す機会が多くなった。九人が欠け、残った者が肩を寄せ合って暮らすようになった為だが、決してそれだけではなかった。


 一座の若い連中ともっと話しをすべきだった…そう反省の弁を口にし、雑談にも積極的に加わった。何かの拍子に、小人楽団の珠代たまよが彩雲閣にあった秘密の湯治場について語ると、深川はそれを知っていると明かした。狼男御用達の殿様湯とのさまゆだ。


「最後に章一郎と一緒に風呂に入りたかった」


 遠くを仰ぎ見て、今生こんじょうの別れであるかのように言った。

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